久留里城登城記
[登城日] 00/6/3
[所在地] 君津市久留里字内山
[別名] 雨城
[形式] 山城
[築造] 天文10年(1541)里見義尭、寛保2年(1742)黒田直純
[遺構] 本丸、二の丸、三の丸、復興天守(S.53)
[交通] JR久留里線久留里駅から徒歩30分
[概要] 清澄山系に源を発する小櫃川の中流域にあり、標高の割には起伏の激しい房総丘陵の一角に位置。久留里の地は、房総半島の中心として安房、上総、下総への交通が比較的楽な位置であり、侵入者(北条)にとっては海路、陸路から小櫃川を遡ることは極めて困難な要衝である。179mの山頂から、梯郭式の縄張で本丸に二重の天守、二の丸に多聞櫓、御殿、三の丸に二重櫓5基を置いたという。また岩石は、房総半島南部特有の第三期層・青岩が露出し、岩面滑らかな自然の断崖・絶壁になっている。昭和52年の発掘で、天守台(五間半X三間)が完全な状態で発掘され貴重な遺構である。昭和53年、天守復興は、位置をずらせて、基壇の解析を経て建造されたよう。
[登城記]
宿泊地大原から安房鴨川に8時前着。日東交通バス、カピーナ号で房総丘陵越え約30分で久留里へ、結構なドライブ。久留里駅よりタクシーで久留里城三の丸へ、約10分。別名の通り「雨城」で、三度目の正直の登城。曇天なれどまずまずの天候。三の丸(標高43m)から大手道を約15分登り本丸(標高145m)へ、オリエンテーリングの女性に逢う。二層望楼式の復興天守。発掘された天守台から推察して建造したというが、入母屋造りの一層目に、望楼をのせた初期望楼式の天守、雰囲気は有るが寛保2年築造としては、やや古い形式の感も。すぐ横に天守台、貴重な遺構として完全保存体制。二の丸資料館へ、縄張模型、前に小櫃川、後は絶壁の堅固な縄張に見入る。
天守よりの眺望、素晴らしい。