千葉県のお城
関宿城登城記
[登城日]  00/6/1
[所在地] 千葉県東葛飾郡関宿町久世曲輪
[築造] 長禄元年(1457)簗田成助、寛文9年(1669)久世広之修築
[形式] 平城
[概要]東、北、西面を、利根川、江戸川で囲まれた、千葉県最北部の海抜14mの台地上に位置。度重なる洪水や改修で川の流路は大きく変わっており、中世の関宿城の地勢とは全く相違している。家康の関東入国で、松平康元が2万石で移封され、江戸城の北方防御の拠点として利根川の流路を東に移し、逆川交通路として整備し、城下町は繁栄した。江戸城富士見櫓を模した本丸三階櫓を中心とした扇型縄張をもったという。
[登城記]
千葉県の最北端とはいえ、およそ千葉県らしからぬ僻地にあり、大宮在住の先輩に頼んで同行してもらった。宇都宮線 土呂駅からスタートし、約25kmの道を約80分走る。利根川と江戸川の分岐点に水運の拠点として城下町が栄えたというが今や殆ど面影は無く、大河の分岐点と言うイメージのみ残る。現河川敷のあたりに扇型の縄張が広がっていたようだ。江戸城富士見櫓を模した三階櫓を再現した関宿城博物館の三階櫓。何とか面影はある。広々とした河川敷はゆったりした、いい景色だ。帰路は、利根川、江戸川の中間を平行して約30km、柏まで送ってもらう。

久留里城登城記
[登城日]  00/6/3
[所在地]  君津市久留里字内山
[別名] 雨城
[形式] 山城
[築造] 天文10年(1541)里見義尭、寛保2年(1742)黒田直純
[遺構] 本丸、二の丸、三の丸、復興天守(S.53)
[交通] JR久留里線久留里駅から徒歩30分
[概要] 清澄山系に源を発する小櫃川の中流域にあり、標高の割には起伏の激しい房総丘陵の一角に位置。久留里の地は、房総半島の中心として安房、上総、下総への交通が比較的楽な位置であり、侵入者(北条)にとっては海路、陸路から小櫃川を遡ることは極めて困難な要衝である。179mの山頂から、梯郭式の縄張で本丸に二重の天守、二の丸に多聞櫓、御殿、三の丸に二重櫓5基を置いたという。また岩石は、房総半島南部特有の第三期層・青岩が露出し、岩面滑らかな自然の断崖・絶壁になっている。昭和52年の発掘で、天守台(五間半X三間)が完全な状態で発掘され貴重な遺構である。昭和53年、天守復興は、位置をずらせて、基壇の解析を経て建造されたよう。
[登城記]
宿泊地大原から安房鴨川に8時前着。日東交通バス、カピーナ号で房総丘陵越え約30分で久留里へ、結構なドライブ。久留里駅よりタクシーで久留里城三の丸へ、約10分。別名の通り「雨城」で、三度目の正直の登城。曇天なれどまずまずの天候。三の丸(標高43m)から大手道を約15分登り本丸(標高145m)へ、オリエンテーリングの女性に逢う。二層望楼式の復興天守。発掘された天守台から推察して建造したというが、入母屋造りの一層目に、望楼をのせた初期望楼式の天守、雰囲気は有るが寛保2年築造としては、やや古い形式の感も。すぐ横に天守台、貴重な遺構として完全保存体制。二の丸資料館へ、縄張模型、前に小櫃川、後は絶壁の堅固な縄張に見入る。
天守よりの眺望、素晴らしい。