四国お城歩き


[名称] 多度津陣屋
[登城日] 02/3/7
[所在地] 香川県仲多度郡多度津町
[形式]  館
[築造] 文政10年(1827) 京極高賢
[遺構] 家中屋敷
[交通] 予讃線多度津駅より徒歩10分
[歴史的背景]
多度津1万石の京極氏は城郭建造を許されず、「多度津さんのお城なし」と言われていたが
文政10年(1827)四代高賢の代に、丸亀城内住まいから、多度津に居館・陣屋造営を許された。
陣屋は、御殿(藩主居館)を中心とする主郭と、東に家中(武家屋敷)を配置し、郭間に蓮掘
が切られた。
[登城記]
予讃線多度津駅を降りると、まず目に入るのが、西山の手に中国西安の大雁塔まがいの塔。
(少林寺拳法の本部だという)。駅から200mの町立資料館へ、このあたりが家中地域の南端になる。
職員のおじさん、城郭大系のように古い資料を見たお客さんが多いけど、どんどん変わっている
と言いながら、古地図を見ながら熱心に説明してくれる。時期柄、白酒をご馳走になる。
家中地域を散策する。街中は雁行する道路、漆喰塗り、海鼠塀の武家屋敷の面影残る。五十間長屋の
ほんの一部面影残す。蓮掘跡は道路になる。馬場南の石垣は訪ね当たらず。
早くから国鉄多度津駅、多度津工場になり、武家屋敷が散在するのみで遺構保存の取り組み欠如顕著。

丸亀城の麓を通過して、高松城へ向かう。艮櫓の前に駐車して、(3月末まで外壁工事中で籠の中)
近くでうどんの昼食。セルフのうどん屋が増え、過当競争で、非常に安い。
着見櫓を主体にゆっくり散策。資料館の説明も月見櫓になっている。
R11で、鳴門へ走る。

[名称] 撫養城(岡崎城)
[所在地] 徳島県鳴門市撫養町妙見山
[形式] 平山城
[築造] 天正13年(1585) 益田正忠
[遺構] 本丸跡、石垣
[標高]62m
[交通] 鳴門線鳴門駅から徒歩30分
[歴史的背景]
足利将軍ゆかりの地に、当時からあった城塁あ とに、天昇13年(1585)秀吉の四国征伐で蜂須賀家政
が阿波新領主として入り、徳島城の支城を9城置き、北部要衝として撫養城を益田忠正に守らせた。
[登城記]
北から鳴門市街に入り、鳥居記念館の模擬天守認めながら、西からほぼ1周して北から妙見山公園へ、
本丸下、千畳敷駐車場へ。少し登ると、妙見神社(本丸跡)、本殿の裏 に幅20m、高さ5mの打ち込みはぎ、
布積みの整った石垣がきれいに残る。かなり近世の石垣のよう。石積みのすぐ裏 は断崖になる。ここから
10mくらい登ると矢倉跡、昭和43年に鳥居記念館として、付櫓を持った、堂々たる三層模擬天守。まあ まあ 
の景観。西麓からの遠望も良い。
 
  [高知城]
3/8抜けるような好天の中、土讃線で高知へ向かう。
丸亀城、讃岐富士、大歩危の景観楽しみながら、2時間で
高知着。タクシーで高知城へ。
大手門越しの天守閣のポイント。天守東面の高欄、修理中で
網被り。台無し。杉の段から黒鉄門へは工事中で足止め。
詰門正面から、二の丸へ。やや時間が遅く、天守、逆光になる。
廊下門から御殿、天守に登る。天守からの廊下門、続き櫓の
景観、独特。ゆっくり過ごすが、朝の時間が遅く、やや不満足。