大三島橋ー伯方島ー伯方大橋ー大島
能島城
[所在地]愛媛県越智郡宮窪町能島
[建造]応永26年(1419) 村上山城守雅房
[遺構]郭、石垣、ピット
[歴史]宮窪瀬戸の激流が渦巻き、天然の要害を形成する 能島とその属島鯛崎島に能島村上水軍
詰の城として築かれた典型的海賊城。天文12年(1543)跡目相続をめぐって、本家・分家間で激しい能島城攻防戦があった。この時、天下の要害の証明が出来、松明船で体当たり攻撃をかけ、守城勢を海におびきだす戦法がとられたという。
[登城記]宮窪で水軍レースを見ながら、船に乗る。聞きしに勝る 激しい潮流、あちらこちらに渦を巻いて、川の瀬の如くの海流。水位差が1mほどあるという。水軍城の歴史、まざまざと実感出来た。二の丸から上陸、石垣が美しい。下半分は築城当時のものらしい。二の丸から本丸へ、階段が整備され、草刈りも行き届き、手入れが非常によく、蛇の心配もなく、白石さんの説明に耳を傾ける。二の丸北側の
武者走り、きれいに残る。
大島ー来島第一〜第三大橋ー今治市内
今治城 (吹揚城)
[所在地]今治市美須賀町
[建造] 慶長7年 藤堂高虎
[遺構]本丸、二の丸、三の丸、内堀、石垣、復元櫓三、模擬天守
[歴史]蒼社川の三角州に立地し、北部に瀬戸内交通の要衝 来島海峡を控え、芸予諸島の制海権確保を目的とした。本丸、二の丸、三の丸を、海水の内堀で囲み(幅
54m,幅5〜7mの広い犬走り)野面積の石垣を巡らす。建物は明治初年取り壊し。天守は、五層六階、初めての層塔式で計画されたが、丹波亀山城に移築献上したといわれる。1980年
天守、多聞櫓、武具櫓再建 1985年 御金櫓、1990年 山里櫓を再建。櫓は 外観復元
[登城記]久しぶりの近世城郭で、胸躍らせたが、天守と櫓のバランスが悪くややガッカリ。天守の位置、形状がなんとなく
シックリこない。
大手門から、反時計廻りで内堀の周囲一周。石垣は 殆ど直線的な野面積で犬走りの広さ、目に付く。櫓の配置もいい。山里門から二の丸へ、石垣の上を一周する東西隅櫓、月見櫓の位置、石垣俯瞰
素晴らしい。変な天守より
この三櫓を復元してみては という実感。西からの、多聞櫓と天守のシンプルな
アングルからの写真でやっと 満足。