洲本城登城記

[登城日]  2000/11/6
[所在地] 兵庫県洲本市小路谷
[形式] 平山城 (標高 132m、比高 130m)
[築造] 室町時代後期 安宅氏、現遺構 天正13年(1585)脇坂安治、寛永8年(1631)稲田示植大改造
[遺構] 郭、池、石段、石垣、櫓跡(模擬天守 S4建造)
[交通] 洲本バスセンターから徒歩40分(神戸三宮からバス80分)車で、洲本温泉街からドライブウエイあり。バスセンターから約10分
[歴史的背景]
室町時代末期に安宅氏が築造。以後、仙石、脇坂、池田、蜂須賀の時代を経て、寛永8年から稲田示他植が山の北麓に居館を作り、山上の城と登り石垣で連結し、山下の東北西に石垣、北側に堀を設け桝形門を開き東西隅に櫓を築いた。昭和4年に模擬天守を建造。
[登城記]
奈良から、大阪ー神戸ー明石海峡大橋を走り約2時間で洲本着。三熊山麓、現在法務局のあたり、稲田氏の山下の城大手と思われる。石垣残る。R76で山麓ほぼ半周したあたり、洲本温泉街から本丸までドライブウエイあり。馬屋跡に駐車、大手門ー南の丸隅櫓ー本丸石段ー本丸搦め手門と歩く。このあたり砂岩の打込みハギの堂々たる石垣続く。本丸北西隅に高さ約10mの天守台。昭和4年に建てられた模擬天守。誰がどういうイメージで設計したのか判らないが(後日、洲本市役所に問い合わせたが不明)、三層入母屋瓦屋根、東西のみ各層に千鳥破風で装飾した近世初期風の建築、天守台構造から、連結小天守があったようだ。搦め手虎口(立派な桝形形成)を出たあたりから天守仰観、ここがビユーポイント。このあたりから山麓に向かって登り石垣があるようだが、上からは雑草にはばまれて認められない。搦め手門から南の丸を歩き本丸石垣を見上げる。脇坂時代の野面積石垣混在かなりよく判る。本丸石段、約10mの登りだが立派なもんだ。一寸補修が行き届きすぎの感も。バスセンター付近でたこてんの昼食摂り、鳴門大橋を渡って約50kmの徳島城に向かう。