高田城登城記
[登城日]  00/6/26
[別名] 螺城、関城、鮫ケ城、高陽城
[所在地] 新潟県上越市本城町
[形式]  平城
[築造] 慶長19年(1614)松平忠輝  天下普請
[遺構] 本丸、二の丸、三の丸、内堀(薬研堀)、外堀、復興櫓(H5)
[交通] JR信越本線高田駅より徒歩15分
[歴史的背景]
慶長15年、松平忠輝入封、加賀の前田、出羽の上杉等を牽制する為、福島城を移す。高田平野の中央菩提が原に関川の流路を自然堤防にした縄張をとる。普請期間は四ヶ月といわれ、大阪の陣を控え、加賀、出羽などに対し、江戸の背後固めを急いだ為、石垣もなく、天守もないこの時期の天下普請の城郭としては珍しい大城郭である。本丸南西隅に二重櫓を造り天守代用とした。寛永年間、光長の時代に、三重に改造
平成5年に「本丸御殿絵図」を基に、三重櫓と続塀復元。
[登城記]
梅雨の最中、行程のついでもあり、強行登城。12時前、高田駅に降り立つ。南へ真っ直ぐ15分歩き、外堀の北西端に出る。幅約80mの堀一杯に 蓮で埋まる。梅雨の雨に濡れて美しい景観だ。橋を渡り二の丸西側へ、外堀沿いに大手橋まで歩く。このあたり東西に国道が走る。南の陸上競技場、野球場が三の丸。人質郭から内堀に出る。内堀(薬研堀)に囲まれた本丸。この辺り紫陽花満開で美しい。本丸南側に大手枡形跡、南西隅10mの土塁上に復元された木造三重櫓。一層、三層は入母屋造り、二層は寄せ棟になり、割にバランスとれた格好良い櫓になっている。たまたまではあるが、梅雨時が狙い目のお城であった。