西生浦倭城(ソセンポウエソン)登城記
所在地 慶尚南道梁山郡西生面  釜山空港から車で2時間
築造  加藤清正
文禄元年に始まった、この侵略戦争は初期、平壌を占拠するまで侵攻したが、文禄2年の明・朝鮮軍の反攻で慶尚南道の沿岸まで押し戻された。この時期に、持久戦用の城として建造された。約200mの登り石垣で、広い居住区域を確保した、倭城の典型。城は、東西方向に展開し、西の山頂が主郭になり2本の登り石垣がほぼ東に伸びる構造。
まず東端の郭に対面、直立した約10mの見事な石垣。この近辺は舟入になっていたようで、着到郭らしい。ここから西に向かうと登り石垣(南)の最下端に出る。ここから仰観する登り石垣は壮観。万里の長城を思わせる。残念ながらド逆光で、写真にはならず。東方向に高層マンションがあり、朝の時間に屋上から見れば素晴らしいだろう。石垣の城内側に入り、登る。このあたり、諸将、兵士の居住地跡で、一面の梨畑になっている。10分も登ると虎口に至る。このあたりかなり急坂でキツイ。すれ違ったおばさん「あんにょんはせよ」と挨拶してくれるが息があがって挨拶にならず。少し登って本丸虎口へ、本丸は、東西ほぼ100mあり、屋敷跡がありほぼ西寄りに東西17〜18m高さ5mの天守台。きっちりした打ち込みハギのまとまった石垣。この西側に「馬出し」と思われる郭があり、南北に枡形虎口。この虎口が石で埋め殺されており、防戦一方になった時、出撃用の虎口が逆に敵の侵入口になり埋めてしまったという。このあたり石垣は纏まっており扇の勾配に修理された石垣も見られる。本丸に、署名簿を持ったおじさんが居て、城郭図を見ながら、ろくに通じない質問、会話を交わす。署名簿には、日本人の署名が結構並んでいた。史跡として残そうという気持ちが感じられ、悪い気はせず。
登り石垣を俯瞰したかったが、樹木と雑草で殆ど不可能。