東北お城紀行(2)


[久保田城] (矢留城、葛根城)
秋田駅から西に10分歩き、旧大手門の位置にアプローチ。堀端を西に歩き、搦め手門の位置から城内へ。松木門跡から、石段を登り、長坂門に出る。今年3月に復元された。堂々たる櫓門、傍に現存の御物頭番所ここから本丸西側土塁を歩き、本丸北西部の復元隅櫓へ(旧隅櫓の位置に、二層櫓を復元し、上層望楼をのせたという。)赤い高欄が印象的ではあるが、木立に遮られて見通せるポイントはなし。埋門から西に下り、鐘楼方面へ。この位置、土塁の景観が良い。慶長9年(1604)佐竹義宣、幕府への遠慮、財政状態、篭城戦不要論で質素な城にしたというが、歴史的に源平合戦以来、関ヶ原に至るまで、常に負け組に賭けたにもかかわらず、名家の系統ということで、存続してきた鷹揚さが表われている感じで、何となく圧迫感のない、ホッとする感じの城郭である。夕暮れ迫り、近くの葵旅館へ、秋田美人のおかみさん、感じ良し。
 
 
 
 

[松嶺城] (松山城) (山形県松山町)
羽越本線で、象潟の海岸線を眺めながら、余目下車、乗り換え時間(40分)で訪問。特急停車駅であるが降り立つとタクシーの姿がない。駅員さんの指示で50m歩き、余目タクシーの営業所に歩き、目的達成。最上川が西に向きを変える位置に、天明元年(1781)酒井忠休が幕府の支援を得て築城。城門には鯱を上げる許可も得たという。約10分で到着、周辺はきれいに整備されて公園になる。資料館も出来ているが時間の余裕なし。豪快な櫓門(桁行き正面五間、背面三間、梁間三間、総欅造り)で、圧倒される大きさ。屋根に四尺八寸の鯱が威容を誇っている。堀、土塁も残っているようだが、残念ながらパス。帰途、余目方向に天守閣風の建物認める。訊ねると、駅から五分の位置に、余目温泉・梵天だという。
[新庄城] (沼田城・鵜沼城)
寛永2年(1625)戸沢政盛築造。別名の如く、湿原地帯に造られた。新庄駅から、西へ10分歩くと、最上公園の堀につきあたる。新庄城本丸内堀だ。内堀に面した土塁が美しい。犬走りも認められる。正面橋を渡って左手に、櫓台2基残る。5m四方の亀甲積み石垣の美しい櫓台。大手櫓門の佇まい。土塁上をしばらく散策。本丸内は、戸沢神社、護国神社、天満宮の敷地。

山形新幹線で天童下車、将棋駒の街をぬけ山形APへ。のんびりしたお城歩きではあった。