2002年09月20日、別処珠樹
《新刊》 宝島社新書 『日本人の知らない地球環境汚染』 はじめに

もう一つの世界を模索する

ヨシのしげみに積みあげた電子機器のごみ山にのぼって、はだしの男の子がこちらを見ています。ここは中国南部の広東から東へ三○○キロメートル、南シナ海岸にちかいコイユという小さな村です。「シリコンバレー毒性物質問題連合」など世界の環境五団体がここに調査団をおくり、二○○二年二月に『危険物の輸出──アジアのハイテクごみ』という報告書を発表しました。

コイユ村では焼却灰の上で人々が暮らしています。家の周りにアメリカから送られてきたコンピュータや電話・ディスプレイなどのごみが積みあげられ、その中から有価物をあつめる作業に人々は余念がありません。手で解体したあと、素掘りの穴に電線を放りこんで焼いたり、金属を取りだすため強酸で溶かしたりします。処理施設がないので廃液は川にそのまま流すしかありません。この地域の水も空気も重金属や化学物質でよごれきって、農業ができなくなりました。激しい土壌汚染で地下水が飲めず、トラックで飲み水を運んでいます。国外からの警告を受けて、中国政府は対策にのり出すと発表しました。

このようなことが起きるようになった原因を考えてみましょう。

ものを自分たちで使うために作るのか、金銭と交換して利益をあげるために作るのか。ここに大きな違いがあります。使うために作るなら、ごみの山がまわりにできたり毒物の害を受けたりしては困りますから、環境を汚さない工夫が生まれます。ところが利益をあげるために作るなら、有害物が発生しようと廃棄物が大量に出ようと、価格を抑えて競争に生き残ることが優先されるでしょう。

もちろん有害物や廃棄物の処理に多くの費用がかかります。それをすべて負担すると製品の価格はずっと高くなる可能性がありますから、製造費用の一部を支払わないで済ませていることを生産者たちは隠してきました。その結果が、多くの人に被害を与えている化学傷害(化学物質過敏症などと軽く呼ばれるが、重い症状で苦しむ人が多い)ですし、いまも日本列島の谷を埋め続けるごみの山です。途方もない量のプラスチックごみが中国に渡るのも同じ事情によります。コイユ村のように有害ごみが危険な処理にゆだねられるのは、処理費用を安くあげるためにほかなりません。日本政府はごみ輸出を奨励する、プラごみの焼却に補助金をつけるとさえ言いだしました。

製品の廃棄や有害物質の処理に必要な費用を生産者が支払わず、どこか外部に押しつけていることを、歴史社会学者イマニュエル・ウォーラーステインは「資本制の汚れた秘密」と呼んでいます。押しつけている先は、未来の世代や途上国の人々、あるいは環境差別を受けている地域の人々です。そうすれば環境を修復する経費は次の世代の負担になり、差別を受けた地域の負担になることでしょう。

ところがどこか外部に押しつけたつもりの有害物質が、実は自分たちのところに戻ってきて被害を出しています。たとえば、焼却炉から出た重金属が流れ流れて魚類のからだに入り、私たちの食卓に上がっている。しかしこのことがほとんど知らされていません。処分場に埋めたてて隔離したはずの有害物質が大気に漏れだしたり、川に流れ出したりしています。未来世代におくりだして一時のがれをしたはずの汚染が、未来世代に拒否されて戻ってきてしまったようです。地上にもう外部は残されていません。ごみ焼却は「巨大な化学工場」とよばれているとおり、そこからは未知の有害物質が大量に排出されますが、未知の物質には規制がありません。

こうした汚染の実情は、ほとんど日本では報道されていません。それを海外のインターネット記事から拾ってメールマガジンで紹介しました。その成果をまとめ、加筆したのがこの本です。記事の大部分が二○○二年上半期のものです。

一つの時代や体系が崩壊するときには、次に登場する時代や体系の萌芽をそこに含むことが珍しくないようです。毎日の環境記事の中にも、これからの時代の萌芽と感じられるものがいくつも育ち始めていることが分かります。

資本制経済の「汚れた秘密」が退場するのは意外に早いかもしれません。そのあと、もう一つの世界をどのように構想すればいいのか。すでに「世界社会フォーラム」という大規模な試みがはじまっています。二○○三年の一月には、インドでアジア社会フォーラムが開かれる計画もあります。期待はずれに終わったヨハネスブルクの環境サミットに代わって、グローバリゼーションに対抗する流れが加速する兆しを見せ始めました。

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