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ごみクライシス


まえがき

  列島のいたるところで日々ドラム缶をつかってごみ焼却が行われる。アメリカ環境保護庁の報告書によると、ドラム缶が四つもあると、設備のととのった中規模の焼却炉一つ分に匹敵するダイオキシンがでる。ほかにもヘキサクロロベンゼンなど、よく似た毒性をもつ物質が大量にうまれる。発がん性が疑われる多環式芳香族炭化水素とよばれる一群の物質は、ドラム缶から焼却炉の数千倍の濃度で発生する。これがなぜ放置されているのか。
  清掃センターでは、炉で生じた焼却灰をカバーもせずにトラックで最終処分場にはこぶ。新聞記者があとを追ってみると、途中で車体がゆれるたびに道路に灰をまき散らしている。最終処分場では焼却灰を何年も野積みにしたままだ。覆いもしていない。その焼却灰のまぢかでお年寄りが黙々とびんの分別にはげむ。雨水で灰が流されると、水に溶けないはずのダイオキシンが家庭から出る洗剤のはたらきで水に流れこみ下流に運ばれる。これがなぜ問題にならないのか。
  ヨーロッパのごみ処分場周辺では、各国の専門家たちが力をあわせて先天障害の調査をおこなった。うまれてくる子どもに心臓障害が多い。日本では健康被害についてほとんど何も調べられていないに等しい。だが行政機関はわずかなデータを見て、ただちに健康に影響をあたえるレベルではないと繰りかえす。調べないで何を根拠にそういえるのか。
  九八年の七月から「奈良ごみの会」は、奈良県内のごみ処理について現状をくわしく調べた。情報集団「アゴラ23」は海外の環境情報を精力的に集めた。ふたつの中味が結びつくことで、現代ごみ処理の問題点が列島全体の課題として浮かびあがった。
  近代のごみ処理技術は、廃棄物をできるだけ物質循環回路(サイクル)の「外」に出し、回路から切りはなそうと考えてきた。その典型が「最終」処分場や、使い「捨て」の考え方だ。これは経済のあり方から必然的に生じたことだった。利益の追求を至上のものとする経済が続くかぎり利益が生まれさえすればよく、資源の使い方をきちんと考えることはなかった。
  この発想がごみ処理の危機(クライシス)を招いた。有害物を回路外に出したつもりが、いたるところから人知れず回路内にもどってくる。業界が売り込みに懸命なごみ固形燃料・ガス化溶融炉などの技術もこの発想を脱していないから、処分場の延命にしかならない。
  根本的な解決の道は、ただ一つ。発想法を一八○度転換して、物質の「回路外排出」を「回路内循環」に切りかえることだ。有害物を製品に使う必要がある場合は、それを人工回路で循環する。有害物をふくまない素材は、できるだけ自然の循環回路にのせる。そのため、つぎはぎ改正でかろうじてしのいでいる「廃棄物処理法」を廃棄し、はっきりと生産者責任を示した新しい「資源・廃棄物法」を作ること。消極的に廃棄物の排出責任を問うのではなく、積極的に生産者が資源の使いかたに責任をもつ。それによって生産・消費・廃棄のゆくえに光がみえるだろう。
  危機が始まっているこの一、二年をのがしたら、もう解決の道は閉ざされる。次の世代に過大なツケをまわして、ごみの逆ユートピアを待つことになる。