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環境の過去と未来
──日本列島再生論

www.kcn.ne.jp/~gauss/env/japanresurrection.html

月刊 『生活と環境』 03年1月号
別処珠樹

田中角栄元首相が 『日本列島改造論』 を発表したのは1972年6月だった。それから30年。資本主義経済の行き詰まりが多くの人によって語られ、グローバル化が貧困国に与える深刻な影響に激しい抗議の声が上がる。環境問題解決の難しさも、最近では経済とのつながりで考えられるようになってきた。

70年代当時とくらべ環境政策に進展はあるものの、地球サミット・京都議定書などの試みは功を奏しているとは言いがたい。日本列島だけでなく地球全体の生態系が疲弊し、環境と経済の再生には新しいシステムが絶対に必要だと多くの人たちが感じている。

そこへ01年から 「社会フォーラム」 の運動が世界中にひろがり始めた。暗い世相に希望の光がさす。

●生態負荷量が限界を超えた

人類が地球生態系にかけている負荷は、すでに受け入れられる限度を超え、生態系を元にもどすことができなくなった。資源やエネルギーを消費し廃棄物を出して環境に与えている1年間の負荷を生態系が回復するのに、今では1年3か月が必要だ──。

こんな報告書を2002年の11月にアメリカのNGOが出した。調査にあたったのはカリフォルニア州に本拠をおく 「進歩の再定義」 という団体で、国連食糧農業機関(FAO)などのデータで計算した結果を 「各国の生態負荷」 としてまとめている。

ひとりの人が環境に与える負荷を、その回復に必要な土地の面積で表示する。それぞれの国が環境を再生産するために提供できる能力も面積で示すと、地球全体の平均で、次のような数字になる(データは99年のもの)。「生態負荷量2.3ヘクタール、生態許容量1.9ヘクタール」。

1人当たり年間に2.3ヘクタール分の負荷をかけている。地球が支えられるのは1.9ヘクタール分だけだ──そういう意味になる。1年間に0.4ヘクタール分はすでに過剰である。この計算が正しければ、地球の生態系は95年ころを境にして再生産できなくなり始めたことになる。国ごとに過剰量を計算すると、1位がアメリカ、続いて日本、中国の順だ。人口のわりに日本が与えている負荷はきわめて大きい。これをどう減らしていくのか、次の世代がになうべき課題は重い。

●原油の生産量が減少に転じた

石油について詳しい統計を出しているアメリカ地質調査局によると、01年に世界中で石油の需要量が生産量を超えた可能性がある。二酸化炭素排出量抑制などの取りくみにもかかわらず石油の需要が増えつづけ、ついに生産量を上まわったらしい。経済への影響からすると、原油が枯渇する時期よりも、需要が生産を上回る時期が重要だと地質調査局は考え、これを 「大反転」 とよぶ。「大反転」 が起きると、その後は自然のなりゆきとして原油価格が上昇する。対策を立てないと、経済への影響は計り知れない。

世界最大の石油消費国アメリカはどんな戦略をとろうとしているのか。いわずと知れたイラク攻撃である。フセイン政権が倒れてアメリカの言いなりになる政権が誕生すれば、潤沢で安価なイラク原油にたいする支配権を確立できるというわけである。日本もそのおこぼれにあずかろうとしているが、そうしたととろで数年後には厳しい石油情勢がやってくるのを避けられないだろう。

この課題を解決するために何をしなければならないかは、すでに分かっている。分け前にあずかることは問題の先送りにすぎない。石油に依存する割合を減らし、資源の巨大なムダづかいを少なくする必要がある。そうしなければやがて生活が本格的に行きづまるだけでなく、合成化学物質や重金属などの有害物質が過剰に蓄積する。緊急の課題は、そうならないよう今から道筋をつけておくことだ。これは日本だけの課題ではない。

●日本には方向転換できる条件がある

世界の株式市場をみると、ほとんどが2000年の初めを天井として下降線を描き、いまも世界同時株安を続けている。ところがこれとは違った動きをしている国がある。ほかでもない日本である。日本の株式は90年のバブル崩壊から丸12年にわたって一貫して下げ続け、すでにかなり整理が進んだ。新しい方向を模索できる段階に達していると考えてよい。

日本が歩みだせる新しい方向とは何か。石油依存を減らすことがまず先決である。それは同時に資源利用の方向を転換することでもある。これまでのように、あとさきを考えず資源をぜいたくに使うことはできない。すでに 「循環型社会」 に向けて努力が始まっているというが、現実には廃棄物の量が減っていない。産廃処分場の惨状には目を覆うものがあり、「循環型」 は絵空事である。

したがって、ここで思い切った政策転換をする。石油依存率を大幅にへらす政策をとる。エネルギー消費を減らすために可能な政策を採用する。プラスチックなど合成化学物質にたいする依存を減らす道筋をつける。一言でいうと、日本列島の 「環境再生」 を国の目標としてかかげる。EUはすでにこの方向に歩み始め、成果はまだまだであっても、すでに道筋をつけつつある。

今、確かな目標を若者がもてない状況になっていると言われる。その目標を環境再生に置くわけである。日本の山河は、いたるところでずたずたに破壊された。例えば河川。コンクリート三面張りの水路ばかりを見るのは悲しい。これを完全に復元することはできないだろうが、自然に近い川を復元しようとする試みが色々と出てきている。

手にしてきた便利さを簡単に捨てることはできないから、単純に昔の生活に戻せと主張しても意味がない。日本列島に優れた環境を一から作り上げるつもりで事業にとりくむ。これは私のユートピアじみた空想ではない。すでに世界がその方向に進む予兆が現れている。それを概観しておこう。  

●海外の状況

世界史の転換点を思わせる巨大なデモが世界の主要都市に広がっている。02年9月から11月にかけて、米ワシントン20万人、英ロンドン40万人、伊フィレンツェ100万人という街並全体を埋めつくすような大行進が行われた。戦争が始まる前にこのように大規模な抗議行動が行われた例は過去にない。何がおきているのだろうか。

これらのデモは直接にはアメリカのイラク攻撃政策に抗議するものだが、根っこには経済のグローバル化にたいする批判がある。インターネットを通じて情報が世界をかけめぐり、いち早く貴重な情報に接することができるようになったのは、たしかにグローバル化の明るい一面である。たとえば、世界のNGO間で連絡を取り合うのに電子メールが活躍している。

だが一方で貧しい国と富んだ国との格差は信じられないほど大きい。世界人口基金は格差がさらに広がるだろうと報告している。インターネットの例でいうと、世界平均の1%にも満たないホスト数の国々が世界の4割だという。

また、世界の環境が一向によくならず、依然として汚染と破壊が続いていることを示す報告が後を絶たない。アメリカの使用済みコンピュータに含まれる鉛などの有害物で、中国の農村が激しく汚染されている実情が明らかになったのは昨年だった。不要になった農薬がアフリカ各地に捨てられていた事件もあった。いずれも先進国の強引な経済運営がもたらしたものである。こうした現状に対するいらだちがデモの底流にある。

フィレンツェのデモについて事前にアメリカ国務省が警告を出した。10月31日付けの警告文はおよそ次のように書いている。──11月6日から10日までフィレンツェで 「欧州社会フォーラム」 が開かれる。9日のデモ行進は参加者が10万人を超えると見込まれる。01年のジェノバにおけるG8の際のデモでは死者が出るなど混乱した。今回、主催者側は平和のうちに行進するというが、観光客などは警戒を要する──国務省がこのような警告を出すのは異例で、ヨーロッパ大衆が穏やかながら体制を揺るがす可能性を見せ始めたことに強い警戒感を持っていることがうかがえる。欧州社会フォーラムとは何か。なぜこれだけの人たちが集まったのか。

●グローバル経済体制と抗議運動

毎年スイス東部のダボスというアルプスの山村で 「世界経済フォーラム」 が開かれてきた。このフォーラムは71年から開かれているもので、初めは多国籍企業のトップなど経済エリートの会議だったが、その後、先進国の首脳も参加するようになり、資本主義経済体制の中心を担う会議の一つになった。

98年ごろ、世界の富裕国のあいだで投資を自由化する 「多国間投資協定」 が検討された。しかし金融取引による市場の混乱を懸念する声が出て、フランスが協定から降りる騒ぎになった。これをきっかけに98年にパリで結成されたのが 「アタック」 という国際運動団体(01年には日本支部も誕生)である。投機的な金融取引が、実体経済を超えてはるかに大きくなり、一説によると今では金融取引が9割・実体経済が1割といわれる。アタックは、過大な金融取引が各国の経済を破綻させるほど大きな影響を与えている現状を批判し、金融取引への課税を求めるとともに、新しい経済のあり方を模索しはじめている。

これとならんで、グローバル化の推進機関である世界貿易機関(WTO)・世界銀行(世銀)・国際通貨基金(IMF)などの活動が貧困国の債務をふくらませ、国々のあいだの経済格差を大きく広げる原因になっていることがきびしく認識されるようになった。そのため、こうした国際機関が会議を開くたびに大きな抗議デモが行われるようになった。

例えば99年12月にシアトルで開かれたWTO閣僚会議は、不満の声を上げる多数の途上国政府と5万人の抗議デモに攻撃され、失敗に終わった。また00年4月のワシントン世銀・IMF会議には3万人が抗議に集まり、同年9月のプラハ年次総会は2万人のデモで流会した。こうした動きは、資本主義経済のグローバル化に反対する勢力が次第に成長してきたことを示している。

●社会フォーラムの成立

グローバル化した資本主義経済の問題点を追求していくと、いくつもの課題が浮かび上がる。民主主義のあり方を見直すこと、石油依存の生産システムをあらためること、金融取引の弊害を取り除くこと等がそれだ。

そこで新たなシステムを構築する運動が提案され始めた。01年1月、アタックの提唱で各国の市民運動が合同し、南ブラジルの大西洋岸にあるリオグランデ・ド・スル州の州都ポルトアレグレで第一回の 「世界社会フォーラム」 が開かれた。合言葉は 「もう一つの世界が可能だ」 というもので、世界から1万6000人が集まった。同州は労働党が政権をとり、州都ポルトアレグレも労働党市長の優れた行政で知られる。参加型の民主主義を原則とし、職員の給与をさし引いた残りの予算を各地域の運営にゆだねている。参加型民主主義の成功が、フォーラムの主催地に選ばれた大きな理由だった。

1年後の2002年1月末、ポルトアレグレ市で第2回の世界社会フォーラムが開かれ、5万人が集まった。大きな集会になったのはなぜか。その要因となったのは01年9月11日の事件である。資本主義経済にもとづく世界が不安定さを顕わにしたため、新しいシステムの必要性を痛感する人々が世界中から駆けつけた。脱資本主義の経済として参加型経済が模索され、書物の発行も計画されている。

昨年は、世界各地で地域別フォーラムを開催する方針が確認された。欧州社会フォーラムはその一つで、02年11月にフィレンツェで初めて開催された。4日目にフォーラム参加者と一般市民がともに行進し、100万人と報じられた。宣言文はいう。「ヨーロッパはネオリベラリズムや人種差別に反対する。ヨーロッパは社会正義と人権を求めて戦争にも反対する。イラクを攻撃してはならない」。

欧州以外で地域フォーラムの開催を決めているのはアフリカ、アジア、汎アマゾン、地中海の四地域だ。小さな地域フォーラムも世界各地で無数に開かれている。シドニー、ザルツブルク、ボローニャ、ハイデラバード、ニューヨークなど枚挙にいとまがない。イタリアでは実に160の社会フォーラムが立ち上がっている。世界は変わり始めた。

●環境の再生と共生の経済

行き詰まった現在の資本主義経済にかわるあたらしい経済システムを模索した先駆的な例として、ポール・ホーケンらの 『自然資本の経済』(99年、邦訳は01年、日本経済新聞社)がある。冒頭を引用しよう。

「都市から自動車とバスの騒音が消え、車から吐き出されるのは水蒸気だけ、不要になった高速道路が公園と緑地帯に生まれ変わる。・・ゴミの埋め立て地は数少なくなり、世界中で森林が増加し、ダムの解体が進められている。二酸化炭素の大気中濃度は二○○年ぶりに減少しはじめ、工場廃水は使用前よりも澄んでいる。工業国では資源の使用量が八○%も減るが、その一方で生活の質は改善される。」

そのためには前提がいくつかある。世界社会フォーラムで検討された考え方も参考にしながら列挙してみよう。

まずこれまでの資本の概念に代わって、自然生態系を資本とし、ここに投資して再生する考えを基本にすえる必要がある。はじめに書いたように、生態負荷の過剰がすでに始まっている。経済活動の余剰分を生態系の再生にまわす。できるだけ早く過剰を克服しなければならない。すべてがここから始まる。

たとえば廃棄物をどうするか。利益をあげ、資本を蓄積することが目的だと、廃棄物のことが二の次になる。廃棄物処理の費用は常に切り詰められる。二酸化炭素の排出や資源の使用量についてもおなじことがいえる。

共生型の企業では、廃棄物をどうするか、資源をどのように使うかが第一の課題だ。生産過程よりも、資源の入口と出口をまず考える。そのため経営に消費者も参加する。廃棄物や有害物処理の費用だけでなく、生産物が社会に与える負荷をできるかぎり生産物価格に含めるようになる。これは廃棄物の発生しにくい製品作りや、環境負荷の小さい生産過程を目指すよう促す。

次に重要なポイントは企業の意思決定システムである。社会フォーラム運動が目指す経済のシステムは「参加型経済」または「共生の経済」とよばれる。資本主義経済が原則としてきたのは、利潤の追求にもとづいて生産企業が生産物とその生産量を決めるシステムだった。そのためピラミッド型の組織が企業活動の大半を占めてきた。しかしこのシステムがすでに限界に来ていることが認識され始めている。記者会見で頭を下げる経営陣の姿をどれだけ眺めてきたことだろう。

参加型の経済では、全員参加の組織が目指される。決定された意思が上から下りてくるのではなく、労働者の協議会、消費者の協議会など重層的な協議会組織で民主的に意思決定が行われる。経営内容が全員に公開されるのはいうまでもない。合意のもとに、効率のよい運営をするためには、どのような方法をとればよいか。それもまた組織の追求目標となる。社会関係という資源も参加型経済がめざす活動目的の一つである。

もう一つ重要な点は、多極分散だ。巨大な企業が世界を制覇する時代はやがて終わりを告げる。資源とエネルギーのムダがあまりにも大きいことがわかってきたからだ。共生=参加型の経済では、それぞれの地域が必要な生産物をできるかぎりその地域で生産する体制に移行する。そうであってこそ、重要な決定に消費者も参加する意味がある。

多極分散のためには、地域通貨が大きな位置をしめるようになる。場合によって、使うほどに価値が下がる 「減価する貨幣」 が使われるようになる。こうなると金融取引は意味をなさない。地域通貨による取引が普通になれば、これまで巨大企業の製品が独占していた領域が地域に開かれるようになり、地域経済が活性化する。いままで眠っていた人的資源が大きく活用されるようになり、女性や老人が低賃金にあえぐこともなくなる。

最後に、石油などいわゆる 「化石燃料」 への依存を最小限にするシステムを作りあげる必要がある。容易ではないが、今後の社会の大きな目標となる。もう一つの世界で若い世代、次の世代が力を発揮できる領域はかぎりなく広い。

●美しい日本列島を復活させるために

消費第一の社会では、どんな商品を手に入れたかが重視される。私の欲望を第一とするミーイズム(me-ism)の世界である。しかし、ものが溢れるだけでは充実感がないのは多くの人が経験したことだ。人が求めるのは商品ばかりではない。身のまわりの環境であったり、健康であったり、自己実現であったり、あるいは精神的な充足感であったりする。今後の社会は地域の社会関係が重視されるユーイズム(you-ism)の世界に変わるだろう。

私たちの身体をとりまく細やかな環境も重視されるようになる。コンクリート三面張りの水路になった川を生き返らせたい。セメントでかためた海岸に再び白砂を蘇らせたい。だれも手を入れなくなった里山に豊かな野草を復活させたい。殺風景な駅前広場に小鳥たちのさえずりが集まる木立ちを作り出したい。各地にある小京都の美しい街並みを復活させて後世に伝えたい──思いはどこまでも広がるだろう。

今年は日本にも数多くの社会フォーラムが誕生し、環境再生や新しい経済について議論が高まるのを期待したい。

小泉さん、あなたの任期中に 「日本列島再生論」 を発表したら、これこそ美しい日本にふさわしいと世界中から見直されますよ。考えてご覧になりませんか。

Copyright: Tamaki Bessho 2003


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