はじめに
環境局はこの問題に強い関心をもっている。環境を守り、よりよい環境をつくるという主な目標に深くかかわってくる可能性があるからだ。汚染を防ぎ管理する特別の任務と権限もある。これに直接関係するものとしては、イギリスと欧州* の水質汚染管理に関する法令、主な産業過程の「統合的汚染管理」(IPC)に関する法令がある。
環境局には、環境資源の一部を管理し、資源にたいする社会のニーズと環境保護のあいだに持続可能なバランスを保たせる責任がある。そのため、環境に内分泌撹乱物質が存在することは、水資源と淡水水産を管理する任務を果たすうえで特に重要な意味を持つ。また、「環境汚染の状況について意見を形成する」 ため環境局自体や他の情報源から情報を集める特別な任務をもつ。そのため科学上の議論にこれまでも注目してきたし、環境管理にかかわる分野では、共同研究プログラムに貢献してきた。このような活動を通して、どの物質に問題があるのか、どのような危険を環境にもたらすのか、汚染防止と管理にかかる経費・損失はどれほどかについて、公平な見方ができるよう努めている。また内分泌撹乱物質の問題は、環境と化学物質の問題全般に関する政策を進めていくなかで検討しなければならない。この問題は国内・国外を問わず、いま広く公開の場で討議されている。化学物質を持続可能な方法で利用できるよう環境運輸地方省(DETR)* がたてつつある新しい対策を補佐することで、環境局はこの問題に貢献している。
環境局自身ができることには限界がある。各種の団体で責任ある活動をしている数多くの人々が内分泌撹乱の問題にかかわっている。たとえば環境局は、化学物質の生産・消費と使用を許可する第一次的な責任を持たないから、環境管理の役割に直接かかわる問題点だけをこの報告書では集中して論じている。しかしその問題点自体は、必然的に他の省庁の責任にもつながり、(各行政機関が)個別に対応することはできない。この報告書は、内分泌撹乱性を持つ環境物質の問題と、生態系に与える危害を防ぐためにどのような施策が講じられるべきかという問題を主に扱う。国民の健康問題には特にふれないが、内分泌撹乱物質を環境媒体から人間が摂取していることに必ず触れることになる。水道水質試験所(Drinking Water Inspectorate)・農水省(MAFF)・厚生省(DoH)など他の行政機関には、飲料水の水質と食品の安全性を管理する直接の責任があるし、公衆衛生の諸問題についても責任がある。
手に入る資料を検討してみれば、この問題に関する科学的知見が広がりつつあるのは明らかだが、決して完全だとはいえない。まだよく分かっていない点があるから、必要に応じて被害防止の施策を実行するとともに、これとバランスをとりながら、欠けている知見を埋めるために絞りこんだ研究を続けることも必要である。現状では適切なバランスを見つけるのが容易でない。そのため施策を最終的に決定する前に、環境局は外部からの意見を求めている。
どのようにして化学物質がホルモン系の機能を妨げるのか、関連する物質の種類にはどんなものがあるのか、どんな影響が報告されているのか。これらについて分かっていることがらを要約し、以下に報告する。そして、優先取り組み物質に対してどんな方法がすでに講じられているか、また今後どのような施策が必要かを検討する。特に意見を歓迎する問題は本文全体と結論に述べている。
内分泌撹乱物質とは何か。
動植物の成長・維持・生殖の機能にとって内分泌系は欠くことができない。多様な化学メッセンジャーが複雑な網の目をなしており、特定のレセプターと相互作用して内分泌系が働く。物質と内分泌系との相互作用が完全には解明されていないこともあって、内分泌撹乱物質とは厳密には何を意味するのか科学的な議論が続けられてきた。96年12月、ウェイブリッジで開かれた 「ヒトの健康と野生生物に及ぼす内分泌撹乱物質の危険性に関する」 欧州ワークショップで合意を見た一般的な定義をあげよう。「内分泌撹乱物質とは、本来の(組織片ではない)生物または子孫の内分泌機能に悪影響を与えるため、健康にとって有害な外因性物質である」。
ある種の物質はレセプターと相互作用できるので、ホルモンの体内活動と合成を妨げ、内分泌系がコントロールしている生理作用を破壊する。破壊が生じる道筋は色々ある。物質が疑似ホルモンとして働き、レセプターと結びついて反応を引き起こすかもしれない(疑似ホルモン効果 agonistic)。あるいはレセプターと結びついて、天然ホルモンが正常に反応するのを妨害するかも知れない(抗ホルモン効果 antagonistic)。その他に考えられる効果としては、天然ホルモンやレセプターの生成過程をその物質が妨げる可能性、体内循環からホルモンやレセプターを取り除く過程を妨げる可能性があげられる。生体外の物質が複数のホルモン系と相互作用し、同時に複数の作用を引き起こす可能性も認められる。このように内分泌撹乱の機構は複雑である。
17β-エストラジオールなどエストロゲンと呼ばれる天然の女性ホルモンには、動物を雌性化する効果がある。物質の中にはこの効果を模倣したり妨害したりするものがある。この種の働きはそれぞれ 疑似エストロゲン作用 (estrogenic)、抗エストロゲン作用 (anti-estrogenic) と呼ばれることが多い。テストステロンなどアンドロゲンと呼ばれる天然の男性ホルモンには、動物を雄性化する効果がある。物質の中にはこの効果を模倣したり妨害したりするものもある。この種の働きはそれぞれ 疑似アンドロゲン作用 (androgenic)、抗アンドロゲン作用 (anti-androgenic) と呼ばれる。今までの研究は性ホルモン系の破壊に注目していたが、科学的な議論は近ごろ広がりをみせ、他の内分泌系、例えば成長と行動に関与する脳下垂体ホルモンや甲状腺ホルモンなどへの影響の可能性にも及んでいる。
動物の行動様式は多様なので、いくつもの環境物質が混合したものに同時にさらされる可能性は高い。したがって、化学物質の組み合わせによって色々な影響が内分泌系に出るのではないかと推測されてきた。しかし情報は極めて限られており、研究室で条件をコントロールして実験しても、すべての影響を再現することはできない。
内分泌撹乱作用があると報告されている物質の種類は多様で、研究が増えるにつれて広がりつつある。内分泌撹乱の可能性がある物質の数は非常に大きなものになりうる。環境に広く散布され、時として長時間にわたり存在し続け、動植物の組織に蓄積される物質もある。今までに指摘されてきた物質の主要なカテゴリーを、表1 にあげる。これらの物質は大きく二つのタイプに分けられる。天然物質と人工物質である。疑似エストロゲン作用のある天然物質が人間の活動によって (例えば下水道施設などで) 高濃度に集積されると、野生生物の内分泌系を破壊すると報告されている。人工物質はいくつかの種類に分けられる。あるものは特定の目的で意図的に環境に散布される (農薬など)。工業生産やごみ処理の副産物として環境にまき散らされる (ダイオキシン等) ものもある。工業分野によっては、汚水処理の過程から環境に排出される (羊毛の製造におけるアルキルフェノール・エトキシレートの使用など) こともある。環境への排出源と排出経路がこのように多様であるため、後でも論じるように、様々な防止策や管理策を講じることになる。
どんな証拠によって、内分泌撹乱物質が
環境に影響を与えているといえるか?
内分泌撹乱の影響を調べるため、広い範囲の物質について数多くの研究がおこなわれた。生きた動物を使ったり(生体内で)、生きた組織から特別に培養した器官や細胞を使って (試験管内で)、ほとんどが実験室でおこなわれたものである。その結果、様々な反応が報告された。関係のありそうな物質を同定したり、環境への放出によってどんな影響がでるかを予測するのに、この結果がたいへん有用であった。最近の例をあげると、疑似エストロゲン作用のある物質が家庭排水に含まれているので、同定研究のプロジェクトに環境局が資金供給した。エストロゲンや疑似エストロゲン物質があると特異な反応を示すように遺伝子操作した酵母を使った実験もあった。下水処理施設の放流水を数ヶ所採水して試験したところ、3種類の物質が同定された。エストロン、17β-エストラジオールという2種類の天然ホルモンと、合成ステロイドのエチニル・エストラジオール(避妊用ピルの成分)だった。この研究の結果は、野生魚の個体数が減る原因が何なのかを理解し、説明するのに役立つ情報だった。
実験室での研究は数多いのに、内分泌撹乱が環境に与える影響の原因や範囲について信頼できるフィールド調査は少ない。しかし限られた報告の中にも、内分泌撹乱化合物の局所的な放出に伴い、野生生物の生殖異常がおきていることを示す確かな証拠を見いだすことができる。ほとんどは水中または水辺に生息する動物への影響に関するもので、陸棲動物への影響はほとんどわかっていないようだ。報告されている影響は、血清蛋白質の変化から始まり、生体器官の構造と機能の永久的な変化にまで及んでいる。
汚染の影響がイギリスの野生生物にも及んでいて、最も衝撃的だった例の一つは、ヨーロッパチヂミボラ(dog whelk 貝の一種)の「インポセックス」が海岸周辺で確認されたことである。メスがオスの性質を獲得していて、そのことがメスの産卵を物理的に妨げる。80年代の末までに、この状況は広範囲に生じていることが分かった。海草などの付着による汚れを防ぐため、TBT(トリブチルすず)を船に使ったのが原因であることも明らかになった。TBT防汚剤入りペンキを小舟に使用するのを禁止したことによって、ヨーロッパチヂミボラが復活の兆しを見せている地域もあるが、完全に元の個体数にもどるには長い年月がかかるものと考えられる。それは、TBTが環境中に残留して少しづつしか分解しないことや、自然界での再繁殖が非常にゆっくりしていることによる。まったく消失してしまった地域は特に時間がかかる。
北ロンドンのリー(Lea)川で、ローチ(roach 雑魚の一種)のオスが部分的にメス化しているのも見つかった。よく調べてみると、オスの約3分の1が影響を受けていることがわかった。イギリス国内を流れるリー川以外の川でも魚をかごに入れて実験したところ、下水処理場の放流水と関連があるという結果がでた。ヨークシャーのエア(Aire)川では、織物工場で使う洗剤のアルキルフェノール・エトキシレート(APEs 界面活性剤)を含んだ放流水が下水処理施設から出ていて、その下流でメス化が高頻度でおきていることが、詳細な調査の結果わかった。
環境局は野性魚の「間性」状態(オスとメスの特徴を同時にもつ状態)がどこまで及んでいるかに関する研究を支援し続けてきた。オスについては、精巣に卵をつくる細胞(卵母細胞)の存在、精巣の成長速度や大きさの低下、メス生殖管の存在、肝臓の肥大、メスが卵をつくるのに関係しているビテロゲニンという蛋白質の血中濃度の増加など、様々な異常が報告されている。数多くのイギリス河川で最近実施した詳細なローチの調査により、当初考えていたよりも広い範囲で間性状態が生じていること、それが下水処理場からの放流水に関連していることが確認された。
海では、タイン(Tyne)川・マーシー(Mersey)川・ソルウェイファース(Solway Firth)川の河口で、オスのヒラメ(flounder)にメス化の兆候がみつかっている。
他には、アメリカ・フロリダ州のいくつかの湖で、ワニとカメに広い範囲で生殖異常があり、これが農薬 DDT の分解物による汚染と関連している、という報告がある。アメリカでは、カモメやメリケンアジサシ(tern)に卵が少なくなった、メス同士のつがいが見られたなど、オスのメス化の証拠があり、農薬が環境に存在していることと関連があると考えられる。
個々の動物の異常が、野生生物の個体数に今後長期に渡ってどのような結果をもたらすかは、よくわかっていない。しかし、個体数の変化が記録され続けているし、そのうちあるものは (例えばトリブチルすずが軟体動物の個体数に影響したように) 内分泌撹乱物質にさらされたために生じたことが分かっている。
環境局の考え――
内分泌撹乱物質による環境汚染の現状
広い範囲の物質が潜在的に内分泌撹乱性をもっていることは明らかだ。それぞれ色々な経路で環境に入り込んだり通過したりしている可能性がある。強い影響を現すものがあることも明らかになってきた。野生動物に与える影響を詳しく調べた例 (野生魚の個体数に関する最近の調査など) を見ると、生殖異常がこれまで分かっていたよりもずっと多いことを示す証拠がある。しかし、この観察結果が生態系にどんな意味合いがあるのかは、よく解っていない。こうした化学物質の中には(下水処理水中の天然ステロイドや合成ステロイドなど)水生生物が長い年月さらされてきたもの がいくつかあると考えられる。そこで、この新しい問題を歴史的な背景をふまえて考える必要がある。
これはイギリス独自の問題ではない。私たちの環境で起きている内分泌撹乱の特性や範囲・原因を理解するため、世界中で数多くの研究が行われている。化学物質の検出法やスクリーニング法を確立するプログラムが国際協力のもとに組まれ、この新しい試みにイギリスが重要な役割を果たしている。この仕事は継続しなければならないが、さらにいくつかのステップが必要になると信じる。そこで同時進行のやり方を提案したい。第一に被害防止の特別施策を数多く行い、第二にこれに加え、将来の政策決定に役立つ科学的全体像をより鮮明にするため、的確な研究と環境モニタリングを行うことである。