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ロバート・フィスク
われわれが落とした爆弾で、
彼らが苦しむ

英インデペンデント紙、3月23日、荒井雅子・訳
www.kcn.ne.jp/~gauss/jsf/fisk.html

2003年4月13日


ドナルド・ラムズフェルドによれば、バグダッドへの米軍の攻撃は、「今までに存 在したどんな空爆作戦よりも精密だ」 という。だが、5歳のドーハを前にしてはとて もそんなことを言えないはずだ。鼻に点滴の管をつけ、小さな顔をひどく不機嫌にし て、動かない体の左側を動かそうとしながら私を見るドーハ。バグダッド郊外ラドワ ニエの家の近くに着弾した巡航ミサイルの破片が、ドーハの両脚(ガーゼで巻かれて いる)にも、さらに深刻なことに背骨にも刺さった。そして左脚が全く動かなくなっ てしまったのだ。

母親はベッドにかがみこんで、ドーハが毛布をはいでばたばたさせる右脚をまっす ぐにしてやる。なぜかわからないが、母親は、2本の脚がまっすぐそろっていれば麻 痺がよくなると思っているようだ。ドーハは、金曜の夜にバグダッドへの米軍の攻撃 が始まったあとアル・ムスタンサニヤ大学病院に運び込まれた負傷者101人の最初の 一人だ。家族7人が負傷した。1歳の末っ子はおっぱいを飲んでいたところだった。

病院を取材するのは、恥ずかしく腹立たしい。われわれが爆弾を落とし、彼らが苦しむ。 そしてまたわれわれが現れて、傷ついた彼らの子供達の写真を撮る。イラク保健相が 、米軍の攻撃の野蛮さを強調するために病棟の外で行うことにした記者会見は、堪え 難かった。米軍は子どもを傷つけるつもりはないと言う。一方で、ドーハがいる。ド ーハは安心したくて医師や私を見る。悪夢から目覚めれば脚も動くしどこも痛くなく なるかのように。

フセイン政権の安っぽいプロパガンダも、安っぽさという点では少しもひけを取ら ないラムズフェルド、ブッシュ両氏のお説教もこのさい忘れて、アル・ムスタンサニ ヤ大学病院の中を回ってみる。戦争の現実は究極的には、軍事的勝利や敗北ではなく 、また英米の 「埋め込まれた」 従軍記者たちが日々広めている 「同盟軍」 についての うそ八百でもなく(同盟軍と言っても、米英軍と一握りのオーストラリア軍しか関わ っていない侵略だ)、まず何よりも苦しみにまつわるものだからだ。それは、たとえ 戦争に国際的な正統性があった場合でもかわらない。この戦争にはその正統性はもと よりないのだ。

50才の農婦、腕と脚に入れ墨のあるアメル・ハッサン、今ベッドに横たわるアメル の肩に大きな紫のあざがあり、肩は2倍に腫れ上がっている。米軍の1発目のミサイ ル攻撃を受けたとき、アメルは娘を訪ねるところだった。「ちょうどタクシーを降り ようとした時、大きな爆発があって倒れ、そこら中血だらけでした。腕も脚も胸も」 胸にはまだ多数の破片による傷が残っている。

隣のベッドに寝ているアメルの五歳の娘は、もうタクシーを下りていて、家の玄関 のドアのところにほとんど着きかけた時に、爆発になぎたおされたのだ。つま先のあ たりの血は固まり、くるぶしと下肢を包んでいる包帯で止められているが、脚からは まだ出血している。隣の部屋には2人の少年がいる。サデ・サリム11歳と兄オマー ル14歳。脚と胸に多数の破片による傷。

その又隣の部屋のイスラ・リアドもほぼ同じ傷だが、彼女の場合は大空爆が始まっ た時こわくて部屋から庭に走り出たので、脚に破片の傷がある。23歳のイマム・アリ は腹部と下腹部に破片による傷。ナジラ・フセイン・アバスはこんな時でも黒いスカ ーフで頭部を覆おうとしているが脚の紫色の傷は覆うべくもない。多数の破片による 傷。こうしていると 「多数の破片による傷」 というのが自然にかかってしまう病気か 何かのように聞こえてくる。20年以上も戦争に苦しんできた人々にとってはそうなの だろうか。

そしてこのすべてが同時多発テロのためなのか。これらすべては、われわれを攻撃 した者たちにしかえしをするためなのか。だが、この人道に対する犯罪に、ドーハも ワヘド・ハッサンもイマム・アリも、関係がない。全く何の関係もない。非道のサダ ムが関係がないのと同じだ。9月11日のために、この子どもたちが苦しまなければい けないとだれが決めたのか。

戦争は繰り返す。いつでも 「われわれ」 は、われわれが爆弾で攻撃した人たちの ところに行って同じ質問をする。1986年のリビアで、アメリカ人レポーターが負傷 者に聞いて回っていた 「自軍の対空砲火の破片にあたったのではないのか」 と。1991 年イラクでも、「われわれ」 は負傷したイラク人に同じ質問をした。そして、昨日、 イギリスのラジオのレポーターに質問されている医者がいた。もうおわかりだろう。 「先生、イラク軍の対空砲火の破片にあたった人がいるかもしれないと思われますか 」。

これは笑うべきことなのか、嘆くべきことなのか。われわれはいつまで負傷者自身 に彼らのけがの責めを負わせようというのか。われわれがするべき質問は、「なぜ、 空母キティホークからの巡航ミサイルがバグダッドだけでも320発も、こんなところ に落ちたのか」 ということだ。

イスラ・リアドの出身地区サヤディイェには大きな兵舎があった。ナジラ・アバス の家があるリザレにはサダムの家族の邸宅がある。セリム兄弟の住んでいたシルタ・ カームゼには軍用車両の格納庫があった。しかしそれだけだ。攻撃目標は町のいたる 所に点在していた。昨日会った負傷者たちはみな、安普請の家(中には木造の家もあ る)に住んでいた。家は爆風で崩れ落ちた。

語り古された同じ話だ。戦争をすれば、「民間人に気をつける」 などといくらご託 を並べても、何の罪もない人々を殺し、一生癒えない障害を負わせるのだ。

ハビブ・アル・ヘザイ医師(外科フェロー資格をエディンバラ大学で取得している )によれば、207人にのぼる攻撃による負傷者のうち、この病院に運び込まれた101人 についてみると、このうち兵士は16人、85人は民間人で、うち20人が女性、6人が子 どもという。青年と12歳の少年が手術中に死亡。この攻撃で何人の兵士が殺されたか だれもわからない。

昨日バグダッド市内を走るのは陰うつだった。攻撃目標は実に注意深くねらい撃ち されていた。目標を破壊すれば、どうしても民間人に被害を与えてしまうとしても。 大統領宮殿の一つでは、四隅に40フィートもあるアラブの戦士サラディンの像(顔は もちろんフセインの顔をしている)が立っていたが、ちょうどその間にある建物の正 面に大きな穴が黒々と空いていた。空爆兵器省は跡形もなく瓦礫の山と化していた。

しかし、外の門のところでは、土のうが積み上げられ、びしっと軍服を着込んだイ ラク軍兵士が、敵の手から兵器省を守ろうとその上に機関銃を構えていた。敵はもう 兵器省を破壊してしまっていたというのに。

朝になるとチグリス川沿いの道路に交通が戻ってきた。車を走らせながら、対岸の 大統領宮殿やまだ燻っている兵器省に注意を払う人はだれもいない。建物は最初のミ サイル攻撃のあと12時間も燃え続けた。燃え上がる宮殿や兵器省、燻る瓦礫の山が 、バグダッドの日常のあたりまえの一部であるかのようだ。しかし、こうしたものを 見続けたいと思う人はだれもいないはずだ。

こうしたすべてを見ながら、イラク人はその意味に気付いている。1991年、米軍は 、製油所、送電系統、水道管、通信網を攻撃した。しかし昨日、バグダッドはまだ機 能していた。電話もインターネットも使えたし、電力もいつも通り供給されており、 チグリスにかかる橋も爆撃を受けていなかった。もちろん、米軍が街に入った時(「 入ったら」 という言い方には神経質になる)、通信システム、電気、交通が機能して いることが必要だからだ。攻撃を免れている設備は、イラク人への贈り物ではない。 それは、イラクの新しい支配者になる人たちのためにとっておかれているのだ。

イラクの新聞は、きのう、4ページだけの版で発行された。国民の揺るぎない信念 についての記事ばかりだ。アラビア語で、「揺るぎない信念」 は 「スムード」 という 。戦争突入のためブッシュが国連査察官をイラクから退去させる前に、イラクが一部 破壊したミサイルの名前だ。新聞の見出しには 「大統領、勝利はイラクの手に」 と書 かれている。

米軍がテレビ局施設を破壊しようとしないのも、理由はやはり到着した時に使いた いからだ。金曜晩の爆撃の間、イラク軍の将軍が生放送で出演し国民に勝利を約束し た。その話の最中に、巡航ミサイルによる爆風が背後のカーテン越しに入ってきて、 カメラを揺らした。

  このすべてはわれわれをどこへ連れて行くのか。昨日の朝早く、チグリス川の対岸 に見たのは、大統領宮殿と兵器省の終焉だ。バグダッド中のあちこちに火の手があが り、空は煙りで低くなり、バトレスを持つ城塞のような宮殿の壁から一面に火が高く 燃え上がっているのは、まるで中世の城が炎上しているかのようだ。首都クテシフォ ンが破壊され崩壊したメソポタミア。何千年にもわたって繰り返された度重なる破壊 。クセノフォンがメソポタミアの南を、アレキサンダーは北を攻撃した。モンゴル人 はバグダッドを略奪した。カリフが、オスマン‐トルコが、イギリス人が来て去って 行った。そして今、アメリカ人が来た。正統性は問題ではない。ここには人を誘惑す るものがあるのだ。サダムはよくよく知っている。それは、特別な力、この古代文明 の地に敵をけちらして侵攻したイラクの征服者たちのだれもが誇示しようとした力と 同じだ。

昨日の午後、イラク軍はバグダッド市周辺で大量の石油に火をつけ、巡航ミサイル の誘導システムを誤作動させようとした。コンピューターに対抗する煙幕。ロンドン 時間の午後3時20分にまた空襲警報が鳴り始めた。そのあとに爆発音が続くのはま ったくわかりきっている。