有害廃棄物 ある環境主義者の見方
アラン・ワトソン(イギリス、94年11月) / 桑原晃・訳
産業界の意見に反して、環境論者は、有害廃棄物の取扱いに絶対的な完全性を要求してはいない。彼らはすべての有毒物質に対して、いわゆる 「金の原則」 を適用するよう主張しているだけである。約30億トロイオンスの金が、過去6000年間に採掘された。このうちのごく一部が、海に沈み、墓に埋められてなくなり、あるいは元に戻せないようになった。しかし、一般に金の廃棄物問題は世界のどこにも起きていない。今日、金は純度3ないし4ppmでうまく採掘されている。もっと低い純度でも、原石の破片から容易に回収されている。ナノグラムまで回収されている。
歴史的にいうと、金の本当の値うちは、値上がり続けている点にではなく、ほとんど値下がりしない点にある。社会が ”金の原則” を汚染源の企業に適用すれば、金の場合と同様に有毒廃棄物を放出しなくなるから、企業としての名声だとか、費用のかかる訴訟には関係がない企業であるという社会的信用、操業を続けることへの地域社会の同意など、その企業が大切にしているものを持ち続けることが可能になる。
我々が土中から掘り出して工場へ送り込んだ原料も含めて、すべてのものは、きっとどこかへ行くということを、皆は知っている。我々は原料をしばらくの間は、有用な製品に変える。しかし、やがて我々はそれを捨ててしまう。もしその有用な製品が危険な化学物質で出来ていたら、その化学物質を扱う労働者は危険にさらされ、購入した人々も危険にさらされる。そして、やがてそれらは捨てられ、土地、川や地下の水が汚染される。結局、全地球は脅威にさらされることになる。
今やほとんどすべての人が、災害など色々な形で我々の身近に来ていることを、ある程度は知っている。地球温暖化、オゾン層の破壊、大陸間の酸性雨、着実に増えているガンや喘息、脳を破壊する鉛によって汚染された多くの子どもたち、普通の価格ではきれいにすることが出来ない垂れ流しの多くの埋め立て処分場、隠れるべき安全な場所のない放射性粉塵の山など、明らかになっていることだけでもこれだけある。
例えば、もし産業が、危険な化学物質の使用を減らすなら、みんなが恩恵にあずかれる。企業それ自体は負担となる訴訟が減る。(ダイオキシン、PCB類、アスベストなどの化学物質は 「訴訟のもと」 として知れわたっている。)怒った市民たちが拳を握ることも減るし、政府の検査官がこそこそ見回ることもなくなっていく。工場労働者たちは仕事の上で有害物に曝されることも少なくなる。付近の住民はボパールで起きたような事故や、局所的に大気や水に日常的に放出される有害物の恐怖が減ることになる。人々は、大洋や大気、野生生物を養う地球など、環境一般に配慮することになり、もっと安らぐことができるようになる。
◎なぜ産業は変わらなければならないか?
有害廃棄物を排出する産業には色々な圧力が加えられているが、その圧力は主に大衆に非常に多くの情報が与えられることから発生している。調査は環境局のために行われ、今年のはじめに、多くの人々が関心を持っているテーマの 「川や海に投げ込まれた化学物質」 と 「有毒廃棄物の処理と搬入」 として出版された。両方の問題に、63%の人がとても心配していると言っている。この数字は1986年と1989年に行った調査よりも高い値である。広範囲に広がった環境汚染は、もはや受け入れられないというのが、大衆の声である。
産業と民衆の間の 「化学戦争」 が、最初にアメリカで起こったから、我々は将来の兆候をアメリカで探さなければならない。それは、産業が勝てる戦いではない。編み目状に根を張った芝生のように緩やかな広がりを持つ、毒物に対して環境正義を守るための運動を市民が作り上げた。その運動には色々な人たちが参加し、女性や母親たちの強い支持を受けている。(彼女たちは、子供や胎児を病院の処方箋にのらない化学物質に曝すことを決して認めはしない。)
新しい反毒物運動は、ニューヨーク州ナイヤガラ郡ラブキャナルに始まった。そこで1896年ウイリアム・ラブが上下のナイヤガラ川をつなごうとして、約2キロの運河を掘った。それは開通しないまま放棄された。1942年になって、ある化学会社が、放棄された運河をゴミ捨て場として使い、19,000立方ヤードの毒物をそこに埋めた。1950年代になって、その土地の所有権は、ナイヤガラ瀑布教育委員会に移り、ゴミの上に学校を建てた。1977年その運河に近い家の地下から、有毒物がしみ出ていることが分かった。はじめは不思議なことだと驚いたが、状況が分かるにつれて、驚き以上のものになった。248もの化学物質が検出され、その中の30は、胎芽や胎児に有害なものであり、18は催奇物質と推定された。少なくともそのうち34は発ガン物質であった。248の中100は、毒物としてのデータは何もなかった。1978年ニューヨーク州は運河に面した第1区域の家族に、高い割合で早産があることを発見した。当局は警告を発し、ゴミの上の学校を閉鎖し、そして235世帯を立ち退かせた。次の年、ニューヨーク州当局は、ひどく汚染されていると見られるラブキャナルの南半分の地区から、妊婦や2歳以下の子供のいる家庭を立ち退かせた。1980年5月、連邦政府はラブキャナルのすべての住民に、退去するように言った。何か問題があるのをはじめ認めなかった当局に、結論をつきつけて認めさせたのはその地区の住民たちであった。当局が次にやることは、住民への弁明であった。このパターンは反毒物運動では何度も繰り返された。
ここ数年の間に、化学工場、焼却場や廃棄物投棄場近くの住民は、国中の、さらには世界中の同じ活動をするグループとコンピューターを通して、効率よくネットワークづくりを始めた。アメリカとの情報交換は、とても得るものが多い。とても活発な訴訟部門と情報ネットワークを持ち、開放的な政府組織は、イギリスよりももっと容易に、役に立つ有害物質の、現実のあるいは潜在的な健康効果についての情報を提供してくれる。
主要な毒物に関する会議がマンチェスターで今月はじめに開催された。それは、グリンピース、反毒物運動家、地球第一グループ、女性環境ネットワーク、ウエールズ地球の友その他多くの地元グループを含む、国際的国内的そして地方のグループの代表から支持されていた。
この会議は、イギリスの活動が緒について、先駆者アメリカに追いつこうとしている証である。200人の代表には、優れた科学者、職業技術者、環境専門の法律家、草の根運動家を含むすべての関係する人々が、名を連ねていた。会議は次の解決策に強い意見の一致を見た。
・政府は、2000年までに有害化学物質の放出量を0とする国際公約をすること。
・セメントキルンで有害廃棄物を見かけだけリサイクルすることに満場一致で反対し、即時禁止を要求。
・参加したグループや組織間の、ネットワークの強化と情報の共有。
・塩素製造の廃止への強力な支援。
会議は、要求は出したが設立当初よりは穏健で、すべてが実行されるか、先進世界の一部の政策に取り入れられるかした。これには健全な社会の環境上財政上の理由がある。
それをたち成するための方法は多様性のあるものではあったが、そこには関係者の、将来の目標へ向かったビジョンがあった。環境主義者たちが考えている有害廃棄物処理産業のビジョンは、毒物をなくしてしまうような高度な技術的段階への発展にあるのでもなければ、廃棄物を減らす終末処理にあるのでもない。むしろ、会議は有害であるか有害になるものの生産は止めるか他のものに置き換えて、問題の核心をはっきりさせる必要性を確認した。例えば、これには燃やしたとき大量の塩素を発生させるポリ塩化ビニルが含まれる。
大衆は、どんな製品が作られるべきか? どんな原料を使うか? どんな工程を採用するか? といった問いかけをしながら、イギリス産業の仕組みの中で、誰が製造開始の意志決定をすべきかの新しい議論を通じて、自分たちの意見を聞くべきだとの要求を始めている。
◎しかし我々は少し興奮しすぎていないか
現実に少なくとも、60,000種類の化学物質が工業界で使われ、恐らく500種類ぐらいが年々増えている。我々は、そのうち40,000種類については毒物学の情報をまったく持っていない。研究されていない中で、どのようにして問題ないと結論できるのだろうか。
人類と環境に対して、ある物質が危険か安全かという情報がなくて、行政はどうして規制が出来るだろうか? 行政は危険だという証拠がそろうまで待つべきなのか、それとも、用心しすぎの間違いを犯して、それが有害であるかもしないからその物質の河川への投棄を規制すべきなのか? 有害だと証明されるまで化学物質は無害であるとすべきなのか、それとも他の方法を探すべきなのか?
NRAは、捨てられた化学物質を河川がすべて 「飲み込んで浄化」 してしまうと考えて、この間違った仮定の下に、投棄することに同意をした。さらに、その許可は、投棄された化学物質の健康への影響について政府が知っていると誤って仮定した、健康 ”リスク評価” によってますます正当化されている。”許容できる” 量は、どのくらいの人がそのために死ぬかという予測に基づいて決められる。公的な目標値としては、時には10万人に一人ということもあるが、一般には100万人に一人が死ぬ危険率が許容できるものとされる。リスク評価では、いつもただ一つの化学物質に暴露されているものと、明らかに現実と違う仮定をしている。産業界は化学物質の安全水準を決めるのは、政府と産業界の責任であると言っている。今日行われている方法は、組織的に影響を研究することなしに、大勢の人たちを化学物質という魔女の酒に浸らせてしまうものである。先天性の症状やガンが現れ、市民たちが苦情を言い始めたときに、政府はしぶしぶ研究の指揮をする。その間、投棄は大規模に続けられている。
ラブキャナル以来、すなわち化学産業に対する公共の信頼が打ち砕かれてから、草の根組織は健康リスクについて、自分たちが聞かされなかったことを見つけだすことにますます熟練した。厚い本をうめるぐらいの量の文献の調査の中に、公共の関心を呼び起こしたオークリッジ国立研究所(ORNL)のカーチス・トラヴィスとシェリ・ヘスターによる研究もあった。
二人の研究者は全世界にわたる化学物質汚染の研究成果を出版し、すでに知られているように、地球の全表面は汚染されているを確かめた。トラヴィスとヘスターが前のアメリカ政府研究者と違う点は、すべての汚染は人類の健康を対価としていると書いたことだ。すなわち、「我々は、周囲の汚染水準を、すでに人類の健康が地球規模で影響を受ける水準まで上昇させてしまっている。」
トラヴィスとヘスターは11の化学物質の総括的ガン発生リスクを計算した。それにはアメリカ農業局のデータ(これには時々アメリカ食料局の資料も利用している)や環境保護庁のガンリスク計算の方法も利用した。これら11の化学物質の総括的ガン発生リスクは、百万分の千すなわち千分の一となった。勿論ここでは、ガン以外の危険については考慮しなかった。ここでは、呼吸の問題や生殖、生育時の病気、神経系の混乱、免疫システムの損傷、複数の化学物質の相乗的影響などは除外した。(レーチェルニュース#165、#220参照)
トラヴィスとヘスターのガン分析は全体の中のごく一部分だけを取り上げている。「環境汚染が人類へ与える真の影響の程度は定量化できない。たとえば、人の脂肪組織を調べた環境保護庁の研究は、その中にあったごく微量の化学物質を検査したにすぎない。」 と彼らは言っている。言い換えれば、日常起こっている膨大な化学物質への暴露に関するデータは全くない、ということだ。ごく最近の、アメリカ環境保護庁のダイオキシン研究は同様な結論に達した。すなわち、我々が今も暴露されている、わずかな規制の下で大量に焼却炉から放出されるダイオキシンとその類似物の量は、すでに健康に影響するとされている量を超えている。
もちろん、選択肢は二つしかない。人類と環境に対する抑えの効かなくなった大規模実験は、受け入れがたいロシアンルーレットであると宣言するのが一つ。もう一つ考えられるのは 「排棄物ゼロ」 の目標にむけてすべての工業設備を設計する閉鎖系システムへ移行を要求することである。もし、有力な医学研究者が言うように、ダイオキシンが最近50年間に人の精子の数を半分に減らしているのであれば、早く手を打ちすぎたとしても、これらの対策は地球の問題の大部分を解決するかも知れない。
排出物ゼロは、耳さわりはよいが、達成は出来ないと工業界はしばしば言ってきた。彼らは、排出物ゼロは単純に工業を止めることになると主張している。国際的な意見はこれに反対している。オスロの閣僚級会議や1993年のパリ代表者会議の宣言は、閣僚たちはこれに賛成していると言っている。有毒なもの、難分解性のもの、生物体内に蓄積しやすいもの、なかでも有機ハロゲン化合物、そして海洋環境に広がるものについては、代表者会議の原則が成立し、2000年までに、人や自然に害のない水準にまで減少させなければならないことになっている。そしてやがてはそれらを駆逐してしまう。このために、排出される廃棄物を減らし、使用中止の計画をもって減少策を広げていく。
このゼロ排出協定に署名したイギリス政府が、この問題にうしろ向きのペダルを踏もうとしているのは悲しいことである。これはスエーデンにおけるガン研究の第一人者のカール・ヘンリック博士の分析から見て誠に残念なことである。彼はダイオキシンに関する一連の質疑の中で、簡潔に言っている。またこれは他の有害物質にも適用できることである。ダイオキシンは自然のものか? 違う。ダイオキシンは分解しにくいものか? そうだ。それは分解して無害なものになるか? ならない。それは体内組織に蓄積されるか? そうだ。その許容限度を予測できるか? 出来ない。ダイオキシンを環境の中に置き続けることが出来るか? 我々が生き残ろうとするなら出来ない。
◎変えようとする力
・汚染を防止するなら、正しい選択が必要だ。バリー・コモナー博士の研究によれば、ここ10年間に、DDTを90%、鉛を95%大気中から減らした。PCB類やストロンチウム90も減らした。それぞれの場合、環境に放出することを止めたからだ。それは単純なことだ。もし放出量を止めないで管理しようとすれば、うまくは行かないで、他の汚染物質では同じ期間に14%しか減らないだろう。
・産業界は自分では規制できないで、しばしば法律や経済的な考え方に反応するだけだ。そこで環境運動に取り組む人たちがやるべき仕事は、規制の枠組みにみられる欠点に光を当て、財政コストが真の環境コストを反映したものになるよう監視することである。過去にはそうではなかったが、産業界はあまりにも長い間、安い費用で廃棄物を処理してきた。真のコストは、全人類に及ぼす長期間にわたる健康への影響も考慮して決められるべきである。
・価格決定の仕組みの中には、環境リスクも考慮しなければならない。デンマークが固体の廃棄物税を古い廃棄物処理施設問題の処理収入を増やすために、最初に導入したことは何の意味もない。それは固体の廃棄物にかけた埋め立て、焼却の徴税であってその廃棄物がリサイクルされれば払い戻される。アメリカでは資源の保存回収法とスーパーファンド計画が過去に実施したものを片づけ、公共の健康と環境を守るためと汚染を抑止するために実行されている。スウェーデンには、環境に有害な活動を行っている団体から、義務的に拠出される環境保険制度がある。それは責任を分割できないような防止策として用いられている。
・経済的考え方が廃棄物処理決定に、重要な役割を果たしている。最善の環境問題の実際的な選択(BPEO)は、最も安価な実用的な処理(CAD)原則に置き換えることが出来る。このことが評価され産業が容易に正しいことをすることを勢いづかせる。このことは原価構成が環境コストを反映し、有害物を用いないように誘導する。
◎結論
毒物に反対する新しい協力関係が、特に臭いものにフタをしようとする廃棄物処理の分野に対して、圧力を増そうとしている。新しい処分場を探すことは難しく、これからますますそうなるであろうし、技術の改良を求める圧力も価格を押し上げるであろう。このようなことがコスト増加の原因となっている。
先見性のある廃棄物処理会社は、有害物を作りだしている産業に代わって、彼ら自身がさらされている金融危機を身近なものとして見つめ始めている。民衆は危険に直面していることに気がついたので、訴訟が増えていることも確かである。訴訟の多くは必然的に有害物の生産者よりも処理会社に向けられている。中でも焼却炉は廃棄物の発生者にとって、この点について関心がある。しかし我々はイーストアングリア大学のリーチェム工場の研究で、PCB類の類似物の識別が出来たことを知っている。科学的同定は将来一般的な方法になるものと思われる。社会運動団体も、有害物処理場周辺から化学物質の証拠を収集し始めた。主な環境団体の援助で、資料は後で分析され、その地域の健康問題が明らかになれば訴訟で用いられる。
環境団体からの要求は、最近の状況では先鋭化し一点集中的になっている。ウエールス地球の友のような団体では、個々の化学物質や製造工程についてあらかじめ議論を行っている。しかし我々はそうする時間もないし、社会運動団体は、有害物質を完全になくしてしまえとする要求を突きつけている。この運動は権利と民主主義に焦点を当てている。市民団体は環境を浄化する権利を確立しなければならない、また環境汚染者に何の権利があるのだと言っている。「近代環境主義の父」 と賞賛されているバリー・コモナー博士は、草の根の環境運動は 「環境運動の最先鋭部隊である」 と書いている。事実を追い求め、真実を探求し、「うちの庭には持ち込んでくれるな」 とねばりにねばって、アメリカの原子力業界や焼却炉業界の猛攻撃を止めた功績は彼らにあると述べている。
体裁の良い小冊子で説明したり、技術のまやかしで切り抜けたりしながらも、結局のところ有害廃棄物の処理業界は、廃棄物を持っていく最後のよりどころとして環境を利用することに頼っている。これは明らかに新しい反対運動の主張 ”廃棄物ゼロ” ”無投棄” 原則に反する。これはジョーン・ゴフマン博士によってとても雄弁に語られている。ゴフマン博士は、こう言っている。
「無廃棄物原理は単純に、世界中の空気や水にものを捨てる権利は、だれにもないということだ。要点はそうしようとする意志があるなら、無廃棄物原理と高度工業社会は、両立できるということだ。勿論、それが一夜にして出来るわけがない、だからその原理をすぐ取り入れなければならないのだ。そこで君は、この原理を徐々に適用していく。実際の操作は、忠実に古い体系に沿って始まっているから、新しい体系への緩やかな移行は、実際的に公平に行われる。しかし良い原理を徐々に取り入れることと、この我々が行っているところの原理を否定してしまうことでは大きな差が出来る。今日人々は汚染者がある者の経済的利益のために、無作為に人を殺す権利を持っていることを非難している。一部で言われているのは ”リスク−ベネフィット均衡説” だ。私は、それをあらかじめ計画した無差別殺人と呼ぶ。」