- 子安観音と百体観音
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当寺は遠く大和に創建されたと伝えられています。
宝暦三年(西暦1753年)、豪商上田宗右衛門廣久の発願によって現在の地、長柄に移転しました。
時に忍鎧上人を中興の祖として綸旨により七堂伽藍の美を尽して復興されました。
同じく観音堂も再建され本尊仏として霊元院太上法皇の皇子勝ノ宮さまの安産の為に十体を彫刻された一仏を院宣により道仁法親王が開眼されました。
世に言う子安の観音として霊験があります。
また当寺の鴻池善八氏や白木屋、関東の縁故者の信施によりまして西国、秩父、坂東各霊場の観音さまを彫刻祭祀され、百体観音さまと親しまれ浪速霊仏の一つと称され賽者絶ゆることなく、二求の願望を果たされています。
現在の観音堂は昭和八年四月、当山十四世真徹大僧正によって重興され三十三ヵ所のお砂踏、八角塔上の秘仏善光寺如来参りと三世因果の輪廻転生による現在の幸せを善縁の導とし信心参りをすすめています。
本堂の阿弥陀仏、脇仏地蔵尊、交通安全の波切不動尊、重要文化財の梵鐘、俳人鬼貫の墓等の宝物や史蹟があります。
尚、老人ホーム、保育所は、天台眞盛宗開祖眞盛上人の教門を宣布普し福祉活動を行っています
| 詠 歌 | | なには江の昔ながらの鶴満寺 今も変らぬ法のみ光り |
| 宗 歌 | | 真よりひらける法の花なれば 盛んなれかし嵐吹くとも |
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