立願山 楊谷寺

踊る巫女の世界 新西国霊場巡礼

立願山 楊谷寺(柳谷観音)
御宝印(柳谷大悲殿)
御詠歌やなぎ谷 法の真清水 むすぶ身の 日の曇さへ 晴るる嬉しき
宗 派西山浄土宗
本 尊十一面千手千眼観世音菩薩
開 基延鎮僧都
創 立大同元年(806)
住 所〒617-0855 京都府長岡京市浄土谷柳谷 (周辺地図
拝観料無料
駐車場無料
巡礼日平成10年 1月17日

当山の開創

 当山は、大同元年(八〇六年)京都東山清水寺開創の延鎮僧都によって開山されました。

 僧都は或る夜、夢の中に観音菩薩が現われ、京都西山に行けば、生身の観音菩薩を仰ぐことが出来るとのお告げを受けられ、直ちに西山に踏み入り、柳の生茂る渓谷の巌上に夢告による生身の観音菩薩を発見されました。
これが、十一面千手千眼観世音菩薩です。
僧都は早速その場所に堂宇を建てられ、日夜給仕をされていましたが、清水寺のご本尊を刻る大切な任務があるため帰洛されました。

 こうした因縁で、当山では延鎮僧都を開山第一世と仰ぎます。

(柳谷より)

独鈷水(おこうずい)の由来
独鈷水(おこうずい)
 当山開山延鎮僧都が清水寺に帰られた後、弘法大師が、長岡の今里にある乙訓寺の別当(住職)として入山され、度々当山に参拝し観音菩薩を拝せられていたが、或る時、堂の傍らの巌窟の溜り水のそばに、親子の猿を見つけよく見ると盲目の小猿の眼を親猿が一生懸命洗っていました。
それから猿の親子は毎日やって来て同じ動作を繰り返していたが、十七日目に小猿の眼はパッチリと開き、親猿と共に嬉々として山に去って行きました。
大師はこの光景を見て、その不思議な湧き水を、眼病に悩む人々の為に霊験効かなる霊水にしようと決意され、日夜加持祈祷を施し、独鈷でもって深く掘り拡げ、十七日目の満願の日には、明眼利生、眼病平癒の霊水に成就されたのであります。
「み仏のなびく柳の谷水は汲むに老いせぬ藥なりけり」と詠まれる当山御詠歌も、この霊水を詠ったものです。
当山ではこの霊水を、独鈷水(おこうずい)と呼び現在に至っております。

 そして、弘法大師を当山第二世と仰ぎ、本堂東堂に大師蔵安置しております。

(柳谷より)

独鈷水の容器が納経所で販売されています(700円)。門前の土産物屋では、ペットボトル(使用済み?)が100円で販売されていました(^^;。

奥の院の創建

 当山奥の院は、中御門天皇が観音信仰と孝養具現の模範を示された勅刻の観音さまを奉移するために建造されたものであります。

けだし、中御門天皇は御生母の新崇賢門院が当山御本尊に皇子の誕生を祈願された方であり、その所願成就のお礼として、新たに観音様を刻し奉ることの約束を果たさないうちに逝去されたので、後年、これを聴き知った行朝が、その所願を満足させ、且つ宮中奉安のために謹刻し奉った霊像を、享保四年(一七七四年)当山に奉安堂と共に移されたものであります。

尚、奥之院本尊は洛西観音霊場第十番札所の観音に指定されています。

(柳谷より)

山門の方位磁石?
山門の方位磁石?

 
 
 

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