宝積山 能福寺

踊る巫女の世界 新西国霊場巡礼

宝積山 能福寺(兵庫大佛)
ABOUT one thousand years or more ago, by request of the Emperor, Dengyo Daishi brought over from China, the religion of SHAKA of India. The first teachings of this religion in Hyogo were taught at this temple, and the Tendai Buddhism is the original of all others in Japan   Writting by JPSEPH HICO
御宝印
御詠歌ただ法の 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり
宗 派天台宗
本 尊十一面観世音菩薩(札所本尊)
本尊 薬師如来、前立 弥陀三尊像
開 基伝教大師最澄
創 立延暦二四年(805)
住 所〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
入山料無料
駐車場無料
巡礼日平成12年 1月 9日

能福寺

 今から千年以上も昔、延暦24年(西暦805年)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学させられた伝教大師はその帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民大いに大師を歓待し、堂宇を建立して教化を請うた。大師、御自作の薬師如来像を堂宇に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち伝教大師の我が国最初の教化霊場である。治承4年(西暦1180年)平清盛公福原遷都の時、平家一門の帰依によって七堂伽藍を完備して大いに隆盛したが平家滅亡の後、暦応4年(西暦1341年)兵火により全焼。後、慶長4年(西暦1599年)明智光秀の臣長盛法印、堂宇を再建す。

 本朝編年集に曰く「仁安3年(1168)11月、平清盛、能福寺に於て剃髪入道す。養和元年(1181)2月4日京・西八条に於て薨去。歳64。翌日火葬とし、円実法眼(当時住職)全骨を福原に持ち来り、能福寺の東北に埋る。」これは清盛公の遺言によるものである。境内にはわが国唯一公の墓所平相国廟がある。

 明治24年5月兵庫の豪商南条荘兵衛、身丈3丈8尺重量3千貫(11トン)の青銅製毘廬那仏を建立、奈良、鎌倉と共に日本三大仏に数えられる。1915年(大正4年)南米パナマ運河開通記念万国博覧会(通称:サンフランシスコ万博)に実物大模型が出品されたことから外国への観光案内としてアメリカ、イギリス、ドイツ等にも紹介されて、国際港都コウベのマスコットとして海外にも有名をはせたが、今次大戦の金属回収の際、昭和19年5月悲しみに沈む大多数の市民に見送られながら赤だすきをかけて出征(解体供出)、昭和20年3月、神戸大空襲により再度七堂伽藍を全焼した。

 現在の能福寺の本堂は、京都東山の月輪御陵にあった拝殿「月輪影殿」を昭和29年九条家より拝領移築したもので歴代天皇の参拝された由緒のある建物である。

 平成3年5月、檀徒市民企業多数の協賛により大仏尊像が再建され、天台座主貌下をはじめ奈良東大寺館長、鎌倉大仏貫主ご臨席のもと未曾有の大開眼法要が挙行された。参詣者4日間に6萬人を数う。総工費5億圓、像丈11米、台座7米、重量60屯。

[その他の史跡] 慶応4年(1868)神戸事件備前藩士滝善三郎正信慰霊碑、ジョセフ・ヒコ能福寺縁起英文碑[ca.1893] 兵庫の豪商北風正造君顕彰碑(明治29年県知事周布公平建立)等々

(兵庫名刹 兵庫大仏冊子より)

 
兵庫大佛
兵庫大佛
月輪影殿
月輪影殿
兵庫大佛
兵庫大佛

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