- 源平の名所 須磨寺
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真言宗須磨寺派大本山。当寺は、本名を上野山福祥寺と称するが、風光と史跡の須磨を代表して、古くから「須磨寺」の通称で全国に知られて来た。
当寺の開創は、平安初期の仁和二年(886年)、聞鏡上人が勅命によって、上野の地(現在地)に七堂伽藍を建立し、これより兵庫の和田岬の海中から出現された聖観世音菩薩の尊像を本尊として奉祀したことに始まる。その後、今日にいたるまでおよそ千百年、その間に源頼政や豊臣秀頼による中興も行われたが、数度の天災人災を受けて、寺運はおおむね興廃常なく、かつては七堂十二坊がたち並んだ伽藍も、遂に幕末には、本堂・大師堂・仁王門のみを残して荒廃をきわめる有様となった。明治中期以後、唐門・護摩堂・鎮守社・奥ノ院・書院・奥書院・納骨堂・宝物殿・三重塔・塔頭三院等を再建又は新築して次第に寺観を旧に復しつつ現在に至っているのである。
ともあれ、当寺は、過去における寺運の盛衰にもかかわらず、平敦盛遺愛の青葉の笛など多数の重宝を伝えて来たので、昔から今にいたるまで終始源平ゆかりの寺として天下に知られて来た。また同時に、新西国など各種霊場の札所として、且つまた、神戸の代表的な信仰道場として、市民から「須磨のお大師さん」の名で親しまれて、毎月の縁日には広大な境内も終日善男善女の参詣で埋めつくされるのを例としているのである。
(須磨寺冊子より)
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