- 伽耶院案内
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当山は大谷山伽耶(がや)院といい、今を去る千三百有余年前の大化元年(645)、法道仙人を開基とし、孝徳天皇の勅願により建立されたのをそのはじまりとする。
平安中期には堂宇数十、坊塔百三十余坊と記され、花山上皇の行幸を得るなど隆盛を極めたが、秀吉による三木城攻めの兵火及び慶長十四年の失火により全山焼落ち、現在の諸堂はそれ以後の建立である。
古くは大谷山大谿寺、或いは東一坊として記録にあらわれ、伽耶院の称号は天和元(1681)年にインドの仏陀伽耶(ブダガヤ)にちなんで、後西上皇から賜ったものである。
中世以降、聖護院末の修験寺院として活動を続け、江戸時代には天台系山伏を統率する五院家の一つとして修験界に威をふるった。
現在も十月十日には各地から二百余名の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩が行われている。
(伽耶院案内より)
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