檜尾山 観心寺

踊る巫女の世界 新西国霊場巡礼

檜尾山 観心寺
御宝印
御詠歌千代までも 厄災消除の おん誓い 大師のみ手の あとぞ尊き
宗 派高野山真言宗
本 尊七星如意輪観音
開 基役小角
創 立大宝年中
住 所〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475 (周辺地図
入山料300円
駐車場無料
巡礼日平成10年 8月16日

草創・開基

観心寺は奈良時代の大宝年中(七○一頃)、役小角によって開かれ、初め雲心寺と呼ばれていた。
その後、平安時代の初め大同三年(八○八)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(八一五)、衆生の除厄のために本尊如意輪観世音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。
弘法大師は当寺を道興大師実恵に付属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命して、その弟子真紹とともに天長四年(八二七)より造営工事に着手された。

以後、当寺は国家安康と厄除けの祈願寺として、また高野山と奈良・京都の中宿として発展する。

大楠公 楠木正成

後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(一三三四頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、現在の金堂ができた。
正成自身も当寺に報恩のため三重塔建立を誓願された。
延元元年(一三三六)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が当寺に送り届けられ、首塚として奉(?)られている。

その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受け、最盛期六十坊あった塔頭も現在わずか二坊になっているが、境内は史跡として、自然に恵まれた環境の中で、山岳寺院の景観を保持している。

本尊如意輪観世音菩薩(国宝)

彩色の六ぴ(手が六本)像。
像高一○九.四センチメートル。如意宝珠を持つので如意輪観音という。
平安時代の密教美術の最高の仏像といわれており、秘仏。(国宝第五号)

金堂(国宝)

金堂は大阪府下最古の国宝建造物であり、七間四方、単層入母屋造、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の代表的な遺構である。
室町時代初期に建立され、豊臣秀頼の時、江戸時代の中頃、明治の初め、昭和の初め等たびたび修理し、昭和五十九年に昭和大修理の落慶をみた。
本尊は如意輪観音で脇侍は不動明王、愛染明王、内陣に板製の両界曼陀羅がある。

 
 

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