深雪山 上醍醐寺

踊る巫女の世界 西国三十三所観音巡礼

深雪山 上醍醐寺
御宝印
御詠歌逆縁も 漏らさで救う 願あれば 准胝堂は たのもしきかな
宗派真言宗醍醐派総本山醍醐寺内
本尊准胝観世音菩薩
開基理源大師聖宝
開創年貞観16年(874)
住所〒601-13 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山1 (周辺地図
拝観料無料
駐車場700円
巡礼日平成11年 3月28日, 平成13年 8月18日

寺名
 上の醍醐寺は京都の東南、笠取山の山上に位置し、下の醍醐三宝院、五重塔のある伽藍を経て麗の女人堂より登りつめると伽藍が山の起伏を巧みに使って建てられています。
醍醐とは五味のなかの最上の滋味といわれそれは牛乳を精製し酪とし精錬を重ねて出来上がったものをいい、最高の美味とされています。
宗祖弘法大師は真言の教をして、一切仏教の最上最勝の教えであるとし、醍醐をもって喩とされ、開山理源大師が、笠取山を醍醐山と改め、寺を醍醐寺と称されたのは、この真言密教の法灯を継承する場において、そこが最勝の所であり、その教法こそ人の心の糧として醍醐のごとき最上の法味であるという深い意味を含めおかれたものでありましょう。
 
  (深雪山醍醐寺しおりより)

開基
 八七六年(平安初期)、開山聖宝理源大師は布教にあたって、この地に六道能化の佛である如意輪観世音と、人界化道の本誓を表する准胝観世音の二尊を自ら刻んでおまつりになりました。
その落慶供養の当日此の菩薩像はさながら生ける人の如く自ら起って草堂に入り給うたと伝えられています。
また大自然の霊気の中で修行することによって仏道の真髄を究めようとする山岳仏教に心を注がれ修験道を中興した大徳でもあります。
 
  (深雪山醍醐寺しおりより)

本尊
 准胝観世音菩薩は日本ではじめて造像された、とてもめずらしい観音さまです。
准胝とは梵語を音訳したもので清浄の意があります。
この観音さまの真言をとなえると水がすべてを清らかにするように衆生の心性を清浄にしてすべての罪障が払われて幸を得ると経典にあります。
また御詠歌には
逆縁も漏らさで救う願なれば  
准胝堂はたのもしきかな
と功徳を詠っています。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

霊験
 准胝観世音経功徳品に子を望む人には授けることがあげられていますが、『醍醐雑事記』には聖宝尊師が准胝観音に、醍醐天皇の皇子誕生を祈願したところ、朱雀、村上両天皇が誕生したと記されています。
また准胝観音さまは仏母尊ともいわれ夫婦和合、健康厄病と良い因縁づくりの本尊として崇められています。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

宗派
 醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、全国に壱千ヶ寺の末寺が分布しています。
醍醐寺派の宗是に
 吾が醍醐派は弘法大師の法孫聖宝尊師が醍醐山を開創して示された教えにもとずく法流で別に我国独特の修験道もその教風に加え当山派修験道を創始された。
とありますように、宗祖 弘法大師 空海 派祖 理源大師 聖宝 修験襄祖 神変大菩薩 役小角(役行者)としています。
そして当派では、この世に理想の社会を作るため、自分の生命をよくみつめ、この身このままが仏であることにめざめ、心清く、行い正しく、真実の言葉を口にし、日々の生活を反省し精進努力、その御法をこの身に体現することを教えにしています。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

景観
醍醐の花見
 太閤秀吉が当山で観桜の宴を催したことは有名ですが、
あらためてなをかえて見む深雪山           
うずもる花もあらわれりけり 秀吉詠
花もまた君かためにと咲きいてて           
世にならいなき春にあふらし 淀君詠
などの歌が残っています。
深雪山とは桜花爛漫するさまを雪に喩たもので、この歌が詠まれた後は山号になっています。
また当山はもみじの景勝地としても広くしられています。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

清滝堂と清滝拝殿
清滝堂
1089年三宝院の勝覚僧正が勧請創建し、一山の鎮守清滝権現が祀ってある拝殿は単層入母屋像檜皮葺で内部は天井が低く円中を用い、その構造は室町時代の宮式建築の好典型として名高い。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

醍醐水 霊泉
醍醐水
醍醐水は一千有余年の間尽きることなく今に清涼な霊水を湧出していて、病人がこれを飲めば快癒すると伝承されている。
みほとけの供ずる閼伽は千歳へて 
峯のまほらに今も湧く水。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

本堂(准胝堂)西国十一番札所
准胝堂
876年理源大師の建立。
准胝観音像が安置されている。
再度の祝融にあい、現在の建物は昭和43年に再建された。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

薬師堂(国宝)
薬師堂
907年醍醐天皇の御創建。
薬師如来と日光月光の二菩薩(国宝)を安置。
保安年間に改築された。
単層入母屋檜皮葺でその結構は極めて簡素で品格がある。
内部の蟇又は日本建築市場最初に試みられたもの。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

経蔵跡
1195年俊乗坊重源の建立。
昭和14年火災で焼失した。
納められていた宋版一切経は現在山下の霊宝館にある。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

五大堂(近畿三十六不動尊二十三番霊場)
五大堂
延喜7年醍醐天皇により、仁王護国般若経を転読して国家の安泰を祈る為、建立。
今の堂は昭和9年に着工15年に復元されたもの。
本尊五大力明王は、盗難除、災難見代の五大力さんとして広く信仰され、毎年2月23日の仁王会大法要には多くの参拝者で賑い仁王会前行衆が七日間参籠をして祈りに祈った五大力尊御影守が授与されている。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

如意輪堂(重要文化財)
如意輪堂
876年理源大師が、自作の如意輪観音を奉安。
今の堂は桃山時代豊臣秀頼によって再建されたもの。
崖上に南面して建てられ眺めは山上隋一である。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

開山堂(重要文化財)
開山堂
911年第一世座主観賢僧正の創建。
如意輪堂と同じく秀頼の再建。
1608年の地鎮祭に当って堂下より理源大師の御骨が発掘された事が義演座主の日記に明記されている。
観賢僧正は、宗祖弘法大師の諡号を朝廷に請願され願い成って天皇より下賜された御衣を持って高野山奥之院を訪ね、御廟を開いてお衣を着せ奉った僧正であり、世に知られているお大師さんの「お衣替え」である。
「平家物語」「今昔物語」にその様子が伝えられている。

  (深雪山醍醐寺しおりより)

上醍醐登山口
日月門(上醍醐登山口)
御千度石
御千度石
史蹟 醍醐寺境内
史蹟 醍醐寺境内
夫婦杉
夫婦杉
准胝堂
准胝堂
五大力尊
五大力尊
開山堂より望む
開山堂より望む

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