- 撞かずの鐘由来
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慶長十四年(1609)、山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。
一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、有福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄附する金はない」と険しい目の色で断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。
そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。
此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。
しかし耳をすますと子供の泣声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、一切この鐘を撞く事をやめ撞かずの鐘となった。
(成合寺 撞かずの鐘)
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