- 薬師寺略縁起
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薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴ない現在地に移されたものです。
当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。
すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは、”龍宮造り”と呼ばれて、人々の目を奪いました。
爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔を除く*くが灰塵に帰しました。
その後今日に至るまで、失われた堂塔伽藍の復興は、薬師寺の一大悲願とされ、昭和43年より始められたお写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊(第二期)が再建され、白鳳の大伽藍が蘇りつつあります。
(薬師寺 冊子より)
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