- 愚中周及禅師
-
愚中周及は1323年に美濃国(岐阜県)に生まれ、十三才で夢窓国師に師事し、興国二年(1341)十九才のとき天竜船に乗り、元(中国)に渡りました。
愚中は揚子江の中流鎮江の金山寺の即休和尚のもとで十年間修行し、即休契了より第一の弟子と認められ、法嗣に与えられている頂相(即休の肖像画)に「わが教えを理解したものは広い中国には一人もいない。日本からきた愚中ただ一人である。」と即休和尚自らその頂相に記して与えました。
南北朝という時代は交易船が大挙してアジアに出かけ、その文化を持ち帰るという活気に満ちた時代でした。
学問をはじめ絵画、建築等々、多くの文化を愚中など禅僧が中国から学んだものです。
愚中は天寧寺の開山になり、山号を南京にある紫金山とし、前を流れる渓流を揚子江とし、中国で修行した金山寺を思い、研鑽を重ねました。
応永十六年(1409)八月二十五日、愚中八十六才、天寧寺で入寂。
後小松天皇より仏徳大通禅師の諡号(おくりな)を贈られました。
また室町幕府足利四代将軍義持は天寧寺を祈願寺とし、山門に額を上げました。
(天寧寺 冊子より)
|