紫金山 天寧寺

踊る巫女の世界 西国四十九薬師巡礼

紫金山 天寧寺
室町幕府四代将軍・足利義持の祈願寺
御宝印(瑠璃光)
御詠歌紫の 雲のたなびく 天寧寺 何時もたえせぬ 法の声かな
宗 派臨済宗妙心寺派
本 尊薬師如来, 釈迦牟尼仏
開 山愚中周及禅師(仏徳大通禅師)
開創年貞治四年(1365)
住 所〒620-0077 京都府福知山市字大呂1474 (周辺地図
拝観料無料
駐車場無料
巡礼日平成11年11月23日

紫金山 天寧寺

 天寧寺は、桃山時代に衰微しましたが、寛永12年(1635)萬休彗重が妙心寺より入寺して妙心寺派を再興、安永6年(1777)に堂塔を、昭和36年には本堂庫裏を焼失し、現在の建物は昭和38年に再建されたものです。

 時の流れに耐え、歴史の重みを伝えて来た由緒深い天寧寺は、寺観もよく、文化財に富み、強い信仰に支えられて来ました。
珍しい原生林を背景に、広い境内と静寂の中に心のやすらぎを求めて参禅される座禅道場もあります。

(天寧寺 冊子より)

愚中周及禅師

 愚中周及は1323年に美濃国(岐阜県)に生まれ、十三才で夢窓国師に師事し、興国二年(1341)十九才のとき天竜船に乗り、元(中国)に渡りました。

 愚中は揚子江の中流鎮江の金山寺の即休和尚のもとで十年間修行し、即休契了より第一の弟子と認められ、法嗣に与えられている頂相(即休の肖像画)に「わが教えを理解したものは広い中国には一人もいない。日本からきた愚中ただ一人である。」と即休和尚自らその頂相に記して与えました。

 南北朝という時代は交易船が大挙してアジアに出かけ、その文化を持ち帰るという活気に満ちた時代でした。
学問をはじめ絵画、建築等々、多くの文化を愚中など禅僧が中国から学んだものです。

 愚中は天寧寺の開山になり、山号を南京にある紫金山とし、前を流れる渓流を揚子江とし、中国で修行した金山寺を思い、研鑽を重ねました。

 応永十六年(1409)八月二十五日、愚中八十六才、天寧寺で入寂。
後小松天皇より仏徳大通禅師の諡号(おくりな)を贈られました。
また室町幕府足利四代将軍義持は天寧寺を祈願寺とし、山門に額を上げました。

(天寧寺 冊子より)

 
 
 
 
 
 
 

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