末代山 温泉寺

踊る巫女の世界 西国四十九薬師巡礼

末代山 温泉寺
御宝印(瑠璃殿)
御詠歌ゆのしまの いでゆをまもる みほとけの あつきなさけを くみてこそしれ
宗 派高野山真言宗
本 尊十一面観音, 薬師如来(薬師堂)
開 山道智上人
中 興清禅法印
開創年天平10年(738)
住 所〒669-6101 兵庫県城崎郡城崎町湯島985-2 (周辺地図
拝観料無料(薬師堂)
駐車場600円(2時間以内)
巡礼日平成12年 8月31日

縁起

 末代山温泉寺は城崎温泉を開いた道智上人により創建された。道智上人は地蔵菩薩の化身といわれ、広く衆生済度の大願を発して諸国を巡り養老元年丁巳の年(717)この地に来て当所鎮守四所明神に祈願をこめ、明神の神託を得て翌養老二年から四年にかけて一千日の間八曼荼羅の修行をなし温泉寺を開いた。

 この頃大和国に稽文という仏師があり、長谷寺の観音と同木で今一体を刻み、それがまだ完成をみない時中風の病に羅った。未完の像はそのまゝ長楽寺という寺に安置したが疫病が流行し村人は観音の祟りと川に流したがそれでも病は治まらず遂に遠く難波浦まで運んで海中に投じた。観音は潮路を浮きつ沈みつ津々浦々に漂い巡り巡って但馬国の磯部に漂着し円山川の河口に近く田結の庄下谷浦へ流れついた。現在この地は「観音浦」と呼ばれている。

 この頃温泉の効験も世に知れ都からも田舎からも湯治客が城崎に来ていた。稽文仏師も丁度偶然こゝに来て湯治しており病もよくなり帰途所々遊覧して下谷浦に来ると水中に仏体らしきものが見え、不思議に思い近寄って見ると、それは自分が彫んで未完成のまゝ残して来た観音像であった。そこで稽文は村人と相計って児島(現弁天山)に草堂を営んでお祀りし、温泉を開いた高徳の聞え高い聖僧道智上人に草堂と観音像を任せて都へ帰った。

 是に於て道智上人は伽藍建立の大願を発しその地を得んと観音に祈願をこめた。或る夜観音の眉間から一道の光明現われ光は遥かに西の山を照した。霊光を感得した上人は直ちに西の山を踏査して見ると峰高くして上は菩提を求めるによく、谷深くして下は衆生を化するによし、これ天竺の補陀落山にもにた清浄の地であると上人大いに喜び此の地を観音の霊場と定め、地を拓いて礎を固め伽藍を建立して彼の観音を永遠に安置し奉ることとなった。事天聴に達し天平十年戍寅(738)時の帝聖武天皇から末代山温泉寺の勅号を賜った。

 開山道智上人より中興清禅法印まで約六百年間は不詳であるが、鎌倉時代元久二年(1205)時の院主玄高法印が幕府の祈願僧として感状を賜っている事を見ても寺の隆盛の一端がうかがわれる。

 その後至徳年中清禅法印により西国三十三所観音霊場にならい但馬西国三十三所が開かれ当寺を以て三十三番の札所と定められた。

 この頃当寺は隆盛を極め一山六坊(別当坊「歓喜院」、大門坊、喜見坊、深海坊、中ノ坊、北の坊)の制がしかれ、別当坊が温泉寺を管理していた。

 その後一時寺運衰退したが正徳年中に祐趣法印により伽藍の再興がなされ今日に至っている。

(温泉寺 冊子より)

 
 
 
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山門(仁王門)
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