医王山 総持寺

踊る巫女の世界 西国四十九薬師巡礼

医王山 総持寺
ぼたんの総持寺 むびょうたん霊場 西国薬師霊場第三十一番札所
御宝印(薬師如来)
御詠歌ぼうたんの 花に立ちます 瑠璃光に はぐくまれゆく 総持のこころ
宗 派真言宗豊山派
本 尊薬師如来
開 創行基菩薩
開 山実済法印
開山年永享2年(1430)
住 所〒526-0831 滋賀県長浜市宮司町708 (周辺地図
拝観料300円
駐車場無料
巡礼日平成11年 5月 2日

沿革
本堂
 当山は行基菩薩が国分寺の試寺として開かれたのが始まりで、室町時代に実済法印が後花園天皇の勅願と、足利義教公から六百石の朱印を賜り諸堂宇を建立した。
それ以降、京極家浅井家の保護を受けていたが、姉川合戦の頃信長の兵火にあい、七堂伽藍は全部焼失す。

 古来より真言宗豊山派の地方本山として末寺四十数か寺を持ち、全ての儀式は智豊両本山と少しも異なることがなかった。
殊に学問所として栄え、長谷寺の管長に昇座する寺格をもっていた。

(総持寺 冊子より)

本尊薬師如来
 賤ケ岳で戦傷した永沢四郎衛門が仏の加護に感謝して菅山寺に奉納した尊像を、井伊直興公が厨子と須弥坦を寄進して勘請した仏である。
この像は頭部は平安、体部は江戸時代と大きな手術を受けているので、手術の薬師頭の薬師と言って霊験あらたかという。


聖観音(重要文化財)
 平安後期寄木造り。
左手に未敷蓮華を持ち右手の指で花びらをつまむ仕草は、貧瞋痴三毒の厚い雲を取り除いて衆生が本来もっている仏心を表に出してやろうとしている姿である。


千手観音(平安後期)
 衆生を救うために手かえ品かえ¢Sての願いを聞きとどけ給うのがこの菩薩である。
あまりにもお顔が優しいので、あれもこれもと縋りたくなるほど慈悲心に満ちた尊像で湖北随一の美女観音である。


愛染明王(重要文化財)
 一切の願望をかなえんとの力みが血となって毛孔より滲み出たがため全身がまっ赤と言われ、男女の愛とともに七宝の財宝をも与えられる明王である。
鎌倉期の仏画。

(総持寺 冊子より)

仁王門(県指定文化財)
仁王門
 桃山時代の様式を残す三間一戸の八脚門、寛永十二年(1635)建立のもの。
仁王像は京仏師高野左京の作で、みひらいた両眼の鋭い視線は拝む人の心底までくい込む。

(総持寺 冊子より)

客殿
 元和五年(1619)上棟の棟札あり、欄間、天上、敷居などに当初の原型を残している。
障壁画は江戸狩野派蘭林斉常政筆の牡丹唐獅子の絵で、正面壁にえがかれた千○の谷にわが仔を突き落とす獅子の姿は、子育てに悩む親に語りかけるものがある。

(総持寺 冊子より)

小堀遠州名勝指定庭園
 江戸初期、池泉回遊式庭園で、小堀遠州は寺の西隣で生まれた。
春は不動岩を囲むようにきりしまつつじが咲き、初夏にはピンクの睡蓮が水面に影を映す。
冬は亀島におりたった鷲にみぞれの降りかかる眺めは風情がある。

(総持寺 冊子より)

庫裏
 安永七年(1778)造の庫裏で、」大黒柱は尺六寸(48センチ)他に類がない。
昔ながらの囲炉裏にくべる牡丹の薪は、「炎はやわらかく美しい。眼にしみる煙もなく薫々とよい香さえする。」とは吉川栄治作「宮本武蔵」に出てくる。

(総持寺 冊子より)

松梅の木
松梅の木
 梅を宿として松が生えている。
商売気に通じ、商売繁盛、男女五円結びの珍しい木。
一年間にお金がいくら成るか予想を立てるのも面白い。

(総持寺 冊子より)

 
大日堂
大日堂
 
 
 
本堂
本堂

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