長妻厚生大臣へのパブリックコメント

過去10年間、厚生労働省は、「政策の目標は医療費の削減であり、医師をいろいろな政策に誘導した後に、はしごをはずす」という政策をとってきた(と我々は解釈している)。その他、医療政策を刻々と変化させ一方的な通達のみで変更を通知する、データの一部のみを提示して世論を自分たちの望む方向に誘導する、等を繰り返してきた。そして、それらの政策に明確なコンセプトはない。そのため、医師は厚生労働省に対してほとんど信頼感を持っていない。

例え彼らが良い政策を考案しても、裏では「何かよからぬことを考えているのでは?」と考えてしまう。厚生労働省からのパブリックコメントの募集においては、単に「国民の意見を聞いています」という厚生労働省のセレモニー的な要素が多いと思っていたので、私はあえてコメントしなかった。しかし、今回、政権政党がかわり、大臣も代わり、一般の意見をセレモニーとしてではなく聞いてもらえるかもしれないという期待感からコメントを提出することにした。

厚生労働省の政策の問題点は多々ある。後期高齢者制度では、詳細については施行のほんの数日前であっても、実施する市町村や医師にも知らされず、我々が希望した公開の討論はまったく行われなかった。これは医師会から厚生労働省へのルートがきちんとないことが原因かも知れないし、厚生労働省は通達のみ施行するのが役目であり、他の人の意見はきかないというスタンスかも知れない。問題の本質は、厚生労働省は現場の状況を知らないし、現場の意見を聞こうとしないことがであると思われる。

今回の報告では、過去に生じてきた我々と厚生労働省との間の多くの個別問題を順にあげるより、現在ホットな話題であるインフルエンザの諸問題について述べ、なぜ私(たち)が上記のような思考過程になるのかを議論したい。

もちろん、このような議論をする前提として、医師会が、医師個人の医療レベルをあげ、不適切な医師を自ら排除するような自浄努力をするが必要条件ではあることを最初に明記したい。

 

インフルエンザ対策

5月の新型インフルエンザ(ぶた由来といったほうが正確であると思う:以下ブタインフルエンザとする)勃発から、多くの医師は厚生労働省のインフルエンザ対策にきわめて疑問を持っている。

国は、海外からの帰国高校生のインフルエンザ発症をうけ、5月に発熱相談所をスタートさせた。私たちは、どのようなことを質問しているのか知りたかったが、内容はオープンにはされていなかった。ある時、相談所に電話をかけた患者さんから、どのような質問であったかを初めて知ることができた。内容とは、高校生かどうか(高校生しか感染しないといわれた)、渡航歴の有無。家族の発症状況であり、「渡航歴がなければ通常の診療所にいってください」ということであった。これなら、どこかに広報すればすむことである。また、渡航歴にこだわれば、国内発症をみつけることはできないと思っていた。予想通り、神戸で渡航とは関係のないブタインフルエンザ症例が多数出現した。この時の保健所等の対応は、現場の人間の知恵を生かすより、国や県からの指令が優先される典型的なお役所体制にそのものであった。

ものものしい検疫についても非難的な意見が多くあった。その理由は、ウイルスをまき散らす可能性のある発症前の潜伏期については問わないのに、一旦発症すれば患者を“バイキンマン”のような扱いをしたことである。厚生労働省はそのような政策の「目的と到達可能度」を国民に説明し、国民をそれなりに納得させるのであれはいいが、厚生労働省は今回もそのようなことはしなかった。我々は、厚生労働省はどこまで、公衆衛生学的な知識をもっているのかといぶかしんだ。実際、参議院の鈴木寛議員が行った国会でのインフルエンザ対策の厚生労働省責任者への質疑応答では、この責任者がこの疾患を理解しているとは到底思えなかった。

患者が増加してきた8月の段階で、我々は地区の医師会でどのような対策をとるべきかを話した。当時は厚生労働省発表の「ブタインフルエンザは従来の季節性インフルエンザと同等である」を前提にして、私たちは診療所でも受け入れ可能であると提案した。ガウンテクニークなどのものものしい姿をしての診療は、小さな診療所では不可能であるが、従来のインフルエンザと同じ対策なら、いままで施行してきたので可能であるとの発想であった。しかし、厚生労働省のその後の対応では、従来の季節性インフルエンザと異なったものもあり、一貫性のなさを曝露されている。

毒性を強いと仮定するなら、診療所や小規模の病院に来てもらってよいのか?二次感染をどのように考えるのか?患者の動線を発熱者と明確に区別できる病院以外には、受診させないのが政策ではないだろうか?

リーダは、一貫した方針を示すことが必要であり、方針を変えるならその根拠をきちんと公表することが必要である。それができなければリーダを降りなければならない。

ブタインフルエンザワクチンについて、医療関係者を優先するとのことは理解できる。では医療関係者とはどのような人を指すのか。いつもながら、「個別案件については、地方で臨機応変に考えるように」、となるに違いない。医師のなかでも、インフルエンザを診ないと思われる眼科医はどうなのか?受付スタッフはどうなのか?定義がないので、混乱は必至であろう。

もっと困難なことは、ハイリスク群の選択である。誰がどのようにして判断するのであろうか?当方でも、「先生、私はハイリスクだから注射うってもらえるんやろね」と良性の心室性期外収縮を持つ方が私の診療所で話される。トラブルはすべて「現場で臨機応変に考えてください」という従来の態度がみえかくれする。医療側は、厚生労働省と本音で議論して協力できるところは協力して、建設的な意見を出したいのである。指示を待っているのではない。はたして、現場の人間と厚生労働省の人々が公開に議論できる場があるだろうか?

厚生労働省の責任者の方々が、もし国からふられる市町村の責任者ならどうするのか考えてほしい。誰もが納得できるワクチンの分配をはたしてできるだろうか?また、ワクチンの納入が遅れているが、多くのひとが感染したあとで、ワクチンの必要がないとなったら、ワクチンのお金はだれが負担するのだろうか?蔓延するのを防ぐのが目的なら少なくともまん延をおこしやすい、中学生や高校生は全員公費で義務接種すべきではないだろうか?まん延防止がワクチン接種の目的であれば、5人家族で約30000円を払うだろうか?政策目的は明確にして文章化すべきである。

「発熱があってインフルエンザを疑えばタミフル全例に」という報道から一部の人は、「賞味期限がきれかかっているので国が率先してタミフルを消費しようとしている」のではないか、という議論まで飛び出る。ここまで、医療関係者は厚生労働省のいままでの政策等に不信感を持っているのである。タミフルによる飛び降り事故の経験から10代の患者には原則投与しないといったのは、1年前にすぎないが、厚生労働省にとっては、遠い過去の話であるのかもしれない。

国民には、どのような議論がなされて、上記のことが決定されたかがわからない。感染症学会のワーキンググループで議論した人間の選択は誰が行ったのか?そのグループの中に、実際の医療をいまだに行っている人間ははいっているのか?学者や、いまや管理職となった大学教授や院長のみがメンバーではないのか?実際に多くの患者をみている地方の診療所の医師や卒後5〜10年目の一番アクテブな時期の医師をメンバーのひとりに加えたらどうだろうか?

タミフルの処方については、電話でも可能であるとのことが報道されているが、現場の我々にはなにも届いていない。いままで、電話で薬処方は絶対にだめだと行っていた厚生労働省の、臨機応変な身の変わり様にはあきれる。

最後に

私は、何年ものあいだ、色々な所で日本の医療体制や厚生労働省の役割について議論してきたつもりである。しかし、今回のインフルエンザの件から、現場でいろいろ知恵をだして案を考えてもあまり効果がないのではと思うようになった。それよりも、政治家や国民に偏見のない現状を説明し、いかに報道が偏っているかを特に国民に知らしめることと共に、世論のバックアップをもって、厚生労働省の人事の刷新と、新しい責任者のもとでの大幅な医療制度の改正を希望する。

厚生労働省において医療政策を今後遂行する若い人には、自分から現場におりていって、自分の目でみた問題点を掘り起こしてほしい。厚生労働省のキャリアになるのであれば、少なくとも2〜3日は病院の研修医と共にすごし、医療の現場はどのようになっているのか、厚生労働省が描いたものとどこが違うのかと体感してほしい。そして、堂々と公開討論をしてもらいたい。

医療関係の人間として、我々は厚生労働省と信頼関係をもちたいし、その結果、最終目標である国民の健康について、議論ができるような体制にしたい。そのためには、政治家が現状を理解して、大きな舵取りをしていく以外ないと思うのである。

 

2009年10月4日