われら辰年生まれ

早いもので、2012年の12月になると60歳になる。赤い「チャンチャンコ」を着て祝いをしてもらう予定はないが、立派な「還暦おじ(い)さん」である。

我々の世代は、歴史的にみると、東京オリンピックでは小学6年生。カラーテレビのある祖父の家でみていた。高度成長の中を、中学・高校と過ごし、阪神ファンであったが、「巨人の星」の星飛雄馬にあこがれ、高校3年の時は学園紛争花盛りであった。20歳の時、オイルショックで新しい靴を2−3足余分に買ったのも思い出す。

そのころは、自分自身が60歳になることなどは想像だにしなかった。当時の私にとって60歳の人は高齢の「おじいさん」であり、別世界の人であった。しかし、いまその年齢に達しようとしている。

 

30代や40代では、少しでも若くみられたいという思いがあった。しかし、年齢を重ねるとともに、年を経なければ理解できないことも多くあることがわかってきた。子供に恵まれ、成長をみとどけて、自分の両親を見送って初めてわかったこともたくさんあった。いかに両親に大切に育ててもらったかも理解できた。周りのひとに感謝である。そして、いまは年相応に見られたいと思う。

 

同世代の人をみると、健康体の人から、いろいろな疾患をもって多くの病院を受診しながら働いている人、病のため通常の社会生活が困難な人まで様々である。

この年になると、何にもまして心身共に健康であることが大切であると思う。それがあって、初めて社会に貢献する仕事にも一生懸命になりえると思う。今回、健康を維持するために私が日頃行っている運動を紹介したい。

 

6ヶ月の自宅介護の末、母を見送った後、体重の増加をなんとかしなければと思い、56歳で香枦園のグンゼスポーツクラブに入会した。1ヶ月1万円の会費だったので、「1回1000円として、大浴場もあるし月に10回もいけば高くはないだろう」と考えた。

はじめの1ヶ月で予想外に体重が3kg減少し、医師会のテニス練習でも、いままでとれなかったボールをとれるようになった。加えて、好きな野球を観戦でなく、参加できるようになったのはとてもうれしいことであった。少年時代から、中学・高校・大学、その後40歳頃まで野球をしていたが、ボールとバットをうまく操れなくなって、長らく野球をすることをあきらめていたのであった。

これがポジテイブフィードバックなのであろう。運動をすればするほど、体力がつき、投げるボールも速くなった。この1年(2011年)で、12試合において、7イニングを完投することができた(図1)。

県立西宮病院の乾由明先生も同じ野球チームでがんばっておられる。グンゼスポーツクラブで運動することにより、自分がやりたかった他のスポーツを以前よりうまくできるようになった。

午前の診療後に、自由時間が30分もあればグンゼスポーツクラブにいって、自転車こぎやトレドミルを行い、いまでは週に約10回くらいは通っている。夜診が終わり夕食後も、車でいくので、基本的には酒をのまなくなった。私が入会後2年たってから、妻も私の強い勧めで入会してくれ、夜には一緒にエアロビックスに参加し、楽しんでいる。一人なら途中でやめてしまったかもしれない。私が行き続けることができたのは、妻の力も大きいと感謝している。

問題もおこった。エアロビックスでも野球でも、やりすぎると足を痛めることがある。痛めたら休んだらいいのに、せっかく鍛えた体が「休めばもとにもどるのでは?」との不安から、痛い足をひきずりながら運動してしまった。緒方正雄先生に、踵骨の剥離骨折といわれたときはとってもショックだった(図2)。

年をとれば、何事でもほどほどということを考えねばならない。

 

今回、「いくつになっても体を鍛えることができる。」ということを実感し、みなさまに勧めたいと思った。これから還暦になる人、まだ一回り若い辰年の人、年をとっても毎日運動すれば体力は回復し、健康になる可能性がありますよ。「もう年だから」と思ってあきらめていたスポーツができるようになったら、なんとすばらしいことか。

願わくば、60の大台になっても、投手として野球ができることを願っている。

2011年12月7日