兵庫医大での講義
2週間に1度循環器内科にまわってくる5回生に診察の方法を教えている。2005年の3月になれば丸3年になる。昨年度からしゃべる内容を固定した。
最初に、卒業時に必要な診察技術の何%を現在習得しているか、それを補う方法についてはどう考えているかを問うた。ほとんどの学生は10−30%と自己評価し、ポリクリの患者さんから習得したいと答えた。
ついで、一人の学生に診察をさせた。
多くの学生がもっていた一番の問題は、診察の途中で次に何をすべきかと考えて診察がとまることである。つまり、診察を習慣化できていない。
次に一人の学生の心尖部をきいてもらい、S1とS2のどちらがおおきいかを質問した。
知識としてS1の方が大きいことは知っているが、なぜ、S1が大きいか(つまり、どうしてS1とS2を鑑別したか)についてはほぼ全員答えられなかった。短いのが収縮期、大きい方がS1とした学生もいた。そこで、頸動脈を触知してS1,S2の同定をすることが心音を聞くときの第一歩であることを説明した。
これを知らないで、「これが収縮中期雑音である」といわれても、その後に自分で雑音を解析することはできない。
正常を知らない、診察の順序を知らない学生が患者さんで勉強するということが倫理に反さないか、君らの両親や祖父母が入院していて、そんな学生がまわってきて所見をとらせてあげる?と質問すると、そのころからみんなかなり真剣になってくる。
本日の目標は、一般診察を順序立てて上から下まで行う習慣をつけること、正常の心音を習得することであると説明。学習目的を習得するために、方法、評価、フィードバックがあることをいった(誰もこのような考え方は聞いたことがなかった)。また、学生が習得できない内容のことは習得目標が妥当でないことも多々あることを説明した。
症例の病歴を提示して、期待する診察所見は、どのようにアプローチするかを議論した。たとえば労作性狭心症のような訴えを呈する患者で心尖部に収縮期雑音が聴取されたらどうかんがえるか?狭心症であれば期待される診察所見は?(以上がないことである)。雑音と症状を関連つけるには大動脈弁狭窄症の自然歴を知らなければいけない。○×ではない応用できる知識があってはじめて診断にいたるということ。
また、肝機能障害を呈した多発性筋炎の例では、徒手筋力テストをなぜしなければならないか、GOT,GPTの起源は肝臓とは限らない、筋炎を考えればどんな病歴をきけばいいかを議論した。このような議論にまったくなれていないようであったが、ほとんどの学生が議論に真剣になってきたような印象であった。
結局、病歴と診察からどのように考えていくか、そのおもしろさ、ロールモデルに接することがなかったために、真剣に勉強していなかったのだろうか。
彼らが、医師になったとき本日の到達目標がどの程度できているのか、またこの講義の意義をきくことを楽しみとしたい。
2005年1月
講義の終了
14年に及んだスモールグループでの講義は2018年12月で終了した。学生全員が循環器内科をローテートする新しいキャリクラム編成のためということであった。2006年に学生にアンケートとって講義の評価をおこなった結果では、双方向性の議論であって、しんどいけど楽しいといったコメントがある一方、意見を求められていやだったというコメントもあった(後日担当教授と話をしたら、それらの否定的な意見を言った学生は学力が低かったようである)。残念ながら講義の評価を行ったのは1回のみであり、これはわたし自信が行った。
現在の大学で行なわれている、知識主体、記憶主体の講義ではなく、事実から考える講義、知識欲を刺激する講義を行ってきたつもりである。14年間にわたり学生、教師の相互評価ならびに、大学側から私の講義への評価がなかったという現状について残念に思う(最後の講義は責任者に見てほしかったのですが、、、)。
2019.1.10