臨床倫理

はじめに

医療技術が高度になってくると、かつては助からなかった疾患であったにもかかわらず、歩いて自宅に帰れることもある。一方、20年前であったら、大往生と思われた疾患でも、濃厚治療をされると寝たきりとなり簡単に往生できない時代となってきた。社会情勢として、医師任せのパターナリズムという治療方針から、自己決定、尊厳死、説明と責任の分担等をキーワードとする世の中に変わってきた。

今回、「臨床倫理とは何か」という講義の後、提示された循環器疾患を持つ症例につきスモールグループで自主的に討論し、臨床倫理をより理解できるようなセミナーを行った。

 

病院のカンファランス

高度専門病院における医師のカンファランスでは、「3枝病変だからバイパス手術の適応がある」とか、「経皮的冠血管拡張術(PTCA)の適応がない」とかの、医学的適応を議論されることが多い。しかし、元来適応というものはなんだろうか?5%の手術死亡であって、放置した場合の1年後の死亡率が50%なら医学的には適応ありとされる。しかし、手術時の死亡率を「5%しかない」と考える人と、「5%もある」という考える人があるのが事実である。医学的適応をすべてのひとに当てはめることは無理がある。

心臓疾患をケアする看護婦、なかんずくCCUの看護婦のうち、“燃え尽き症候群”となって退職する人を私は多く知っている。この原因の一つとして、特に若い医師は、医学的に方策がなく死期がせまった患者にどこまで治療をするかという議論を好まないことが考えられる。そこでは、死は、医療上敗北とする死生観のない医療が医師によって行われるが、日々のケアを行っている別の視点を持った看護婦と議論ができなく看護婦は燃え尽きてしまうのである。

医療チームの役割

特に、生きるか死ぬかの疾患を持つ患者を、医師一人で患者を治療することはできない。医師、看護婦、臨床検査技師その他の医療チームが、患者の問題点を掘り下げて、解決できる手だてを考えることが重要である。それには、看護婦にも自分の親をどのようにして見送りたいかという自分なりの死生観、人生の目標を常に持っておく必要がある(1)

 

臨床倫理の概念

近年、そのようなファジーなところを臨床倫理の4分画という明確なものにわけて議論するという方向になってきた(図1)。QOLは生活の質と訳されているが、人生の満足度と考えた方がわかりやすい。

すべての医師がこのような考え方を受け入れてくれるかどうかは別にして、看護婦自身も、臨床倫理の4分画を意識することにより問題の整理が可能となると思われる。

図2での例を臨床倫理の4分割表で考えてみたいと思う(図3)。医学的には、胸部大動脈瘤で6cmを越えていれば手術適応である。その根拠は、6cmをこえると破裂の頻度が上昇するという疫学データである。しかし、術後は開胸のため、一時的にQOLを悪化させることは必至である。放置していたときの突然死の危険度から考えて、15%の手術死亡率は受け入れられることかもしれないが、高齢になってくれば患者自身が突然死も歓迎するというデータもある。周りの状況として、患者は車いすの妻を一人でケアしているので、手術中は妻を誰かがケアしなければいけない。突然死すれば本人はよいが、妻のケアを誰がするか、そうすれば、手術死亡の15%を患者が受け入れるかもしれない。

 

 

このセミナーの習得目標

このセミナーの習得目標は、1)臨床倫理を理解すること、2)グループ討論をすることにより、どのような情報が必要であるかを理解すること、3)自分が全体討論の中で発表し、順次司会をすることで、自分の意見を人前でいえるようになること、と考えている。

図4は、今回のみなさまに提示する症例である。スモールグループにおいて、この患者さんについてこれ以上どのような情報が必要か、4分割表に書きながら、随時各グループで討論後全体討論を行うことにより、上記習得目標を達成して欲しいと考えている。

 

文献

1. 伊賀幹二 死生観の必要性と内科医の役割  内科専門医会誌 1997 9:104

 


図1

図2

図3

図4