卒前臨床能力の向上のための臨床教授制度の導入について

21世紀医学・医療懇談会」から、過去3回にわたり臨床医学教育の改善につき種々の提案がなされてきた.臨床実習については、倫理観や責任感をもつこと、リベラルアートの習得、医師に適さない学生の他学部への編入、少人数教育、臨床教授制度の導入等が検討され一部ではすでに実施されている.

卒前教育においては、講義を減らし実習を重視する動きも一部の大学でみられるが、大部分の医学部および医科大学では未だ知識伝授教育が中心である.6回生の臨床実習においても、責任をもって主治医群に加わるというより、わずか1-2週間程度の期間で各科をラウンドし、入院中の一人の患者の主に検査データを解析しそれを指導教官に報告し、終了することが多い.我々は、本論文において現在の卒前教育の阻害因子を論じ、それを解決する一つの方法として、「卒前教育の場を大学から関連教育病院ないし臨床研修病院(以下教育病院と略)へ拡大し、その統括責任を臨床教授に委ねる」、というシステムを提案したい.

卒前の臨床教育の阻害因子

筆者は長年、初期研修医の教育にたずさわってきたが、残念ながら医師国家試験合格直後に、病歴や身体所見を適切にとる能力を持った新人医師に遭遇したことがない.これは、医師免許を取得したにも関わらず実際は診療ができないことを意味する.原因として、一つは、大学側が○×式の医師国家試験を突破することを卒前教育の一つの大きな目標として掲げていることと、もう一つは画像検査の発達や分子生物学の臨床への導入等により、卒前に教えなければならない知識が極めて増大したためと考えられる.医師国家試験合格直後の新人医師は、設定された臨床問題に対し、リストアップされた検査又は診断の中からなら正解を選択することはできるが、ある訴えを持つ患者を目の前にして、病歴と身体所見から患者の持つ問題を抽出し、それをどのように解決すればよいかを考える習慣はできていない(1).

大学の教官側からの問題点もある.100人におよぶすべての学生に上記のような問題解決型の教育を実施しようとすると、その時間的負担は極めて大きい.長期的展望に立てば、そのような教育制度にすれば将来の日本の臨床のレベルが上昇する.しかし、大学における医師の業績は一流誌に掲載された論文数であり、教育だけでは業績とはならない.そのため、教育に多くの時間を割いている医師はある程度の年令になると業績が少ないという理由で、大学を退かざるをえなくなる.

臨床教授の選定とその役割

我々は、現在一部に導入されている臨床教授の選定について次のような提案をしたい.教育病院に勤務する医学教育に情熱をもっている人たちから”私が臨床教授になれば”という論文を公募し、厚生省、文部省、医学教育学会がその論文と個人の教育業績を審査する.審査にパスすれば、同県または近県の大学から臨床教授の資格を与え、その大学の卒前教育に関与する権利と義務を与える.臨床教授は大学の卒前研修カリキュラム委員会へ参加し、強い発言権を有する.臨床教授をもつ教育病院は5-6回生の選択コースとして、2ヶ月の単位で研修医について臨床実習を行わせることを義務とし、その統括責任を臨床教授に与える.臨床教授は任期制とし、更新の有無は研修をうけた学生の評価を基にして学長が決定する.”大学教授”という称号は、社会におけるひとつのステイタスである.しかし、ここでいう臨床教授制の目的は、学問的なことより良い臨床医を育てることであり、単に”大学教授”という名声を欲しい人が応募しないためにも、名称は臨床教授という名称より医学教育担当部長の方が望ましい.

教育病院における臨床実習の導入

臨床教育には患者という教育資源が必要であり、その点では、大学病院よりはるかに初診患者が多い教育病院の方が臨床実習を行うことに適している.臨床実習は内科を中心に行い、患者との面接法、病歴記載の方法、身体所見を順序立ててとることを習慣化することを第一の習得目標とする.

欧米で行われているクリニカル・クラークシップのように、主治医である研修医と共に医療チームの一員として患者をケアする.ケアしている患者に手術が必要となった時、状態が悪化した時、死亡した時には、主治医と共に病院で行動を共にし、医師としての望ましい態度を身につけるようにする.

加えて、内科の指導医とともに外来において臨床実習も行い、ありふれた疾患に対するアプローチの方法を習得する.外来で新患の予診を取ることにより、患者の来院動機や病歴の時間的経緯を記載できるようにする.身体所見では、バイタルサインから始まる一般診察の順序、意識清明患者や意識障害患者の神経所見の取り方を習得する.そして所見の記載後は、必ず日時と自分の氏名をサインする習慣をつける.診察の順序はくり返して実習することで習慣化でき、同時に正常の所見を学生時代に熟知することが大切である.学生は研修終了時にOSCEにて問診技術と身体診察法の達成度を客観的に評価される.ちなみに、我々は、これを当院における1年目の初期研修医のひとつの到達目標としている.

卒前に診察の順序と方法を会得していれば、卒後引き続き連続性のある臨床研修を行うことにより病歴や身体所見から患者の緊急性や、自分一人で治療できるかどうか等の判断が可能となる(2).また、日常臨床で利用頻度が極めて高い心電図、胸部レ線、一般採血の検査の有用性と限界を知ることも医師免許取得後、直ちに必要な知識であり、卒前教育として習得すべきものである.

研修医はクリニカル・クラークシップとして自分の下に学生を配置されることにより、教育に必要な"See one, do one and teach one."という認識が徐々に形成されることが期待される.研修医は、学生に説明する時間を要するが、教えることで自分の知識を整理できる.一方、学生は医療チームの一員となることで、家族内からkey-personをみつけることや、治療は医学的な判断以外に、本人の好みや価値観、周囲の状況等を考慮して初めて開始できることを知るようになる.このシステムを遂行する最低限の条件は、学生が”お客さん”ではなく、時間や約束を守るという社会人のエチケットを遵守し、医療チームの一員としての自覚を持つことである.

一方、学生が長期間の臨床実習を遂行するためには、すでに一部の大学で実施されているように講義時間を減らすとともに、医師国家試験の再評価が必要である.時として出題される珍しい疾患についての衒学的な問題の代わりに、臨床実習に熱心に取り組めば必ず解答できる問題を出題する.例えば、頻回に遭遇する疾患、心電図・胸部レ線・簡単な血液検査等の基本的な検査を中心とする.複雑な検査については、所見の解釈ではなく検査を施行するタイミングに関することを数多く出題し、合格基準点を高く設定すればよい.また、年々増加する医療に関する情報を教えることより、臨床で遭遇する問題の解決方法を教官と共に考える習慣をつけることも重要である.

臨床教授は、各大学へこのような臨床実習を行った学生に対する評価の結果を報告し、この評価が極めて低ければ卒業できないようにすればよい.100人の医科大学の定員に対してまず半分か三分の一の学生にこのようなシステムを導入し、3年後に通常のベッドサイド教育を受けた学生と比較することでこのシステムの評価をする.

この体制を支えるための必須の条件

このような臨床教授制度を導入するためには、医学教育に情熱をもつ医師の存在が必要条件であるが、それに加えて、施設の上層部が臨床実習を全面的に支援する必要がある.つまり、医科大学の学長や教育病院の院長が、「その社会的使命は、多くの科学者を世に輩出することよりも、多くのよい臨床医を育てることである」と認識することが前提となる.