2回の教授選に応募して

19997月、および2000年の7月と2回、総合診療部の教授選に応募したが、残念ながら落選した。1978年大学を卒業後、幅広い内科の知識を持った真の内科専門医になりたいと考え、大学のシステムとは正反対の立場の立場をつらぬいてき、教授などに応募することはまったく考えていなかった。総合診療部の教授になりたかったのは、学生にもっとも影響力を与えるポストであると考えたためで、教授という栄誉がほしかったのではなかった。また、医学教育を変えるためには私のように、一般病院で臨床を一生懸命やって臨床能力に卓越し(と自負している)、学位がない人間が教授になれるんだというところを見せたいためでもあった。

2回の教授選はともに全国公募であり、応募要綱には、現在の臓器別専門志向を非難し、「総合的に患者をみられ、医学教育に寄与する人を広く学内学外に求める」と明記されていた。はたして、それは大学の本心なのであろうか?現状の文部省の方針として、大学に講座を増やすには「総合診療部」か「老年科」でなければ認められず、単にナンバー内科の講座を増やす意味で「総合診療部」か「老年科」を設置するところも増えている。大学には教授になりたい人がいくらでもいる。そのポストは各ナンバー内科の出店となるため、まさに陣地争いである。最初の目標(よい臨床医を輩出するための部署)はすでになくなっていたような気がする。

私と争い、総合診療部の教授に選ばれた2人の医師は、ともに、医学教育学会や総合診療学会でも発表も投稿もしていない人である。私が落とされるのをぼやくわけではないが、本当に応募要項のような人材を求めていたのだろうか? 2回とも教授会で自分の思っていることをプレセンもさせてもらってえなかった。業績と、総合診療部の望むものというエッセイのみで、応募した人物をどのように評価できたのだろうか?特に2回目では、応募書類を出してから、3週間で教授が決定された。新しい教室をそのように導いていきたいかという各候補者のプレゼンなしに、教授会はどのように、評価できたのであろうか?最初からの「できレース」であったような気もする。

このような状況であれば、たとえ教授に選ばれてもなにもできなかったのではないかと思っている。人生いたるところ塞翁が馬ではないが、これで決心がついた。教授になってトップダウンで医学教育を変えてみたいと思ったが、今後はボトムアップとして、微力ながら医学教育に関与してよい臨床医が輩出できるように協力していきたいと思っている。

一開業医として、学生教育や研修医教育ができる場所を提供できるように、そして、将来日本を背負うであろう学生に何らかの良い影響を与えられるように、志を同じくする人たちとがんばっていきたいと思う。                       2000-8-31