学位について

臨床実習の乏しい現在の卒前教育では、一人前の医師になるには最低5年の研修期間は必要です。しかし、卒業後2−3年の不十分な臨床研修の途中で、学位を取るために大学へもどっていく若い医師が少なからずおられます。彼らは大学で学位をとり教室になんらかの貢献をしたのち海外留学し、帰国後に大学で研究を続けないのであれば、お礼としてそれ相当のポストを大学から与えられます。生涯、ネズミの研究の学位論文1編のみという人もいます。学位とは、大学が多くの医師を引きつけるために「必要悪」として、日本で生きるためには早くとったほうが楽であるという論理もあります。学問が好きで、研究の結果、大学から与えられるのであれば全く問題はありませんが、臨床医と生きていくのであればなぜ必要なのでしょうか?科学的な考え方を習得するのであれば、患者をするどく観察すれば可能になると思います。まして、臨床能力を磨かなければいけない卒後の大切な時期に、基礎的な研究をし、その人たちが最終的には臨床をするというのは制度として問題であると思います。「必要悪」であれば誰かが前例踏襲ではなく中止するべきです。日本では、臨床医の評価基準がなく、基本的な医学知識がなくても医師としてやっていけます。どの科でも開業できることがよい例です。長年内科を標榜してきた私が、明日、眼科の看板をあげることも可能なのです。卒後直後に、間違いを指摘されない限り臨床能力の向上はありません。基礎研究のみをして、管理職としてとして大学から派遣された医師に誰が意見をいうでしょうか?

私は、学位制度が日本における臨床教育の阻害因子の一つであると思っています。「学位取得より卒業直後の臨床の初期トレーニングが必要である」と言っている人が、学位を持っておれば発言に説得力はなく、学生・研修医のロールモデルにとはなり得ません。学位を有さない人間で臨床能力にたけた人たちが、発言権を持って医療制度を変えていく必要があると思います。それを改善するためには学位がない人間が、影響力のあるポストである教授にならねばならないと思い、私は某大学の総合診療部の教授に応募しましたが書類審査で落とされました。あとで聞いたところでは、学位がなくて応募したのは私がはじめてであり、業績より学位がないということが却下された一番の理由とのことでした。そのため、過去に私の書いてきた論文でどこかの大学で学位がとれるかと模索しましたが、大学に在籍していないということからまず現状では不可能であることがわかりました。

一方、現在の総合診療部の活動をみますと、私が、もし学位をとってどこかの総合診療部の教授になれても、大学自身(または大学のトップ)が現在の日本の臨床医学の状況に危機感をもって、修正として教育の方向を変えようとしなければなにもできないのではないかと思うようになりました。つまり、学長みずからが各教授に号令し、臨床教育の重要性を説かなければなにも変わらないようにも思います。