医療政策の問題

医師としてではなく、政策として改善しなけばならない種々の問題がありますが、私は以下のものを考えています。

  1. 保険制度のよさと弊害
  2. 医療費
  3. 日本の臨床医療レベル
  4. 検診の制度
  5. 高齢者福祉

1.国民皆保険は、他国にない日本のよい制度です。しかし、国が国民にどんな医療を提供しようとしているかの明確な青写真がありません。一方、国民はいつでも安価で診てもらえる常に質の高い医療を求めています。高度機能病院を老人サロンのように思い、単に担当医師に会いたいということで頻回に病院へ通う高齢者がいます。その結果、我々の病院でも、一日の外来予約が100人という事態も生じ、一人あたりの診察に要する時間が極めて少なく、結局は挨拶だけとなることもあります。専門医および一般医の守備範囲に関するガイドラインがなく、国民一人一人もこれに関してのコンセンサスはありません。

2.先日の杏林大学における子供の「割り箸事件」では、報道では卒後3年目の医師が救急診療を担当していたことが問題にされました。卒後何年目の医師がみれば国民は納得できるのでしょうか?技術料を安く材料費は高く設定されている日本では、安い給料で仕事をする研修医がいなければ、国民は現在の倍以上の保険料を払う必要が生じます。給料の高い専門医を24時間体制で多くの病院でそろえるのは困難です。行政として専門医制度等をコントロールしていないため、病院間の連絡は悪く、少ない症例を多くの施設で共有しています。そのため、欧米の病院と比較して合併率が高く、成功率は低くなります。医療費のうちで多くの部分を占めている医療機器の内外格差も是正する必用があります。

3.現在の市中病院の医療、特に救急医療はきわめて低レベルです。救急医療ではどこに運ばれるかで患者の運命が決定します。これは、卒後教育とも関係しますが、低い臨床レベルで国民は満足しています。根本的に医学教育を変えることでしか解決できませんが、政府はその障害物がなになのか、枝葉末節的な論議をしないで、データを開示して、たとえばインターネットででも公開討論をすべきです。この大きな原因の一つとして、市中病院の人事は大学の教室(医局)が握っていることだと思います。医局での医師は、臨床が出来なくても研究が出来れば評価され、臨床ができても研究が出来なければ評価されません。大学の講座制を解体し、チェアマン制にするか、抜本的な大学の改革が必要です。これには、政府が関与しなければなりません。また、開業医のレベルを卒後教育で向上させることも必用です。大学で研究ばかりした人が内科で開業でき、放射線専門医が内科も兼ね、婦人科医師が内科も兼ねています。日本では、5つ6つの標榜科があるのもめずらしくなく、開業すれば何科を標榜しても自由です。

その改善策として出されているのが、臨床研修の必修化です。厚生省はこのように、外枠を作っても実際は誰が教えるのでしょうか?教える役割の人間を増やさないでどのように実行できるでしょうか。これは現場の状況を無視した政策です。

手術症例の少ない心臓外科や脳外科では、施設の部長になって初めて手術する権限が与えられ、初めは下手な手術が何回も繰り返されます。心臓外科医、脳外科医が日本では何人必要で、1人前になるには何人の手術をすればよいかという議論が国家レベルでされるべきです。

4.どこの企業でも検診は半ば義務化され、たばこ1日に40本すって検診を受けるということが日常茶飯事です。検診をすればなにが変わるかをきっちりデータとして出すべきです。また、高齢のかたの大腸癌検診等はする事によって何が改善したのか、副作用が何であったは政府がデータをきちんとそろえるべきです。個人的な意見ですが、検診の害を被っている人(いらないことをいわれてpanicになる)方がすーと多いと思います。

5.高齢のお年寄りのみが住んでいる家庭が増えています。80才の人が75才の看護をしているのが現状です。誰もがさけて通れないこの「老い」をどのように幸せにすごすのか、そのためには税金が必用か等の議論が必用です。日本では安心して高齢になれません。なぜなら、病気になりねたきりになると、どこの病院でもたらい回しになるからです。地域における特別養護老人病院では、入所が6〜12カ月まちです。せまい住宅事情で、一人の老人がねたきりになれば悲惨です。加齢現象により寝たきりになり、回復の可能性が無くなっても専門病院へ入院するのがよいのだろうか?ぼけ老人になればだれば面倒をみるのか、脳卒中で動けなくなったらだれがみるのかについてはなにも決まっていません。高度専門の医療費にお金をかける代わりに福祉に金をつぎ込んでもよいのではないでしょうか?私は、病院で個人レベルで貢献するより、政界にでて制度を変えることに関与したほうが、多くの老人の処遇改善に寄与できるかも知れないと思うことがしばしばあります。しかし、政界に出るためにはバックを必要とし、当選後はバックの損になることはできないというしがらみのなかで生きなければならないことを考えると、なかなか決断ができません。