NHK大河ドラマで人気の真田昌幸、幸村が隠棲した九度山。町石道の起点でもある丹正官符神社や慈尊院へは訪れたが、町の中をゆっくり見学することは、これまでなかった。今年は8月に訪れたあと、見残した処を再度、12月に見学した。 | |
九度山駅はプラットフォームにも真田十勇士のイラストがあり、駅舎も六文銭の赤い旗で飾られていた。 | |
「真田の道」と名付けられた商店街はどこも幸村一色 | |
問答石 子供の頃、槇尾山の弁財天を信仰していた弘法大師・空海は、高野山開山後も信仰厚く、月に九度は参詣していた。あるとき紀ノ川が増水して渡れなかったところ、弁財天が現れ、この地に勧請するように伝えたという。「紀伊続風土記」には、「弘法大師が槇尾明神と対面せし処」とある。 |
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米金の金太郎 大正初期に南紀宗平が東山に窯を築いて焼き上げた。高さ2mもあり、陶器製では世界でも珍しい巨像で、町の人たちに親しまれている。 |
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九度山真田ミュージアムへ。真田親子の九度山時代をドラマ仕立ての映像で見た後、パネルや小道具の展示で当時を偲ぶ。 上田時代、九度山時代、大阪の陣に展示のほか、九度山異聞、真田伝説、十勇士伝説、特別展示の大河ドラマ室と見どころ十分だった。 |
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火縄銃は思ったよりも重量があった。 | |
真田紐を作り、それを売って諸国の実情を探っていた。 | |
松山常次郎記念館 |
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真田庵(善名称院) 昌幸・幸村が閑居した屋敷跡 六文銭の刻まれた門の前で
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真田地主大権現 この寺に怒った姿の昌幸の霊がしばしば現れるので、大安和尚がそれを鎮めるために建てたと伝わる。左手に昌幸の墓がある。 |
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雷封じの井戸 幸村がここに閑居中、落ちた雷をこの井戸に封じ込めたという。 |
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真田宝物資料館 真田庵境内にある長屋門形式の資料館。幸村愛用の武具や書状、真田紐を作る器具(右下)など、数多くが展示されている。 |
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左 :幸村愛用の穂先 右上:幸村自筆の書状 右下:昌幸手掘りの犬 |
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真田庵南側の長屋門 天井には古い絵馬や梵鐘が残る。 |
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仏師能光尊史跡 美作出身で後に九度山入郷に居住、高野山中門の仁王像など多数の仏像を残した。 |
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慈尊院 |
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「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」と言われたゴン。町石道の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。慈尊院の鐘の音が好きなことでこう呼ばれたという。 |
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多宝塔 本尊・大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれる。弘法大師の創立。現在の塔は寛永年間(1624〜1643)に再建された。 |
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丹生官省符神社へは119段の石段を登る。 | |
丹生官省符神社 空海が高野政所創建のとき、守り神として地元に所縁の丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社。 |
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真田古墳 「大坂城に続いていて、かつて真田幸村はこの抜け穴を使って戦場へ出向いた。」という伝説が残っている。 実際は、古墳時代後期(4世紀頃)の古墳 |
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旧・萱野家(大石順教尼記念館) |
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