2016年の旅
(3)真田幸村めぐルート・天王寺エリア


師走の一日、今年最後の旅にJR天王寺駅から歩き始め、幸村の史跡を巡った。夜は中之島のイルミネーションを見て梅田まで歩いた。

四天王寺

奈良西大寺の忍性が、四天王寺の別当であった永仁二年(1294)に、木造の鳥居を石鳥居に建て替えたと伝えられる。この石の鳥居前が大坂夏の陣で決戦の場となった。
 石の鳥居扁額には「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」の文字。極楽浄土への東門とされていた。

極楽門

朱塗二層式。もとは西の大門と呼ばれ、大鳥居からこのあたり一帯にかけては”日想観”から生じた西門信仰の聖地だった。

五重塔

昭和34年(1959年)に再建。飛鳥時代の姿を再現したもので本瓦葺、鉄筋コンクリート造、高さ39.0m。急な螺旋階段を最上階に登ると、仏舎利が安置されていた。

日本三舞台の一つ石舞台から、堂内に薬師如来坐像と四天王像を安置する六時堂を見る。

聖霊院(太子殿)

前殿・奥殿からなり、それぞれ聖徳太子十六歳孝養像、四九歳摂政像が安置されている。この「猫の門」のネコは経堂のお経がネズミに齧られないよう、もう一つの「虎の門」のトラは悪いものが入らないように見張りしている。
南鐘楼(鯨鐘楼)

近くの唐門を出て、安居神社へ。

安居神社(安居天満宮)

もと少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。

大坂夏の陣で家康と戦って傷ついた真田幸村が、寡兵敵わず、この神社で戦死したといわれている。

幸村は安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られる。享年49。
幸村の像と戦死跡の碑、そして幸村が休息していたといわれる一本松「さなだ松」(二代目)

一心寺

浄土宗の寺院で、お骨仏と断酒祈願で知られる。大坂冬の陣で家康の本陣が置かれた。

この仁王門は平成八年建築。空襲で焼失した旧黒門に因んだ新しい感覚の仁王様である。

本多忠朝の墓 

冬の陣では酒のために遅参し、家康から叱責された。夏の陣では名誉挽回のため奮戦し、討ち死。酒を断ちたい人の守り神になると言い残したといい「酒封じの神」として参詣者が多い。

堀越神社

四天王寺を外護する四天王寺七宮の一つで聖徳太子創建の由緒ある神社

大坂冬の陣で家康の本陣、夏の陣では幸村が布陣した激戦地のあと。
石碑は大坂の陣戦没者慰霊のため、2014年に一心寺が寄贈した。

堀越池

奈良時代に和気清麻呂が河内川の流水を南に引いた池と言われている。古い歴史を持つ自然と、背後の「あべのハルカス」の対比が面白い。

大阪光のルネッサンス2016

今年14回目を迎える光の饗宴を見に行く。淀屋橋の上からの中之島イルミネーション

中之島イルミネーションストリートを天神橋へ歩く。

中央公会堂正面のプ゚ロジェクションマッピング『OSAKA ART CITY 都市とはアートである

学生たちの視点でみつめた、時間、大阪の今昔、そして近未来の大阪。エネルギッシュなデザイン画が、公会堂の壁面に次々に映し出された。

天神橋からUターンして御堂筋を梅田まで歩いた。途中の「お初天神」
久しぶりに訪れるが、ここもすっかり様変わりして「恋人の聖地」になっていた。

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