2005年の山旅 (9月〜12月)



金剛山

【登山日】2005年9月3日(土)曇一時晴
【コースタイム】石筆橋07:40…太尾賽跡09:10〜09:15…大日岳09:55〜10:05…葛木神社10:20…ブナ林(昼食) 10:25〜11:00…国見城跡11:07…セト11:42〜11:50…石筆橋12:55


大型台風が接近しているせいか朝から蒸し暑い。太尾賽跡まで、いつもよりかなり長く感じた。大日岳に着く頃から少し青空が覗いたが展望は効かない。相変わらず大勢の人でごった返す社務所横から転法輪寺に参り、葛木神社へ登る。社務所前の気温表示は 22℃だった。人の多い国見城跡は敬遠してそのまま通過、北尾根を下る。花の写真を撮りながら、かなりゆっくり歩いたつもりだったが、それでも 13時前にカンカン照りの駐車場所に帰ることができた。



帝釈山〜シビレ山

【丹生山系】六甲西北(行政区画上は神戸市北区)に位置する標高500〜600mの低山の連なりである。帝釈山から稚児ヶ墓山までの縦走路がよく歩かれているが、今回は交通の便を考えて衝原湖畔に車を置き、帝釈山からシビレ山を周回した。
   
                     
【登 山 日】2005年9月18 日(日) 曇り       【メンバー】千日山歩渉会 8名
【コースタイム】衝原駐車場09:00…表参道と合流09:37… 林道と別れる0:50…丹生神社10:25〜10:30…シビレ山への分岐10:42…帝釈山11:20〜12:00(昼食)…シビレ山分岐12:23…淡河本町への分岐…朝日山12:40〜12:45…シビレ山(465m)13:06…鉄塔13:10〜13:35(コーヒータイム)…衝原湖14:40…駐車場:14:50


義経が一ノ谷奇襲に使ったといわれる義経道を登るつもりが、東寄りの林道に入ってしまった。30分ほどで「十七丁」の町石の立つ表参道と合流する。さらに登ると延命地蔵と「丹生山」の石標があった。山道に入り、かなりの急坂をジグザグに登る。「四丁」を過ぎると道はなだらかになり、小さな竹藪を抜けて山頂部の平地になる。大きな石鳥居を潜り丹生神社に詣でる。社の周囲を巡って三角点を探したが、見付からなかった。北へ進み、シビレ山への道を見送って10分ほどでT字路となる。東に向かい小さなピークを越えると小さい掘割状のコルで、右に丹生神社前バス停に下る道が分岐する。次の小ピークを越えてしばらくで585mの帝釈山頂に着く。小広い草地に石の祠が二つ残っていて、かっての丹生山明要寺奥の院の雰囲気を残している。草に埋まるように二等三角点があったが、残念ながら薄曇りで展望は今ひとつ。それでも西六甲の山々が近く、明石大橋も薄く霞んで見えた。

シビレ山へは引き返してT字路の分岐を直進する。神社から来た広い道と合わさったあと左の細い道に入る。砂岩の急な登りで朝日山山腹の捲き道に出たが、ピークを踏むために登ってみる。ススキの原越しに雄岡山、雌岡山が浮かぶ平野部が眺められた。捲き道に下り、再び急登となる。暗い林の中の小高いところに、シビレ山を示す山名板があった。15年前に来たときはもっと広々と開けた風景だったように思う。山陽自然歩道の標識に従って急な尾根を下る。白い砂岩に緑の松が点在した湖南アルプスに似た眺めだが、油断すると転げ落ちそうなほど勾配が強いので慎重に下る。地図の356m地点の分岐に、左は「コウモリ谷」を指す標識がある。殆ど流れのない沢沿いを下り、急にルンゼ状に落ち込むところから左へ曲がり山腹を登る形になる。直進する先が入山に許可がいるコウモリ谷の核心部らしい。尾根道に逃げて峠のような所を越すと、眼下に青い衝原湖が見えた。秋とは名ばかりの暑い日だった。

大雲取・小雲取越え

 かって熊野詣の旅人は、はるばる辿り着いた本宮から舟で熊野川を下り、新宮(速玉大社)から陸路、那智大社に向かった。更に「大雲取小雲取」の厳しい山坂を越えて再び本宮へ戻り、熊野三山巡拝を終えたという。神の国・熊野はまた黄泉の国でもあり、難行苦行を経て新しい人間に「よみがえる」再生の旅が熊野詣であったといえよう。その意味では那智から北へ向かうのが順序だが、私たちはこれまで歩んできた大峰奥駈道、また中辺路の延長として、南下するルートを選んだ。まず小雲取を越えて中継点の小口で一泊、二日目に大雲取越えで那智に向かった。

  
詳しいレポートはこちら →  小雲取越え     大雲取越え

【登 山 日】2005年9月23 日(祝)〜24日(土)
【メンバー】(日本山岳会関西支部)13 (会員外)2名

丹波・向山

【登 山 日】 2005年10月9日(日)晴れ  【メンバー】日本山岳会関西支部  24名
【コースタイム】
谷中分水界起点10:33…尾根に出る11:00…観音堂登山口分岐11:25… 岩座展望台11:34…三ノ山(470m)11:50 …四ノ山12:00〜12:07…向山12:40〜13:20…五ノ峰13:37…蛙子展望所13:58…珪石山14:17…分水界展望所15:00…分水界起点15:15

「本州最低標高の分水嶺を歩く」山行は、JAC創立100周年記念行事「中央分水嶺踏査」の関西支部分担区間終了記念山行ともなった。お祭りの準備で活気づいている水分かれ公園を通り抜け、去年の下降点を過ぎると大きな猪除けの鉄柵がある。戸を開いて「谷中最低分水界始点」の標識から左手の斜面に取り付く。登山道はほんの踏み跡に過ぎず、しかも思い思いに入り乱れている。胸を突くような急勾配の斜面を踏み跡を選びながら遮二無二登る。傾斜が緩み小さな尾根に出ると、赤テープ標識もあって少し道らしくなった。観音堂登山口への分岐を合わせると、後は去年春の分水嶺踏査で歩いたしっかりした道である。空は爽やかに晴れて、そよ吹く風が火照った身体に心地よい。
 アップダウンを繰り返し、見晴らしのきく小ピークでは展望を楽しみながら歩く。主峰の向山は林の中で無展望だが、山頂部は広く全員が休むのにいい場所だ。食後はヒカゲツツジの中や小さな岩稜を、五の峰、蛙子(ガエルゴ)展望岩と辿って、主稜を離れ清水峰へ向かう。珪石山からは登りに増した急坂で、トラロープや木の幹を頼りに急降下する。分水界展望所を過ぎると、僅かの下りで分水界起点に降り立った。ここから谷中分水界西端の石生交差点(大師堂)まで歩いて最低標高地点を訪ね、本日の山行を終えた。

大 山

【登 山 日】2005年10月19 日(水) 
【コースタイム】南光河原駐車場07:53…登山届ポスト07:57〜8:05…四合目08:50〜08:57…六合目09:25〜09:35…八合目10:14…弥山頂上10:35〜10:45…避難小屋11:05…五合目12:00…登山届ポスト12:45〜12:50…駐車場12
:55

 大山寺の宿「雪花荘」の枕元に一晩中、風の音が絶えなかった。今朝も雲の動きは速いが、まず雨の心配は無さそうだ。南光河原の駐車場から苔むした石段道を登り、夏山登山道に出る。風が梢を揺すり、山がゴウゴウと鳴っている。気温はかなり低いようだ。ずっと続く木の階段道は二合目でやや緩やかになったが、ブナやミズナラが美しい三合目から再び急になる。ちょうど一時間登った四合目で、初めて腰を下ろして一息入れる。木や石で念入りにつけられた階段道は、何度も崩壊しては付け替えられている様子で、火山岩質のこの山のもろさと不断の復旧作業の苦労がよく判る。
 五合目はブナ林の中、六合目は北壁の眺めのいいところ。風が強く、寒さに耐えられずに避難小屋に入って休む。外に出ると少し風も収まっていた。始まったばかりの紅葉が、ところどころで美しく山肌を染め上げている。「落石注意」の標識や金網で石止めをした箇所がでてくる。次第に雲が消えて青空が拡がってきた。七合目、展望はますます拡がり、爽快な気分で登る。八合目からは頂上台地に入り勾配が緩むが、北側が切れ落ちて風を強く受ける所があった。山頂に向かって延々と木道が延びている。両側は背の低いダイセンキャラボクの純林。赤い実が陽を受けて小さいルビーのように光っている。「きれいなあ」と嘆声を挙げる和子に、道の補修をしていた人が「美味しいですよ、味をみて下さい」と笑顔で教えて下さった。口に入れてみると思いの外に甘く、珍しい味だった。
 山頂は私たち二人の他に5人しかいない。しばらく山頂からの展望を楽しむ。360度とまではいかないが、かなり遠方まで見渡すことができた。山頂下の立派な小屋でラスクを少しつまんでコーヒーを飲み、下山にかかる。登ってくる人と次々と出会っては道をよけたが、正午に五合目を過ぎると急に静かな山に帰った。二人とも、それほど疲れも感じないで快調に歩け、秋の山を存分に楽しむことができた。

御在所山 

【登 山 日】2005年10月30 日(日) 晴れ
【メンバー】千日山歩渉会11名
【コースタイム】駐車場所09:15…中道登山口09:25…地蔵岩10:25〜30…中道11:30…リフト山頂駅11:50…御在所岳12:00〜13:00…武平峠13:55…駐車場所14:40


この時期の車の多さは格別で、山の家近くの空地に何とか駐車する。溝状にえぐれた急登で汗ばんだ身体が、爽やかな風が吹き抜ける稜線に出ると肌寒いほどになる。真っ青な空を背景に、錦の衣をまとい花崗岩を点在させた御在所岳が聳えている。花崗岩の間を縫って進み、背負れ岩を過ぎ、地蔵岩上の展望台で休む。鎌ヶ岳や釈迦ヶ岳の眺めが素晴らしい。岩稜帯にかかり、クサリの付いた岩場をキレットに下りる。尾根を下り気味に行くと鎖場があり、大きな岩の下をトラバースする。国見岳の岩の上に立つ人が豆粒のように見え、伊勢湾が微かに霞んでいる。岩盤の登りになると、いつもジメジメしていて嫌なところだ。最後は樹林帯の急登で頂上の一角・朝暘台に飛び出した。
 鎖を張り巡らした大岩の上でしばらく鈴鹿の山々や伊勢平野の眺望を楽しむ。紅葉した木々を仰ぎながら山上レストランに来る。前の広場ではアルペンホルンを吹き鳴らす人たちに人の輪ができていた。今日が東海支部のJAC百周年記念行事当日だったことを思い出す。しばらくして国見岳の方から加藤夫妻が姿を見せ、ゴーキョピーク以来の懐かしい再会に固い握手を交わす。三角点でランチタイム。のんびりと食後のコーヒーも楽しみ、武平峠に向かう。
 舗装の林道から振り返る山頂部の紅葉は、西陽を浴びて耀くようだった。やがて山道に入り、クマザサの原からむき出しの花崗岩の下りになる。ぐんぐん高度を下げて武平峠に出る。歩き足りないのか、鎌ヶ岳へも登りたそうな人もいたが、秋の夕暮れの早さを考えて次の機会に譲る。私たち夫婦にとっては1212記念以来、5年目の1212mの山で、思いの外に美しい紅葉と天候に恵まれた楽しい山行になった。

高野山町石道

【登山日】2005年11月6日(日)曇り時々雨【メンバー】日本山岳会26名【コースタイム】6日 遍照光院8:12 …四里石を過ぎた展望台9:47〜10:00…矢立10:35〜10:50…九十町石12:10〜12:30…二つ鳥居 13:00〜13:15…展望台14:50〜15:00…慈尊院15:30〜15:45…九度山駅16:08

11月5日(土) 日本山岳会創立100周年・関西支部設立70周年記念式典が挙行される。長い準備期間を経て、いよいよ当日となった朝は素晴らしい秋晴れ。北海道から九州まで各地から高野山に集まった遠来の客を高野山駅に迎え、奥の院から壇上伽藍まで三六丁の町石道を案内する。やはり河口慧海師供養塔に関心が集まった。午後は高野山大学で「日本の登山文化の源流を探る」と題した講演会のあと記念式典があり、その後会場を宿舎の遍照光院へ移動。会席スタイルで精進料理と般若湯を楽しんだ。

11月6日(日) 夜明け前から激しい雨。「町石道」「高野三山」の二つのコースに別れて出発する頃には小降りになった。Aコース(町石道)のコースリーダーで 26名のパーティの先頭を歩く。最後尾は重廣支部長が締める。一回目は四里石を過ぎた展望台、二度目は矢立茶屋で休憩。名物の焼き餅を土産に買う。九十町石前の杉林で昼食。
「二つ鳥居」へは案外楽に登れた。六本杉峠で休憩して、百六十五町、蛇行する紀ノ川を見下ろす展望台まで来ると青空も覗いてきた。正面に金剛の山並みが見える。滑りやすい急坂を下って町石道の起点、慈尊院に着く。 16時、無事九度山駅に到着。雨具を着たまま歩いたが傘でも済むほどの降りで、九州や静岡など遠くから参加された人にも喜んで頂き、係として責任が果たせてほっとした。

住塚山〜国見山〜屏風岩

【登 山 日】2005年11月27 日(日) 晴 【メンバー】千日山歩渉会 12名
【コースタイム】 屏風岩公苑P09:10…一ノ峰コル09:30…住塚山09:57〜10:15…ゼニヤタワ10:30…国見山10:50〜11:30…松ノ山12:00…クマタワ12:10〜12:15…林道川根線入口12:50〜13:10…分岐13:43…若宮峠13:54…一ノ峰14:15…一ノ峰コル14:25…屏風岩公苑P14:40

整備が進んだ屏風岩公苑をスタート。裳裾を紅葉に彩られた屏風岩の下を通り、杉林の中のジグザグ道で住塚山を目指す。何度か急坂を登り、最後は丸太の階段道を登って山頂に着く。五つのピークを連ねる屏風岩が眼下に、その左には鎧・兜、倶留尊、古光山などお馴染みの山々が近く見える。クマザサの中をゼニヤタワに下り、雑木林の中に岩場も混じる急坂を登って国見山の頂に立つ。住塚山からとほぼ同じ眺めだが、こちらの方が見晴らしはよい。、暖かい日差しの下で昼食にする。
 ふわふわの落ち葉を踏んで北に下る。鞍部から急な階段道の登りが延々と続く。登り詰めたところに「松ノ山945m」の標識があった。急な下り10分でクマタワ。清浄坊渓谷方面に下る沢沿いの道はかなり荒れているようなので、舗装の広い林道を歩く。林道川根線に出会い一ノ峰コルの方に登り返すショートカットコースをとる。すぐに地道に変わり、だらだらと高度を上げていく。何度も沢を渡り返すが、紅葉を浮かべる清流に所々で美しい小滝や滑滝が現れ、目を楽しませてくれる。尾根に取り付き、クマザサの美しい緑の中を登っていくと、十字路になっている若宮峠に出た。クマザサの中をひと登りで、屏風岩の上を通る道に出る。笹が切り開かれていて歩きやすい。しかし、美しく紅葉した樹木が途切れて剥き出しの絶壁の上に出ると、目が眩むような高度感だ。小さなアップダウンのあと「屏風岩一ノ峰926m」の小さな標識がついたピークがあり、三角点はその少し先の見晴らしがよい場所にあった。一ノ峰コルから朝登ってきた道を公苑に下る。午後の太陽を浴びる屏風岩は、朝とはまた違った表情で私たちを見送ってくれた。短い距離にせよ屏風岩の稜線を歩くことができたのは、嬉しい収穫だった。

熊野古道・伊勢路

伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」という古い俗謡がある。江戸時代、伊勢参りを終えた東国の人たちが次に目指したのが熊野詣で。この二つの聖地を結ぶのが古道・伊勢路である。いくつもの峠を越え全長140qに及ぶ道は、決して楽ではないが、篤い信仰に支えられた人々には憧れの旅でもあっただろう。そんな昔に思いをはせながら、その一部「馬越峠、八鬼山越え」の石畳の道を歩いた。
詳しくはこちらに


【登 山 日】2005年12月10 日(土)〜11日(日) 晴れ
【メンバー】JAC関西支部  一般参加を含め26名


湖東・津田山

近江八幡市の北に、長命寺山、津田山、御所山、伊崎山などの低い山が連っている。古代、この一帯は奥津島という琵琶湖最大の島であり、ご神体の山として信仰されていた。そのため山麓には多くの古社が点在している。津田山は連山の最高点であり、標高455m.。別名、奥島山。

【登 山 日】2005年12月17 日(土) 曇り   【メンバー】千日山歩渉会 14名
【コースタイム】長命寺バス停12:45…長命寺13:00〜13:15…登山口13:20…長命寺山13:40〜13:47…奥島山(津田山)14:20〜14:35…水フォーラム記念林15:12…国民休暇村・近江八幡15:45


 バス停から808段の長い石段を登り、山門をくぐり長命寺に参拝する。車道を少し下ったガードレールの切れ目から山道に入る。寺の裏手を通り、倒木などのある道を落ち葉を踏んで登る。分岐の標識に導かれて右へ進む。長命寺山頂(333m)は樹木に囲まれた特長のないピークで、少し荒れた感じである。分岐に帰り奥島山に向かう。明るい雑木林の道でアケビに似た「ムベ」の木が多い。翌日、宿舎の売店で求めた「近江 山の文化史」に、天智天皇がこの山で「ムベなるかな」と言われたことが、「宣なるかな(いかにも、もっともだ)」の語源とされていると記されていた。鞍部に降る途中で、木の間越しに奥島山の美しく整った山容が見える。 下りに増した登りで額に汗が吹き出す頃、道の両側に大きな岩がたくさん出てくる。
 最後の急坂を登り切ると、前に鳥居の立つ大きな磐座の前に出た。奥島山三角点は少し奥にある。南側にある大岩に登ると、湖東の平野と山々の展望が得られた。別の大岩からは西側の展望が良く、湖面の向こうに雪を頂いた比良の山々が美しく眺められた。しばらく林の中を下る。右手に10数mほどの大きな岩がでんと鎮座しているところに来る。「天御中主神」と記した標識がある。山頂の磐座の案内にもこの神の名が記されていた。 前の広場から見る沖ノ島や比良連山が美しい。ここから356mピークを越えると、あとはぐんぐん下る一方。30分ほどで小豆ヶ浜分岐の標識を過ぎ、ほどなく明るく開けた所に飛び出した。奥島山林道を横切って、目の前に見えるピークは山腹の左側を捲いていく。殆ど水平の歩きやすい道で今宵の宿・休暇村近江八幡へ下った。