2007年の山旅 (5月〜7月)



馬ノ鞍峰


【登 山 日】 2007年5月3日(木)
【メンバー】 ハチキンさんとペンギン夫婦【コースタイム】林道終点09:15…明神滝分岐09:48…カクシ平1キロ道標10:03〜10:13…カクシ平10:48…尾根に出る11:40〜11:50…馬ノ鞍峰12:20〜12:55…尾根下降点13:35…尊義親王墓所14:00…カクシ平1キロ道標(コーヒータイム)14:30〜14:47…明神滝15:10〜15:20…林道終点15:40


林道終点の登山口から「かくし平」までは散策路になっている。小さな沢を渡ったり、ザレ場を越したりするが、桟道や丸木橋などでよく整備されている。明神谷を見下ろしながら新緑の中を行く道は、島々谷から徳本峠への道を思い出させた。明神滝への分岐を見送り、登山口から1時間ほどでカクシ平の三之公行宮跡に着いた。三之公とは、北朝に神器を譲った後亀山天皇の曾孫にあたる尊義王、その子の尊秀王と忠義王の三人のことをいう。現在でも交通の不便な、この山奥でのご不自由な生活を思うと、有為変転は世の習いとはいえお気の毒でならない。小さな谷を何度か渡り、林の中の急斜面を登って馬ノ鞍峰から西に延びる尾根の上にでた。木の間から白髭岳、弥次平峰を眺めて尾根に出ると勾配はゆるむ。スギ、カシ、ヒノキ、ブナ、ミズナラ、ツガ、モミ、ヒメシャラなどの、奇妙な形の木、共生している木、目を見張る程巨大な木、根が尾根いっぱいに拡がっている木、キノコがたくさん寄生して入る木などを見ながら登る。次第に痩せ尾根になり、見事なシャクナゲ林に入るが、まだツボミが固く残念だった。アケボノツツジの花が艶やかな彩りを見せてくれた。

最後の急坂を登って、1,177m、二等三角点の埋まる山頂に立つ。林に囲まれて展望はないが、長い間の念願だった山頂だけに満足感に浸った。帰りはカクシ平で尊義親王のお墓にお詣りし、明神滝へ寄った。滝は40mといわれる高さから一直線に落下している。これだけの高さを、岩壁に触れずに飛び出すように落ちる滝は、関西では珍しいのではないだろうか。好天に恵まれ、ゆっくり花や水を鑑賞できた楽しい一日だった。何度もきている山なのに、わざわざ案内してくださったハチキンさんさんに厚くお礼申し上げます。

岩阿舎利山〜岳山(リトル比良)

【登 山 日】2007年5月13 日(日)
【コースタイム】鹿ヶ瀬09:37…鵜川越10:25…岩阿沙利山<686.4m>10:50〜11:05…オーム岩12:00〜12:30…岳山13:00〜13:05…石灯籠のある広場13:50〜14:10…音羽登山口14:40…近江高島駅14:1
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近江高島から畑行きのコミュニティバスに乗車。バスはバッジを付けた登山姿のツァー団体で満員でうんざりしていたが、「鹿ヶ瀬」で降りたのは私たち二人だけだった。登山口に道標はなく、民家の横から田圃を抜けて川沿いの細い道を行く。沢を渡るとはっきりした山道になって赤テープの目印も現れる。いったん林道に合流して、また林の中に入ると何度か渡り返すうちに谷は次第に細くなり、最後は急な登りで稜線上の鵜川越に出た。岩阿沙利山まで標高差130mの登りは、ずっとユズリハの並木道。山頂三角点は稜線からほんの少し離れたところにあり、側に大きな岩がある。登って見ると鹿ヶ瀬方面の集落や田植えが終わったばかりの棚田が見下ろせた。いったん下り、八王子というところから再び登り返す。美しいブナ林の中を通り693mピークを通過。大きな岩が点在する道のアップダウンが続く。今日の最高点・鳥越峰(702m)は山腹を捲き、鞍部からひと登りで、ちょうど正午にオーム岩に着いた。これから辿る岳山の稜線の向こうに、琵琶湖が青空を映している。反対側には武奈ヶ岳も顔を見せている。

こんな立て札があった。『鴻溝録 前田梅園  鸚鵡石 鳥越峯にあり。言語絲竹(しちく)の音一として答へずと云ふ事なし。呼場あり、聞場あり 聞くものは聞場に在りて筵を開き、盃を傾け 人をして呼場に謡歌せしめ、管弦を成さしむ。尤も妙なり。』
「オームの嘴に似ているための名」と聞いていたが、これによると、山彦のように声や音が帰ってくるのでオウム岩と名付けたようである。「鴻溝録」は文政7年(1824)に大溝藩士・前田梅園によって著された大溝藩の地誌と分かった(高島市立図書館HP)。当時、現在の高島、安曇川町、今津町などは大溝藩(2万石)の領地で、梅園は「郡官」として領内35村を巡検したときの見聞を「鴻溝録」としてまとめたということである。

風の強いオウム岩の上から振り返ると、先程の岩阿沙利山の真上に武奈ヶ岳が見えた。急坂を下り、アカガシ林の中をなだらかに登っていくと岳山である。山頂付近は大きな岩が散らばり、右手には石灯籠を前にした岩室があり、三体を描いた石仏が安置されていた。ここからはダラダラと単調な下りで、深い林の中に大岩が散在した道を行く。岳観音跡を過ぎると、苔むした石段、古い町石などが現れて参道らしくなる。左手にかなり大きな白い砂地の斜面があり「白坂」という標識があった。うんざりするほど長い下りが続き、大きな石灯籠の立つ、琵琶湖の展望が素晴らしい広場でコーヒータイム。弁慶の割石から道はなだらかになり、神楽石を過ぎると、ごろごろした歩きにくい道が整備された道に変わる。小田川の畔に「音羽の里」の標識があり、林道脇は花期が終わったイワウチワの大群落が続く。やがて大炊神社と長谷寺が並んで立つ音羽登山口にでて、朝、バスで通った広い道を近江高島駅に歩いた。お天気も良く、のんびりとハイキング気分で歩けて楽しい一日だった。

高城山〜武士ヶ峰

高城山(1,111m二等三角点)は、天川村と西吉野村の村境界となっている大峰支稜上に東西に連なる山々の一つ。私たちにとっては、奈良県編「奈良百遊山」の中で唯一登り残して気になっていた山である。当初は車一台を西之谷に配置して五色谷から天狗倉山を経て周回するつもりでいたが、今にも降り出しそうな空模様でもあり、西之谷林道を登れるところまで登って、ピストンすることになった。

【登 山 日】 2007年5月20 日(日) 
【メンバー】 フェアレディ、のりか、ペンギン夫婦
【コースタイム】西之谷林道の峠09:20…高城山10:03〜10:25…峠11:08〜11:20… 武士ヶ峰(北峰1014m)11:50〜11:55…南峰12:10〜12:13…北峰12:23〜13:10…峠13:20


林道の舗装が切れると、真新しい切り開きで稜線を横切る峠に着いた。車を降りると初夏とは思えぬ肌寒さである。正面に金剛・葛城、五條市街、ずっと右手に音羽三山など、曇り空ながらまずまずの展望が得られた。峠の標高はすでに約915m。高城山までは標高差約200mだが、途中大小のコブを三つ、四つ越していく。滑り落ちそうな急坂を登って頂上に着く。1973年発行の奈良山岳会編「大和青垣の山々」では「北部大峰の連山が手に取るように見える。大峰の前衛の山にふさわしい展望台である。」と記されているが、残念ながら成長した樹木に覆われて全くの無展望。しばらく休んで元の道を峠に引き返す。
 武士ヶ峰は同じ支稜上の約2キロ西にある双耳峰である。稜線の道が林道で完全に分断されているので、4人で登り口を探し回る。張り巡らされたブルーのネットに沿って西側に回りこんだあと、頭上に見える稜線に向かって直登。稜線に出るとひと登りで北峰頂上。北側の樹林が切り開かれていて、矢筈峠に向かう林道、1007.5m峰から乗鞍岳へと続く稜線、振り返ると高城山が見えた。南峰は全くの無展望なのですぐに引き返し、北峰で昼食のあとワラビ狩りに興じる。帰りは稜線通しに林道鞍部の土止めの上に出た。下からは見えなかった小さなプラスチック板に、「すぐ上、武士ヶ峰登山口」とマジックで書かれていた。

観音峰


展望台より大日岳、稲村ヶ岳    バリゴヤの頭                 弥山     頂仙岳

【登 山 日】 2007年6月21日(木)
【メンバー】 U夫妻とペンギン夫婦
【コースタイム】 洞川温泉09:20…観音峰バス停09:47~09:50…遊歩道(登山口より300m地点)10:05…観音水10:08~10:10…第一展望台10:20~10:25…観音平10:50~11:00…観音峰展望台11:27~11:50…観音峰12:27~12:50…三ッ塚13:15~13:25…法力峠14:07~14:17…稲村ヶ岳登山口15:20…洞川温泉15:35


浦上夫妻を誘ってベニバナヤマシャクヤクを見にいく。バス停手前の古い道標からスギ林の中の道を登る。観音水で喉を潤し、第一展望台で展望を楽しむ。土止めの階段道と山腹の水平道を何度か繰り返しながら登り、観音平の休憩所を過ぎると、最後はジグザグの急登となり、涼しい木陰からカンカン照りの草山に飛び出した。観音峰展望台(1208m)である。お目当てのベニバナヤマシャクヤクは、展望台から続くカヤトの原にポツポツと咲いていた。ヤマシャクヤクよりも半月程、花期が遅いようだ。初めて見たが本当に美しい花だ。展望台からの眺めは本当の360度。しかも今日は視界がクリアで、遠くまで手に取るように見通すことができる。東南には大日岳、稲村ヶ岳、からバリゴヤ谷の頭に続く岩稜、さらに鉄山、弥山、八経ヶ岳、頂仙岳と大峰の山々が続く。西には天狗倉山と先月登った高城山、その左に双耳峰の武士ヶ岳。遠くは護摩壇山、荒神山、生石ヶ峰、陣ヶ峰、そして高野三山、龍門山…数えきれぬ山々の饗宴である。
 ゆっくり花と展望を楽しんで出発。ススキの原を抜け展望台から1時間で観音峰に着く。ここは灌木に囲まれて展望は全くない。法力峠への道は広くなり標識もあって歩きやすい。最高点・三ツ塚(1380m)からの岩稜帯は捲き道になり、下りになるとザイルもつけてある。急降下で法力峠に下り、しばらく休む。五代松鍾乳洞を通ってゴロゴロ水の会社の前に下り、洞川の町を通り抜ける。どの店の前にも清水が引いてあって涼しげである。温泉で山の汗を流して、車に帰る。3度目の観音峰だったが、初めてこの時期に登って待望の花に出会え、素晴らしい展望にも恵まれて言うこと無しの一日だった。


由良ヶ岳

若狭湾に臨む双耳峰で、東峰(585.1m)は由良川河口や湾の、西峰(640.0m)は天橋立の絶好の展望台になっている。山麓には山椒大夫に所縁の史跡が多い。

【登 山 日】2007年7月25日(水) 晴れ
【コースタイム】 登山口09:15…五合目10:00〜10:10…一杯水10:35〜10:50…鞍部11:00…東峰11:07〜11:30(昼食)…鞍部11:35…林道出合11:43…西峰11:53〜12:25…鞍部12:40…一杯水12:50〜13:00…四合目13:45〜13:50…登山口13:55

国民宿舎・丹後由良荘の裏手にある登山口からすぐに「一合目40m」の標識があり、抉れた溝のような道を登る。「二合目120m」の標識で、数字は合目ごとの標高と合点する。四合目は小広場に炭焼き窯の跡があった。再び急登が始まってすぐのスギ林の中に五合目の標識。標高340m、やっと矢田山の高さである。七合目に「一杯水」の標識があり、ザックを下し水分補給に行くが、期待したほど冷たくはなく、がっかり。しばらく笹原の中の急で滑りやすい道を登る。稜線へでたところが九合目で、東峰と西峰のコルになっている。なだらかな笹原の道を数分で東峰585mの頂上に着く。大きく展望が開け、虚空蔵菩薩を祀る祠を殆ど顔の薄れた狛犬が守っていた。海風が微かに涼しさを運んでくれる。天候も展望もまずまずで、舞鶴湾と由良川の河口を見下ろす右手に秀麗な青葉山がうっすらと浮かび、西には丹波、但馬の山々もぼんやりと霞んでいた。

鞍部からいったん緩く下ると、舞鶴市側から上ってきた林道終点の平坦地に出会う。周辺案内図によると、従来の稜線の道を利用した周遊遊歩道ができているようだ。緩い登りを数分で「岩場展望台」に来る。低い岩に登ってみたが、たいした展望でもなかった。すぐに西峰で、草に埋もれた一等三角点の横に新しい木のベンチが置いてある。海側の樹木が切り開かれ、霞んではいるが天橋立や栗田湾が望めた。渇いた喉にビールを流し込み、元の道を帰った。

礒砂山

いさなごさん。661m。丹後半島のほぼ中間部、京丹後市峰山町にある天女伝説の山。中腹まで車道が通じ、登山道もよく整備されていて、地元の人に親しまれている。

【登 山 日】2007年7月26 日(木) 曇り時々雨
【コースタイム】 羽衣茶屋09:10…登山口09:15…女池分岐09:25…礒砂山09:50〜10:15…女池分岐10:27…女池…分岐10:40…登山口10:45


天女の子供を祀った乙女神社から府道を2q、更に舗装林道を2q登ると、トイレとベンチだけの無人休憩所「羽衣茶屋」がある。すでに標高400m、小雨模様で風もあり、昨日とうって変わって肌寒いほどの涼しさ。暑さに弱い私たちには嬉しい天候である。舗装道を300m登った登山口には「頂上まで1010段」の標識がある。ガレ場の上をトラバースして、峠状になったところに「磯砂女池」への分岐がある。「あと870段」だが、階段は適度な歩幅になるように工夫され、チップが埋め込んであって足に優しい。海側が開けてきたが霧が出てきて乳白色のベールに覆われている。「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔を通過して、ひと登りで頂上の広場に着く。登山口から僅か40分、楽なハイキングだ。一等三角点があるので展望はよい筈だが、あいにく霧の中で展望はまったくゼロ。ヘリコプターで天から舞い降りたというモニュメントの天女と記念撮影して、元の道を下る。分岐から小さなコブを越えて女池に行ってみた。今は薄暗い木立に囲まれた小さな水溜まりに過ぎないが、かっては天女が水浴びしたというほど、神秘的で清澄な池だったのだろう。

「礒砂女池の羽衣伝説」(分岐の説明板より)
北畠親房著の元元集(1337年)に『丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に井あり。その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴(あ)みき。麓の和奈佐という老父(おきな)、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。
天女万病に効く天酒(てんのさけ)をよくす。十有余年するうち、老父の家富み栄えるも、老父は”汝はもともと、わが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡(こおり)船木の里にたどりて死す。
里人天女を奈具社(なぐのやしろ)に祀る。こは豊宇賀能売(とようかのめ)の命(伊勢外宮の豊受大神)なり』と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある天女伝説の中でも極めて格調の高いものである。大宮町 

茶屋に帰る頃、また雨が降り出した。府道へ降りたところで、往路で道を尋ねたおばさんに出会った。「天気が悪くて悪かったねえ。どこから来たの」、そして「お茶、飲んでいきませんか」と言ってくださった。昔ながらの旅人への親切が嬉しかった。天女神社にお参りして、天女の里でお土産に桃を買った。しばらく車を走らせて振り返ると、整った形の礒砂山が「今度はいい天気の時においで…」と見送ってくれていた。

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