40年前の古い山日記(日本山岳会編・茗渓堂刊の赤い小型の表紙でした)に、9歳違いの弟・治好と、初めて南アルプスへ行った記録が残っていました。私が26歳、弟は高校2年の時のことです。日記には当時の装備や費用なども書いています。アルバムも探し出してきて、しばし若かりし頃の山行を懐かしみました。 | |
さて、私と弟は終戦記念日の8月15日、20時25分発の急行「ちくま」で大阪を発ちました。塩尻経由で飯田線・伊那北駅に着いたのは翌日の6時15分、大阪からの運賃は840円、弟は学割で600円です(因みに現在では、同じルートで「ひかり」と「しなの」を利用して10,080円、所要時間は5時間20分と「駅すぱーと」で出ました)。ここからバス(150円)で戸台に着いた二人の背には、それぞれ2尺4寸の帆布製横長キスリング。小屋素泊まりですが、当時の装備では7貫(約27s)を越す重量となりました。次は、その時の衣料品以外の共同?装備表です。 飯盒、コッフェル、鉈、うちわ、たわし、まな板セット、粉石けん、缶切り、ラジュウス、石油、ポリタン、点火用アルコール、靴とラジュウス修理用具。携帯ラジオ、カメラおよび付属品、食糧、非常食、ビタミン剤。 |
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若い方にちょっと説明しますと、鉈(なた)はルート開拓や薪用にどの山に行くにも持っていきました。ラジュウスというのは石油コンロで、上の火皿にアルコールを入れて暖め、ポンプで加圧して気化したガスに火を付けて使います。これがよく故障するので、パッキングなどの修理用具も要ったのです。靴の修理には釘や針金、ペンチも持っていきました。 | |
食料は次の通りです。 <主食>米3升、パン4食分、チキンラーメン4食分 <副食>カレー缶、ハイシ缶、ハム、福神潰、からし漬、目刺し10本、スープの素、タマネギ、ちりめんじゃこ、とろろ昆布、キュウリ4本、雲丹、豚肉(味噌潰け) <間食>ココア10杯分、ジュースの素16、チーズ小4、おこし、ピーナツチョコレート、チョコレート4、するめ3枚、いが燻製、干しぶどう、クラッカー2本、ジャム、みかん缶詰3個<調味料>醤油、砂糖、味の素、茶の葉、マーガリン2、マョネーズ、チーズなど。 |
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今は戸台口から長谷村営バスに乗ると1時間ほどで北沢峠に着きますが、当時は一日がかりです。戸台川に降りると、3日間降り続いたという雨で増水し、濁流が広い河原いっぱいを凄い勢いで走っています。 「橋が流失していて、最初から急坂のブッシュの中の高捲きの連続で、l時間ほどで簡単にバテる。橡小屋跡を過ぎたところで、丸木橋の上を水が越している所があり、ここは前のパーティと力を合わせて、捕助ザイルで渡る。」 男女ペアが補助ザイルは持っているものの躊躇していたので、これ幸いとそれを借りて弟と何度か往復して荷を運び、4人とも無事対岸に着きました。 「ちょっと緊張するとバテたのはどこかに吹き飛んでしまった。更に何度か徒渉を重ね、ようやく河原沿いの道にで、丹渓山荘前で昼食。予定時間より2時間半遅れている。ここから八丁坂の急坂だが、河原の道よりは精神的にかなり楽だ。東大平を過ぎた頃、道端に全身痙攣の病人あり、連れの人が山荘に連絡に降りる間看病する。北沢峠まで再び登り。薄暗くなった道を急ぐ。小屋に入った頃にはちょうど日が暮れた。炊事の設備も整い、感じのいい小屋だ。」小屋は素泊まりで200円でした。 |
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3日目(8月18日)快晴。北沢小屋〜仙水峠〜甲斐駒ケ岳〜七合目七丈小屋(泊) 4日目(8月19日)黒戸尾根の岩稜を下り、駒ケ岳神社前からバスで牧ノ原へ。料金は40円ですがバスはここまで。日野春駅までは45分歩いて登らねばなりません。「日野春への登りでまた一汗かく。駅で金の計算をするとギリギリだ。松本へ寄り、風呂に入り、¥80のカレーとそば一杯。汽車に乗っても寝るより他に手がない。例の四等寝台(つまり座席の下に新聞紙を敷いて)にもぐり込む。朝食はクラッカー半分。京都でようやくパン三つ買う。今度ばかりは、初めて早く家へ帰って飯を食いたいと思った。」大阪駅に着いたのは翌日の昼前でした。 |