荒れ狂う風雪の中で必死の雪洞作りが3時間も続きました。18時、やっと出来上がった小さな空間に、私たち5人は倒れるように転げ込みました。グランドシートの上にアメリカ軍放出物資のエアマットを敷き、これも米軍放出の寝袋に潜り込み、長い長い夜を過ごす準備をします。お互いが重なるように身体を寄せ合っているのですが、歯がガチガチと鳴るほど冷たく感じます。それでも中は穴の外に比べるとまだ暖かいのです。何時間のちかKが尿意を催し、「我慢できんよって此処でする」と言い出し、みんな同じ思いなので、全員が外に出ることになりました。一向に衰えぬ風と雪の中へ一歩踏み出した途端、身体はブリキの鎧を着たようにコチンコチンに凍り付きました。どのようにして用を足し、また元の空間へ帰ったか無我夢中でした。さすがにリーダーは、外に置いてあったザックからワインを1本、神業のように持ち込んできました。しかし、難儀して開けた瓶の口からは、ザラメ砂糖状の物体がこぼれ落ちます。口の中で溶けても不思議にもアルコール分を感じないのでした。タバコは殆どが濡れて切腹状態、僅かに乾いた何本かの回し飲みです。![]() ビバーグ地で下山準備.雲海の向こうに遠見尾根が浮かぶやがて濡れていた身体も自分の体温でやや乾いたのか、かすかに暖かくなってきました。そうすると、次には堪らない睡魔が全員を襲います。両の瞼はどんなに頑張っても次第に合わさってきます。リーダーとサブリーダーは「ここで寝ると死んでしまうぞ。」とお互いに身体を叩き合うように指示されました。そのリーダーすら今日一日の心身の疲労からか、手は機械のように動いていながら、口からは安らかな寝息が漏れているのでした。その時、初めて私は「戦時中に敗走する兵隊が歩きながら寝た」という話しが、嘘でなかったことを知りました。苦笑して目を覚ましたリーダーから命令され、今まで隠していたことを懺悔しあったり、また次々に歌を披露したり、何とか眠り込まぬように頑張りました。眠気が去るとかえって頭は冴え渡り、「ひょっとすると俺もこれで終わりかも知れぬ、こんな所で死ねば親不幸だな。」と思い、お袋の悲しそうな顔が目に浮かびました。その時です。外の暗闇から、あの唐松小屋の鐘の音が明瞭にカラン、カランと三度、四度と響いてきたのです。私は「あ!小屋の鐘や。なんや、こない近かかったんか。早よ小屋へ行こ。」というようなことを叫びました。SL のYさんは「おい芳村、大丈夫か」と身体を揺すり、外に出ようとする私を両腕に抱きすくめ、まだ隠し持っていた大事なタバコをくわえさせて火を付けて「落ち着け、落ち着け」と何度も言いました。![]() 考えてみれば何キロも離れた雪洞の中で、しかも外では山中が吼えているような酷い音の中で、か細い鐘の音が聞こえるはずはありません。Yさんはてっきり私が発狂したと思ってゾッとしたと、後で話されました。耳を澄ますと鐘の音の代わりに、吹雪の音が身をすくめさせるように聞こえていました。こんな中でも、ウトウトと何分かは無意識の時間がありました。ハッと気が付くと雪洞の中は薄明るくなっていました。風雪の音もかなり穏やかになり、さらに1時間もするとすっかり静かになりました。入り口近くで半身雪に覆われていたリーダーが殆ど埋まった穴から這い出し、「オーイ、皆出てこい」と叫びました。モゾモゾと外に出ると、素晴らしい雲海の上に隣の遠見尾根が、まるで大洋を行く軍艦のように堂々と浮かんでいました。「助かった!命拾いをした。」と思うと、思わず涙が流れてきました。紐が氷結したアイゼンを苦労して付け、カチンカチンに凍ったオーバーミトンでピッケルを握り、逃げるように下山します。空腹と疲労でくたくたになり黒菱小屋の前まで来ると、リーダーのMさんはバッタリと雪の中に倒れ込みました。その身体を担いで小屋に入った私たちの目も何も見え ず、涙が止めどなく流れてきました。この雪目と軽い凍傷だけで助かったのは、熟練のリーダー、サブリーダーの的確な判断があったればこそですが、その後私は懲りるどころか、ますます山にのめり込んでいくことになるのでした。 ![]() ビバーグ地点にて.後ろに五竜岳、その左奥に鹿島槍 |