扁桃周囲膿瘍による入院顛末記

(2000.01.26〜30)

D −4、D −3 (「ディー、マイナス、フォー」のように読んでね)

 土曜日(2000年1月22日)夜、急にのどが痛くなり、その夜は寒気がして良く寝られませんでした。風邪をひいたかと思い、日曜日は京都での会合を断り一日中布団の中。熱は37度台を上下。頭痛もせきもないのですが、左ののどが今まで経験したことがないほど痛く、ごはんも食べられず、唾を飲み込むのさえ飛び上がるほどの痛みです。

D −2

 月曜はアルゼンチンから来るロータリーの留学生Javier Tamashiro 君を迎えに関空へ。彼を榛原のホストファミリーである多田さん宅まで送ったあと吉野の会社へ行く予定でしたが、多田さんが車で来てくれたのでお任せして奈良へ戻り、昼に医者へ行きました。そこでのど風邪と診断され薬をもらって家へ帰り、そのあとは横になりました。

D −1

 火曜日は病状回復しないまま25日でもあり、仕事も放っておけず、電車で9時すぎに出社しました。顧問税理士の先生との打ち合わせ、銀行行き、SSまわり、来客・・・と忙しくし、7時前に帰宅。夕食もいよいよ喉が通りません。もうそろそろ薬が効いてきてもいい頃なのに、と思いながら痛い4回目の夜です。
 喉がここまで痛いと歯やら耳までが参加してきて、頭部の左下1/4が痛みの大合唱をしているようでたいへんでした。

D day

 水曜日、朝から大阪梅田での仕事をキャンセルして、前出の医院へ出かけましたが、あいにく休診日。仕方なく2階の耳鼻咽喉科へ(ここは医療ビルで、内科、小児科、耳鼻科、歯科、鍼灸などが入っています)。
 予約なしの飛び入りでしたが案外早く診てくれました。先生はのどを診るやいなや「これはひどい!、大きい病院で切開して点滴した方がいいですね。近大病院は今日は手術日でダメだから県立へすぐ行ってくれますか?」・・・。

 で、紹介状を持って県立奈良病院に着いたのが10時半。最近は開業医と大病院の分業が進んでいるらしく、この紹介状がないと初診料が高くなります。耳鼻科外来の前でRCの南口さんご夫妻に会いました。そういえば南口さん、しばらくお会いしていません。去年の6月、喉頭ガンの手術をなさったそうです。すっかり快復され、ふっくらとして、お元気そうで、ゴルフも行っているとのこと。ヨカッタ、ヨカッタ。

 私はというと、診察前に中央検査室で血液と尿の検査をしてから再度耳鼻科外来の前で待っていると、担当の佐藤雄三医師に呼ばれ、口をあーん。「これじゃメシも食えんやろう!」と一言。病名は『左扁桃周囲膿瘍』。
 腫れている部分に注射針を入れ膿を吸い出そうとしますが、大して出ません。これなら切開してもあまり効果が見込めない、と(ちゃんとどこからか漏れだしているらしい。そういえば口の中が苦く変なにおいがする)、切らずに様子を見るそうです。少しだけ出た膿は培養検査に回されました。

 先ほどの血と尿の検査結果と(驚いたことに結果が非常に早く出るのですね)診察の結果、佐藤医師は「十日間ほど毎日点滴するのに通院できますか?いま空き部屋が有るか調べますが、部屋が有ったら入院を勧めます。入院した方が絶対早く直りますから」と。とうとう想像だにしなかった入院をする羽目になりました。部屋は長期だと財布と相談しなければなりませんが、今回は3〜4日ということなので個室にしてもらいました。(一日7500円。特別室はヤクザと間違われそうだから辞退。)

 第1回目の点滴は、外来の処置室の片隅で500ml+200ml=700ml、栄養剤と抗生剤だそうです。その間に妻が入院支度のため一度家へ帰りました。

 美人でパンツルックの看護婦さん(名前は竹村さん)に案内された部屋は5階北側の566号室。目の前に池渕石材、1時方向に山田法胤さんの喜光寺、10時方向に箸尾さんのパークホテル、11時方向に山崎屋さんの蔵風の建物が見え、広くてきれいな部屋です。奥さんが必要な品々を持ってきてくれて、鳩が豆鉄砲を喰らったような突然入院生活のハジマリ、ハジマリー。

 夜、2回目の点滴。そして持ってきてくれた本を読んだり、MDを聞いたり、やっとゆっくりできて、夜もよく寝られました。

D +1

 おはようございます。27日木曜日です。外は雪景色で、とても寒そうです。えらいもので喉の痛みは随分ましになりました。たった一日ですが、適切な医療の力は大したものです。熱も36度台に下がりました。

 昨日の尿検査の結果、潜血が±で、尿路結石の前科があるのと、更に51という歳のため泌尿器科の検査を念のため受けるように言われました。

 午前中は3回目の点滴、泌尿器科用のレントゲンを撮りに行ったり、担当医の診察を受けたりで、もっと暇な入院生活を予想していたのに大違いです。

 1時すぎ「泌尿器科外来へ行ってください」と看護婦さんに言われ2階へ移動。耳鼻科と同じフロアーの東側です。

 医者は「レントゲンを見た限りでは石は無さそうだけど、どうせ入院中だからついでにいろいろ診ておきましょう」と、1.血液検査(これは2回目)、2.膀胱鏡検査、3.前立腺の触診、4.エコー、5.尿路造影、をすることになりました。

 またまた中央検査室へ行って1.を終え、泌尿器科へ戻って処置室に入り、変なイスに座って2.のはじまり。カーテンを境に私は手前、息子は見えない向こう側。いかにもベテランの看護婦さんがおチンチンの先から麻酔兼潤滑剤を入れ、待つこと10分。医師が膀胱鏡を入れていきます。これが痛い、気持ち悪い、変な感じ。20数年前に経験した時とあまり変わっていません(痛さは少しまし。尿意は今回は覚えず)。「膀胱はきれい、前立腺は少し荒れているけど大丈夫、ガンはない」とのことで、ホッ!。

 次は横の部屋に移りお尻の穴から指を入れられ前立腺に腫れが有るかどうかの確認です。奥さんにも許したことないのにねえ。。。続いて腹部の触診、腹這いになってエコーの検査です。結果、右の腎臓の中に4mm大の石が発見されました。

 今日の検査はここまで。思いもよらず大変な午後になりましたが、お医者さんも喜んで人のチンチンに管を入れたり、ケツの穴に指を入れたりするはずもなく、仕事とはいえご苦労なことです。冷や汗をにじませて部屋へ帰ると奥さんが待っていてくれました。いまあったことを報告したのはいうまでもありません。

 夕方、4回目の点滴。1時間と10分ほどかかるので、オシッコをがまんするのが大変です。一度帰った奥さんと息子が6時すぎに来てくれ、家族とはありがたいものだと感じました。
 膀胱鏡を入れたおかげでオシッコをするとき痛い!

D +2

 28日(金曜日) 体温36.1度。晴れ、外は今日も寒そう。朝食の前に看護婦さんが血を採りに来ました。炎症反応の程度を見て退院のタイミングを決めるそうです。

 話は前後しますが毎朝一番に蒸しタオルが2本配られます。白と黄色。白いのは上半身用、黄色いのは下半身用です。これは気持ちいい。奥さんが昨日持ってきてくれたひげ剃りで二日分のひげを剃り、ヘアートニックを思いっきりふりかけて頭をマッサージ。タオルで拭き上げると頭も軽くなりました。そして2本のタオルで体を拭いて下着を替えて、「最高ですか?」、「最高で〜す!」。

 朝食は卵豆腐と豆腐のみそ汁と鯛みそにおかゆ。今までずっとお粥でしたが、もう大丈夫なので昼食から普通食に変えてもらうことにしました。

 9時前に耳鼻科処置室で担当医に診てもらい、順調に快復してきているとのことで、やれやれです。10時半に5回目の点滴終了。といっても50〜100ml残ったかな?オシッコがしたくて、したくて冷や汗が出てきた頃、看護婦さんが体調を聞きに来たので、訴えると「抗生剤の方は終わってるし、こっち(500mlの大きい方)は砂糖水みたいなもんやから、後で水を飲んどいてね」と言って外してくれました。白衣の天使(実際はうすいブルー)とはこのことかと思うほど有り難かったあ(陣野さんという看護婦さんです。ありがとう)。オシッコはためすぎるとなかなか出てきません。限界まで尿を貯めた膀胱内の細胞のすべてが尿を排出するのに時間がかかるのでしょう。ここで新発見。例の排尿時の痛みが消えていました。

 今度がまんできなかったら、部屋でオシッコをすればいい、と良からぬことを考え、ミネラルウォーターの500mlボトルの上部をナイフで切り、簡易溲瓶(しびん)を作りました。使用中の姿を想像するに、決してきれいなものではないので、使わなくても良いことを祈りながら・・・。

 昼は読書。宮部みゆきの本が一冊あります。『返事はいらない』という短編集。彼女の作品はどれもハートがあって読後感がさわやかなのです。登場人物が皆心優しい。悪人でさえ大都会の犠牲者として悪の道に入ったのであり、本来的には悪い人ではないのです。そして、文章がうまい。意外性もあるし、情景描写が一つの文でぴたっと決まってるし、最後の一行で涙がドバーッって作品も数多くあります。本書の中の「ドルシネアにようこそ」でも最後の  『改札を抜ける。そこの伝言板いっぱいに、親しみやすい丸い文字で、大きくメッセージが書かれていた。 ドルシネアにようこそ、と。』 で、涙がじわーっとわいてくるのです。そして、「言わずにおいて」では 『聡美は、キッチンテーブルのうえに、丁寧な筆跡でしたためられた、自分宛の手紙を発見したのだった。 差出人は、芦原庄司だった。 〈長崎聡美さん   ここを見つけてくださって、ありがとうございました。あなたなら、きっとやってくれると信じていました。・・・・・』 を読んで、意外な展開に姿勢を正したほどです。
 あまり本を読まない私が息子が読み終えた本を借りて、彼女の作品だけで「魔術はささやく」、「本所深川ふしぎ草紙」、「火車」、「レベル7」、「我らが隣人の犯罪」と読破。おすすめです。

 2時すぎ姉が来て、「来んでもええのに」、「二人しかおらん姉弟やから・・」とはじまり、いろいろしゃべってくれました。そこへ真貴子がやって来て、私は聞く側に。3時半6回目の点滴。腕を曲げると針が血管の反対側に抜け内出血になるので、まっすぐのばして大人しく寝ているように言われたのを思い出しました。また、少しでも動かすと滴下速度が変わります。点滴ひとつでもむずかしいものですね。
 点滴中に姉は帰り、少しうたた寝。今回は尿意を覚える前に終わりました。体温36.3度。

 5時前、担当の佐藤医師が来てくれ、「朝の血液検査の結果、炎症反応は下がったけどまだ残っている。徹底的に菌を退治しておかないと、また大きくなる可能性があり、慢性化すると扁桃腺をとらなければならないので、日曜日まで抗生剤の点滴を続けましょう」と言われ、予定より一日延びました。

 今日の夕食は焼き魚、もやしのゴマ和え、水菜と蒲鉾のおひたし、焼き豆腐と小芋の炊き合わせ、白いご飯と十分です。それに真貴子が家から持って来てくれた、おでんと大学いも。せっかくやせたのに、今日からまた太りそう。

 夜はさっきの本の続きを読み、優しい気持ちになって12時すぎに就寝しました。

D +3

 29日(土曜日)、早くも入院4日目です。快晴で窓の外の風景はおだやか。空には右から左へまっすぐな飛行機雲が3本。洗面、体ふきを済ませリフレッシュしました。

 朝食はスウィーティー半切、ゆで卵、食パン2枚、マーガリン、ジャムで簡単だけどボリュームがあります。

 ロータリー交換留学生として、今夏派遣予定の帝塚山高校の江川さんからメールが入って来ました。今までメールはやっていなかったのに、新しくアドレスを取得したようです。[sushi1@xx.xx.ne.jp] とは彼女らしいアドレスです。実家がお寿司やさんなのです。これで連絡が密になります。今年は奈良ロータリーから4人の留学生を送り出します。帝塚山高校2人、一条高校1人、帝塚山学院高校1人で、デンマーク、ブラジル、アメリカ、オーストラリアへそれぞれ行きます。大人しい感じの江川さんがブラジルと決まって少し心配しましたが、23日京都であった地区の研修会でブラジル帰りの川島さんやブラジルからの留学生とも個人的につながりを付け、勉強を始めている様子で、頑張ってくれているのを見てうれしく思います。月曜日に関空まで迎えに行ったJavier Tamashiro 君も良い子で(もう二十歳なのですが)、多田さんともうまく行っているようだし、先ずは一安心です。

 さて病院ですが、この病棟はサイクルが早いらしく、土日に退院する人が多いそうです。だから今日は何となくガラーンとして、空気が軽い。看護婦さんものんびりモードで、朝の点滴開始が11時。いちばん端の部屋なので忘れていた、と言い出す始末です(冗談だとは思いますが)。スピードを速めて12時前には終了。

 点滴の間にごっつい段ボールが届きました。針を外してもらってから見ると、豊中のお父上からの見舞いの花でした。もう退院するのに申し訳ないことですが、殺風景な病室に文字通り花が咲き、良い香りが漂います。ありがとうございます。

 何もしていないのに、また食事です。泌尿器科の尿路造影検査(DIP?)が2月8日になったので、午後は何もすることなし。音楽を聞きながら、パワーブック2400でこれを書いています。(持ってきてくれたMDはFM802のグルーブナイトをエアーチェックしたもので、昼間聞いていると眠くなります)

 8回目の点滴は3時半ごろ始まりました。前のが終わってからまだ4時間も経ってないのに、大丈夫かいな?と思いながら。

 夕方、奈良三田会の上林さんが来てくれました。市内であった「慶應義塾維持会の会」のあと、でっかい「デコポン」を持って。前の晩遅かったらしく、疲れた顔をして、目を充血させています。入院をバトンタッチした方が良さそうです。そんな中、来てくれてありがとうございました。近東さんもお心遣いありがとうございます。

 夕食は八宝菜、ひじきの煮物、あと一品(もう忘れた)、ご飯。そこへ奥さんがカレーを持ってきてくれ、満腹状態。デザートの近東さんと上林さんにいただいたデコポンはとても立派でそれだけでもお腹がふくれるほどで、苦しい!!

D +4

 日曜日、30日。曇り。いよいよ退院する日です。朝6時25分に「今日は体重測定の日ですから、時間のある患者さんから詰め所前の体重計で体重を計ってください」(多分こんな意味のことを言ったと思う)の放送で起こされました。金曜と土曜にたくさん退院され、病棟はがらーんとしています。
 トイレに行ったついでに体重測定。72.4kg???、戻ってしまったではないか!!

 いつものように洗面、体拭き、着替えを済ませ、朝食はゆで卵、パン、牛乳、オレンジゼリーでした。

 9回目の点滴は9時半より。500mlの方はフィジオ35という吉富製薬の電解質輸液で200mlの方はKN補液3Bという大塚製薬の同じく総合電解質輸液(前もって詰所でこの中に抗生剤を入れてあるそうです)です。人の名前を覚えるのは大の苦手ですが、このとき来てくれた看護婦さんは和井田美幸さんと言って、メールアドレスも持っています(部外秘)。
 MacのPower Book 2400を拡げてあるのをネタにコンピュータやデジカメの話をしました。このように日曜日の病院は何となくのんびりムードであります。

 その後、病棟内の耳鼻科処置室で医師の診察があり(今日は担当の佐藤先生はお休み、代わりの先生と勉強中の女医さんが診てくれました。もう腫れもすっかりひいて、赤みもとれたので、退院しても大丈夫とお墨付きをもらいました。

 メシのことばかりで恐縮ですが、本来的に入院中は寝るか、食べるか、点滴か、読書かしかないので、ごめんなさい。昼食はうどんと、おにぎりと、はっさくです。トレーが半分にわかれていて、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく出されるので、病院食もまんざら捨てたものではありません。今まで12食いただきましたが、全部残さず食べました。

 その後はラジオを聞きながらベッドに横になって、最後のベッドの感触を楽しみ、幸せを実感しておりました。(変でせうか?)

 10回目の(最後の)点滴は抗生剤の入った200mlの小さい方だけです。ブルーのマスカラをつけた中堅の美人の看護婦さんがやってくれました。名札は付けていなかったのですが、お名前は副田さんと、あとから聞きました。200mlなら、いとも簡単。20分とちょっとで終了。あっけないほどです。

 そのあとはパジャマを脱ぎ捨て、来たときの服に着替えて、荷物をまとめて迎えを待ちました。4時前かな?、真貴子と文哉が迎えに来てくれ、今回の入院劇はおしまい。

 日頃縁がない病院の内部、健康ではわからない病人の苦労、医者の熱意、看護婦のやさしさ、そして、病気になったときの家族のありがたさ・・・、ちょっとの間でしたが、いろいろ感じることがありました。皆さんの一生懸命さに負けないよう、頑張らねばと決意を新たにしている木村君です。

みなさん、ほんとに、ありがとう。

                                  おしまい

back to main