米国旅行記

(家、会社へのE-mail報告書をもとに編集)

DAY1  1999年2月5日(金)

おはこんばんちは。

今日は長い長い一日です。

 息子を学校へ送ったあと国道25号へ出る手前で道が真っ白になりチェーンを巻きました。25号線は全く動かず、西向きの方がまだ早いみたいだったので右折、とろとろではありましたが法隆寺の手前までは、その判断が正しかったかのように進みました。左折して法隆寺インターチェンジの方へ行こうとした途端、全く動かなくなり、2時間で7km進んだだけ。大和川の橋を渡って法隆寺インターを過ぎれば動き出すかと期待していましたが、どうもその先で事故でも起こしていたのか、またまた全く動かず、やむなく法隆寺インターから香芝インターまで西名阪に乗って迂回しました。香芝まで行くと雪は無くなり、降りたところでチェーンを外しそこから1時間かかって会社へたどり着いたのが11時45分。家を出てから4時間です。

 銀行へ行ったり店をまわったりバタバタして3時17分の特急に乗って阿倍野橋へ。天王寺発4時34分の関空快速(32分に「はるか」がありましたが、時間もあったので節約節約)に乗って関空に5時19分に着きました。

RC御用達のJTBにお願いしてニューヨーク往復の格安航空券を76,000円で求め、航空券の引換券をもらってあったので、それを関空のJTBのカウンターで航空券に交換。次にUAのカウンターでチェックイン。いつもはCクラスなので(うそですよ〜)、こんなんでほんまに行けるのか?とドキドキものでしたがスムーズに手続きが進み機上の人となりました。

ual B747 jet

定刻より早く6時50分頃に出発、隣の席が空いており、ゆっくりできました。追い風が強かったのか予定より1時間も早くサンフランシスコに着き、今ひまつぶしにメールを書いています。次の乗り継ぎ便は40分遅れの2時10分だそうです。あと2時間もあります。すぐにも出るニューヨーク行きの便があるのですが、格安航空券は便の変更ができないのでゆっくり行きます。

 このサンフランシスコの空港は1970年に私が生まれてはじめて外国の土を踏んだところで、思い出の場所です。JALのDC8から降りた時、雲の上を歩いているような感じがしました。周りは外人ばっかり、車は外車ばかり。一人で心細かったあの時の感じがよみがえってきます。

 続きをサンフランシスコからニューヨークへの飛行機の中で書いています。これまた空いていて2+3+2の真ん中の3席を占領。横になって少し寝ました。ご飯はラビオリ(パンケーキ?のトマトソース+チーズ焼き)です。大阪からのご飯はビーフの照り焼き(量は少な目)でした。

今ニューヨーク時間の午後9時10分。あと1時間と少しかかりそうです。ホテルに着いたら続きを書いて送信します。今はここまで。

Sheraton NY hotel

最初は行き当たりばったりの旅行をしようと思っていましたが、ホテルだけはまともな所でいつでも連絡がつくようにしておいて、との妻の要求でシェラトン・ニューヨーク・ホテル・アンド・タワーズというホテルに泊まり、いま部屋に入りました。2303号室です。JFKからマンハッタンまで空港バスに乗ろうと思っていましたが、なかなか来ずタクシーに乗りました。トルコ人の運転手でアメリカの景気は良いが、自分らには回って来ない、タクシー会社の95%はユダヤ人が持っており、ひどく巻き上げると愚痴っていました。少々古い、部屋数だけ多いホテルですが腐ってもシェラトンなので安心です。今11時半、今日は長い長い一日でした。明日はゆっくりして午後アダムスさんの見舞いに行く予定です。


注:アダムスさんは私たちの仲人。米国人ですが20年前のモービル石油(日本)社長。昨年夏脳腫瘍の手術をした。


DAY2  1999年2月6日(土)

おはよう。

道や屋根が濡れているので、雨が降ったみたいですが今、日が射してきました。いま7日(日曜日)朝の9時です。天候くもり。

きのうは米国初日にしては中身が詰まった一日でした。

 アダムスさんに電話をして1時に行く約束をしました。ホテルを11時すぎに出てまずは散策。アダムスさん宅は3番街61丁目、ホテルは7番街53丁目にあるので方向は北東ですが最初7thを48丁目まで南下、東に向き3〜400m歩くと左にロックフェラーセンターが見えてきました。少し北へ行くと例の金色のプロメテウス像があり、手前はスケ−トリンクになっており30人ほどすべっています。自分の滑りに陶酔しているおじさんやフィギアの練習をしている女の子、ただ周りをぐるぐる・・・の普通の人たち。夏のパラソルが林立している光景しか見たことがなかったのでスケートリンクになったこの場所の景色は冬のNYを実感させます。

 そこから有名な5thアベニューを渡ったところに聖パトリック教会がそびえています。何度も行っていますが寒かったので重いドアを押して中へ。もっと荘厳なイメージだったのですが観光客がいっぱいでフラッシュをたくやら話し声がするやら、信者さんには気の毒です。ちょうど12時のミサがありましたがオルガンも聖歌隊も無く司祭が聖書を読むだけでした。おじゃましたお詫びに1ドルで献灯して教会を出ました。

途中コンビニエンスストア(ローソンではない)の店先に花が並んでいたので出来合いの花束の中から大きなバラとユリが入っているのを選んで15ドル+8.25%で買いました。アダムスさん宅は来る前にインターネットのYahoo-Mapで大体このあたり、というのを調べてあったので一発で発見。有名な大金持ちのトランプが建てた38階建てのアパート(日本で言うマンション)です。こちらの高級アパートは一階に必ずセキュリティーがおり、どこへ行くのか?と尋ねます。行き先と私の名前を告げると電話で確認して「ペントハウス」と言います。エレベーターに乗ってPHを押し次にドアが開いたらそこにアダムスさんの奥さん(日本人)が待っていてくれました。

 Adams宅から南を見る東方向

 アダムスさん宅は38階とPHの2階建てになっておりサンルームのようなPHにアダムスさんが寝ていました。再手術のあとずっと寝ているそうで2、3日前からようやく話もできるようになったとのこと。奥さんが私が来たことを伝えると大変喜んでくれました。顔色は良く声もしっかりしており一安心。土産に持ってきたホテルオークラ神戸の生チョコレートを自分で口に持っていき満足げに食べていました。ちょっと前まではこんなこともできなかったそうで、奥さんも快復を喜んでいました。この部屋からの眺めはすばらしく、3rdストリートが南までのびており、東はイーストリバー、クイーンスボロー橋、ルーズベルト島へ行くロープウエイなどが見えます。娘さんが出てきてしばらく話しました。漢方医学の勉強をしており、鍼もするそうです。

 去年の7月に手術をしてから奥さんは付きっきりで、外出も全くしていないらしく、今晩は私をだしに食事をしようと誘ってくれました。5時半に日本クラブの和食レストランで会う約束をしてアダムスさん宅を出ました。

Frick collection

 奥さんに勧められたフリック・コレクションという美術館で2時間程ゆっくり。昔の鉄鋼王のフリックさんの邸宅を美術館にしたもので規模は大きくありませんが洒落た空間です。コロー、ゲインズボロー、ターナー、バンダイクなどの作品が時を忘れさせてくれます。また中庭が素敵でいつまでもボーっとしていたい場所です。

 その後セントラルパークを横切り、リンカーンセンターでインターネットで申し込んであった今晩のコンサートの切符をピックアップ。ボックスオフィスで名前を告げると切符とクレジットの売上伝票を渡してくれました。えらい時代です。

 部屋へ帰っていそいで着替え、カーネギーホールの北側の日本クラブへおよばれに行きました。アダムス夫人のいとこの子供がコロンビア大学の大学院で勉強しており、彼も同席。半年以上外食をしたことがない、と奥さんは大変喜んでいました。私はしゃぶしゃぶ、留学生の牧野君はすき焼きでしたがアメリカの肉はすき焼きの方が良いようです。


 食後いそいでリンカーンセンターへ。バックオーケストラという席はオーケストラの後ろで聞くのかと思っていましたがオーケストラと同じフロア(1階のこと)のうしろの方という意味で、気楽に音楽を聴けました。プロコフィエフとショスタコービッチの作品で少々難解ではありますが久しぶりに生のオーケストラを満喫。途中何回か上と下の瞼がくっつきましたが・・・。

風邪が治らず、ひどくもないのですがすっきりしません。コンサートのあと11時前に部屋へ帰って風呂も入らずそのまま寝てしまいました。

これからシャワーを浴びます。今日はこのあと同級生の古沢君に電話をする予定です。

では、続きをおたのしみに・・・・・

注:古沢君、大学の同級生。ニチメン・アメリカで財務担当の副社長。


DAY3  1999年2月7日(日)

ミュージカルを見て(聞いて)来ました。

 朝はコーヒーを飲んだり風呂で暖まったり、ゆっくりしてお昼にホテルを出て、tktsへミュージカルの切符を買いに行きました。ここは売れ残った切符を半額で売りさばく場所で長い列ができています。最初キャッツかタイタニックを見ようと並んでいましたが、途中、周りのビルの看板に「スモーキー・ジョーズ・カフェ」の広告があり、楽しそうなこれに決めました。料金は75ドルの半額の37.5ドル+手数料2.5 ドルの丁度40ドルです。長い列に待っている間、路上演奏家(ストリートミュージシャン)がスチールドラムの演奏をしており待つのも長く感じませんでした。上手だったのでご褒美に1ドルを缶の中に入れました。

 12時半には切符を買えたので、そこからまっすぐ西へひたすら歩いてハドソン川に出て古い航空母艦「イントレピッド」の博物館を見に行きました。途中9thストリートを過ぎると景色が変わります。5階建てくらいのアパートばかりになって道も汚くなります。西へ行くほど白人が少なくなるみたいです。

 

 この博物館は第二次対戦のとき使われた空母をそのまま資料館にしたもので、飛行甲板にはたくさんの飛行機がならんでいます(戦時中のものに限らない)。その下の格納庫?の大きなこと。甲板の広さよりもその下の空間の大きさにびっくりしました。

 ホテルに帰り時間調整をしてから2時半に出発。バージニア劇場まではまっすぐ西へ200mほどです。みぞれが降る中を歩いて2分。もう劇場の前まで人があふれています。プログラムが10ドル、CDが42ドルとは少々高いと思いますが記念に買いました。

Smokey Joes Cafe

 席は右端の後ろから3列め。それでも劇場が小さいので舞台はよく見えます。これと比べて日本の劇場は大きすぎて舞台と客席のコミュニケーションがうまく行かないのではないかと思いました。内容はストーリーよりも音楽に重点が置かれ英語が分からなくても十分楽しめます。それにしても登場人物総勢9人の歌のうまさは格別で、それぞれが良い味を出しています。CDをお楽しみに。

    

http://www.smokeyjoescafe.com

 終わったのが5時10分。ミュージカルがこんなに楽しいものなら夜の部も違うやつを見てやろう、とTKTSへもう一度行きましたが主要なミュージカルはすべて完売。仕方なくホテルへ帰ることに。部屋に着いたら電話機のメッセージランプが点灯しており、古沢からメッセージが入っていました。すぐ電話して晩飯を約束。6時15分にホテルへ来てくれます。

 部屋に電話があり、すぐロビーへ降りると久しぶりの同級生がおりました。単身赴任で、もう2年半こちらにいるそうです。イタリアンレストランに入って私はミネストローネとトマトソースのスパゲティを注文しましたが、こちらの量は半端じゃなくそれだけで腹一杯です。男二人で酒抜きでは話すこともなく、食後は礼を言って別れました。(ごめんね、古沢君) 部屋へ帰ってちょっと横になるつもりが起きたら11時半。もうこの時間から出かける元気はさすがに無く、風呂で暖まって現在に至っています。

 明日は朝1で南都銀行の大橋君に会いに行きます。メトロポリタン美術館に行きたいし、JAZZを聞きに行きたいし、2つ目のミュージカル(ミスサイゴンかキャッツ)も見たいし、買い物もしたいし、忙しい一日になりそうです。

おやすみ・・・


DAY4  1999年2月8日(月)

 朝9時過ぎに南都銀行ニューヨーク事務所に電話。後輩の大橋さんに都合を聞いたら、いつでもどうぞお越し下さい、と言ってくれたので9時半にホテルを出ました。事務所のあるワールドファイナンシャルセンターへはタイムズスクエアーまでちょっと歩けば、あとは1番の地下鉄一本で行けます。切符売り場のお姉ちゃんに1ドル50でトークン(改札機専用コイン)を買ってそれを改札機に入れて遊園地の入口にあるようなバーを押して通ります。今はニューヨークの地下鉄もそんなにこわくないそうですが、夜は表情が一変するので乗らない方がいいようです。駅のホームでストリートミュージシャン(サブウェーミュージシャン?)が今度はサックスを吹いています。エコーが効いているので雰囲気抜群。結構退屈しないシステムがこの街にはあるのかも知れないと勝手に想像した次第です。駅と駅の間が短くて、動いたと思ったらすぐ止まります。朝夕の通勤時間帯は同じ路線を9番という急行が走ります。

 何年か前に爆破事件があったワールドトレードセンターとワールドファイナンシャルセンターは隣接しており、WTCとWFCは高架通路でつながっています。その通路の広さは何だ? 日本の常識の倍以上の広さです。WFCの2号棟の36階が南都銀行ですが、セキュリティーチェックの厳しいアメリカでは勝手にエレベーターにも乗れません。エレベーターホールにおじさんが座っており、貴様何者?といった目でにらみます。行き先と名前を言ったら、銀行から木村という男前が来たら通すようにとの紙がまわっていたお陰で、その紙を見せてこれがお前か?と聞くので、YESと言ったらすんなりと通してくれました。

 事務所の入口はロックされておりインターフォンのボタンを押したらすぐにドアを開けてくれました。吉田幸作事務所長と大橋浩一副所長とスマートな黒人の女性が丁重に迎えてくれ、応接室へ通されました。ここは何年か前にもお邪魔したことがあり、すばらしい眺望(目の前にはWTC、左奥にはクライスラービルが見えます)とロケーションが3月いっぱいでなくなるのかと思うと淋しくなります。土産に奈良のお菓子「さつま焼き」を、大橋さんには三田会の名簿を渡ししばしお話。アメリカの好景気の話やら日本の駐在員がずいぶん少なくなった話などをしてそのあとすぐに失礼するつもりでしたが是非昼飯を一緒にと誘ってくれ、歩いてすぐのところの「伊勢」という和食屋さんで御馳走になりました。土産にチョコレートまでもらい恐縮至極です。

 tktsの出店がWTCにもあります。タイムズスクエアーのは3時からしか売り出さないのに対してこちらは11時から売ってくれます。昨日のスモーキージョーズカフェはとっても良かったけれど、あれがミュージカルではなかろう!、もう少しストーリー性のあるミュージカルも見たいなと思い、迷った末「ミス・サイゴン」の切符を買いました。"Lea Salonga"というオリジナルキャストの女優が戻ってきたということで最近あらためて注目されているとのことです。料金はこれも昨日と同じ40ドル。ホテルのコンシェルジュなどに頼むと正規料金の2倍くらいになるらしいので、えらい金もうけです。

 南都銀行の二人と別れたあと地下鉄に乗りタイムズスクエアで乗り換え、5番街の42丁目へ。この近くにComp-USAというコンピュータの大型店があります。店は大きいのですが大したものはなく、期待はずれでした。あと一カ所も同じことで値段は安いものがいろいろ有りましたがどれも日本で手に入るものばかりです。それにしてもMacはアメリカでも片隅に追いやられ・・・・トホホ(涙)。

 昔のモービルの本社、クライスラービル、グランドセントラル駅のあたりをうろうろして一度ホテルに帰りました。METは月曜休館。さて、どこへ行こうか?・・・で横になったら寝てしまいました。今回美術館はフリックコレクションだけでしたが、良い作品、洒落た建物でおすすめです。METやMoMAやグッゲンハイムはまた今度。

 予定が変わりました-----

http://www.miss-saigon.com/

 ブロードウェイ劇場でのミュージカルのあとJazzを聞きにビレッジバンガードへ行こうと思っていましたが、「ミス・サイゴン」があまりにも素晴らしくこの気持ちを長くとっておきたいので、JAZZは行かずに帰ってきました。それほど「ミス・サイゴン」は良かったですよ。半額で買った切符がB−1という席でなんと一番前。舞台に向かって右側のオーケストラピットが見渡せる位置で、役者の表情まではっきり見えます。キム役のLea Salonga はじめ役者が皆素晴らしく、みんな一生懸命やっているのがガンガン伝わってきます。話もたいへんよくできており、歌も心に響くものがあり、よくこれだけの作品を作ったなあ!と感心する出来映えです。ベトナム戦争時代の米兵とベトナム女性の悲恋のお話ですが、感動また感動の舞台でした。感謝の気持ちを伝えたくて、指揮者のRobert Billigと握手をして素晴らしかったと言ったら相手も喜んでいました。CDを買ったので(MDに盗み撮りしたのもあり)聞いて下さい。

    

 南都銀行さんにはJazzの出し物のFAXまでしていただいたのに行かなくてごめん。しかし皆さん「ミスサイゴン」まだの人は早く見て下さい。ハンカチもティッシュも要りません。涙を流しっぱなしで何が悪い、と堂々と感激できる作品です。

ニューヨークの最終日はかくして終わりました。荷造りをして明日はカリフォルニアです。

おやすみなさい。


DAY5  1999年2月9日(火)

 いま飛行機の中でこれを書いています。5時に起きて昨日デリで買ってあったオレンジジュースとヨーグルト、クランベリーのマフィンで朝食を済ませ部屋を出たのが5時45分。朝、ドアの下から請求明細が差し込まれていてこれで間違いなければそのまま出発してOKということですが(チェックインの時にクレジットカードの伝票を切ってあるので−−)ミニバーの分が抜けているので正式にフロントへ行ってその旨言いましたが結局はペリエ2本とアップルジュースが付いておらず、ただならもっと飲めば良かったと思った次第。(後日談;クレジットカードの請求が回ってきたら、ちゃんとそれ相当分が上乗せされていました)

 タクシーでJFK空港へ。ラガーディア空港のある北東へ向かうものですから「ちょっとオッサン道が違う」と言ったら「大丈夫、まかしとけ」と、しばらく走ってターミナル6に着いたのが6時20分。8時15分の飛行機ですからえらく早く来たものです。ま、遅れるよりいいかと、ぼーっと待つつもりでしたがUAのカウンターのおばちゃんが早いので行くかとたずねるのでYESと答え7時発の便に乗りました(この格安航空券は便の変更ができないはずですが・・・・)。ボーイング767はガラガラ。このあと3席分に横になって寝ます。おやすみ。

 しかしアメリカは大きいですなあ。向かい風が強いこともあって東から西海岸まで6時間もかかります。7時出発の予定ではありますが路上駐機?のため翼が凍り付いておりコイン洗車機の親分のようなものでお湯を前後の翼や胴体にかける作業で出発が遅れました。結局サンフランシスコに着いたのが11時です。途中の食事はランチボックス。かたいパンにいっぱいのハムをはさんだサンドイッチにマスタード、ベビーキャロットにサウザンドアイランドのドレッシング、それにm&mという何ともおもしろい取り合わせです。



 ところで、アメリカは年寄りの使い方がうまい。スチュワーデスや地上係員をはじめ夕べの劇場の案内係やらレストランのウエイターまで年寄りが多いのに驚きます。積極的にそうしているのか仕方なくかはわかりませんが日本も考えなければならない問題です。老人が仕事を持って積極的に社会に貢献することは国にとってもプラスですから。



 レンタカーはハーツにミディアムサイズを予約しておきましたが、着いてみると「ない!」、「フォードのエクスプローラーというミニバンを同じ値段で」とのことでター坊のとよく似た車を借りました。まだ3000マイルしか走っていない新車で、座席が高いので景色がよく見え、なかなかに良い車です。101号線を一路南下、152に乗り換え東へ、インターステート5を横切り99に合流。フレスノまで約4時間のドライブ。


 途中写真のような枯れ草のボールが風でとばされて来ました。日本では見たことがありません。

 インターネットのヤフーマップで場所を調べプリントしたものを持ってきたので、それを頼りにWallyの家まで間違わずに行けました。

 Wallyはまだ帰ってませんでしたが息子のジョージが出迎えてくれました。14歳で文哉と同じです。ほどなくWallyと奥さんが相前後して帰ってきて再会を喜びました。長女は病院で実習をしており遅くなるということで前記の3人と私の車で夕食に出かけ、そこへ別れて住んでいる次男が合流して5人でブッフェ式のファミレスで腹一杯になりました。
 ベッドは三男のジョージの部屋を貸してもらい久しぶりのウオーターベッドで熟睡しました。
 奥さんのマリアはフィリピン人で長男はいま海軍でペルシャ湾にいます。次男は近くの工場で中間管理職をしており、長女は看護学校に通っています。以上3人は奥さんの連れ子でジョージは二人の間の子です。皆良い子でした。ほかにうす茶の犬が一匹いました。

注:ター坊は家内の弟。
注:Wallyは1969年来の友人。ライオンズの交換留学生でその年わが家に逗留。


DAY6  1999年2月10日(水)

 Van Camp家の朝は早く、6時半に起きたら皆朝食を済ませていました。暖かいカリフォルニアのイメージとは違い車の窓が凍り付いており、Wallyの車の鍵穴も凍ってドアが開かなかったので私の車でジョージと奥さんをダウンタウンの学校と仕事場まで送っていきました。帰ったとき娘はすでに自分の車で学校へ行ったあとで、アメリカ人は日本人より働き者で、仕事も勉強も熱心にしているようです。

 8時半に出発。99号線を南下、Tulareからは田舎道をPortervilleまで一気に走り10時にWallyの両親の家に着きました。二人とも私が29年前に泊まった時とほとんど変わっておらず、家も町並みも昔のままです。 二人ともえらく喜んでくれ、あんなに歓迎されるとこちらも嬉しくなります。奥さんの方は腎臓が悪く二日に一回透析をしているそうで、最近風邪を引いてちょっとしんどそうでしたが私を見て元気になったと言ってくれました。話し好きの家族で3時間以上いろんな話しをして時間の経つのも忘れるほどでした。ところで、日本では客が来たらまずお茶を出しますがアメリカではしません。相手と話すことが一番の歓迎と考えているようです。
 何もプレゼントがないので車にガスをプレゼント代わりに入れさせてくれとお父さんが言うのでお言葉に甘えてガスステーションへ行きました。300マイルほど走ったあとなので15.2ガロン入りました。89オクタンのプラスという中間のクラスがガロン1.259ドルで合計19.13ドルです。 昼食は皆で近くの西部劇風レストランへ出かけ私はマッシュルームスープとチリバーガーとペプシをいただきました。しかしアメリカ人は毎食毎食こんなものばかり食っとるのかねえ。

 去年の暮れにものすごく寒い日が続いたそうで、オレンジが木から落ちて無惨に放ったらかしにされている光景が行きも帰りも車の左右に続きます。異常気象は日本だけではありません。 Tulareでは農業機械ショーが開かれていたため道が混んでいたのはこの地方の田舎ぶりを示しているようです。

 フレスノに帰ってしばらくして夕食のためまた出かけます。今晩は長女のレシェルも一緒で総勢5人、また私の車で出かけました。途中Wallyの兄のAlの家に寄り挨拶。彼も全く変わっていません。よく覚えてくれていることにも感心し、友達は大切にしなければと思った次第。夕食はメキシコ料理です。タコス、エンチラダ、何とか何とか、豆、ライスなどが皿一杯になっており、もう一度書きますが、これでは太らない方が不思議です。

 今晩も泊まれと言ってくれましたがいわゆるモーテルなるものにも泊まってみたかったので近くの「MOTEL6」の228号室に35ドルで泊まりました。映画に良く出てくるあれです。ニューヨークの250ドルとえらい違いですが、これもアメリカ。何事も経験です。

    
Motel 6


DAY7  1999年2月11日(木)

 6時に起きました。朝のする事をして7時すぎにチェックアウト。車は昨日と同じ、窓が凍り付いています。エンジンをかけ車を暖め、霜が融けるのを待つこと十数分。7時半に出発しました。来るときと同じ道を戻ります。さすがに車にも慣れ、今日の方がゆっくり景色を見る余裕があります。途中152号線沿いのガスステーションで給油。ここは山の中で値段が高く、一番安いレギュラーのunleadedが1.139ドル、Power plusが1.259ドル、プレミアムが1.309ドルもします。ちなみにオクタン価は87、89、92です。

 101をマウンテンビューで降り、一般道を走ってエル・カミノ・リールという道に入ります。この道は大学にいるときよく通ったところで、ピザ屋があったり、セルフのガソリンスタンドがあったり、コンビニがあったり私のアメリカそのものです。今はずいぶんすっきりしてモダンになりすぎました。

スタンフォード大学のクワッドと呼ばれる古い建物群は昔のままですが、メディカルセンターはすごく大きく、近くにショッピングセンターができて大化けです。最近有名なノードストロームまでありました。昔いたウィルバーホールという寮は昔のまま、29年が一瞬でタイムスリップ。友達がいないか探しそうになりました。

 大学のゴルフコースの横をぬけて280号線に乗り一路サンフランシスコへ。この280は丘陵の上を走っており、私の好きな道です。九州のやまなみハイウェーを上下8車線にしたような感じ。そのままゴールデンゲートブリッジまで行き、渡ったところにある展望台で橋と街の全貌をしばらくぼーっと眺めていました。

その後3ドル払って橋を戻り(どの橋も街から出るのはただ。街へ向かうのはお金が要ります)定番のフィッシャーマンズワーフへ。パーキングに車を停めてクラムチャウダーとフィッシュアンドチップスで遅めの昼食をとりました。鳩やカモメが横取りしにやって来て厚かましいこと。追い払いながらの食事は食べた気がしません。毛並みの善し悪し、男前と不男、きつい目とやさしい目、中には片足のない鳩がいたりして鳥も注意して見るといろいろ分かります。通りにはストリートミュージシャンが沢山おり、フュージョン系やらインディオ音楽やらレゲエやらこれまたぼーっと聞いて時間が過ぎました。CDを買ったのでよかったら聞いて下さい。

 ダウンタウンへ行くことも考えましたが、暗くなってから宿を探すのも骨が折れるので早めに空港近くのホテルへ入ろうと101に乗り南下。ガソリンは満タン返しなので途中のGSで最後の給油をしました。ここはレギュラーで1.199ドルです。1.139のPortervilleの田舎町より6セントも高い!(あやかりたい、あやかりたい)

 今、空港南側のウエスティン・サンフランシスコ・エアポート・ホテルの429号室にいます。169ドルしますが35ドルとは違う良さもあり、銭はただ取らないと思った次第。これであとは寝て、明日起きて、チェックアウトして、レンタカーを返して、UAに乗って、KIXに到着。旅もいよいよ終わりです。

みなさん、どうもありがとう。


DAY8  1999年2月12日(金)

 朝5時半に目を覚ましました。最後で寝過ごしたりしたら洒落にならないとの思いが潜在意識にあったのでしょうか。今日はかえって寝不足の方が飛行機の中でよく寝られるかもしれません。とは言っても空港に10時に行けば十分なので時間はたっぷり。

 on demand video で "There's Something About Mary"(メリーに首ったけ)があったので見ることにしました。ドタバタものですが主人公のメリーがかわいくて、あほな悪人やら弱気な相手役が数々の笑えるギャグの連発でおもしろい映画です。

 ホテルをチェックアウトをしたあとレンタカーを返しに空港近くのレンタカーセンターへ。返却の場所がわかりやすく案内されており、それに従って進むと皆返しに来ているところへ到着。コンピュータを台に乗せて返却の車の横にやって来たお姉ちゃんに伝票を見せ、ガソリンは?に満タン!、メーターは?に3713マイル!と答えると伝票をくれ、それで終わり。あとは送迎のシャトルバスで空港へ。車社会のアメリカならではの簡単システムです。結局走行距離は650マイルを越え1000km以上走ったことになります。お疲れさま。

 行きと違い、帰りの飛行機は満席。まあ7万円台でNYC往復できるならどんな目にあっても仕方ありますまい。Cクラスも難民船も何でも来いの木村君です。

☆お・し・ま・い☆

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