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フリードリヒ・シュタット  ベルリン物語 -14-

御猟場「ティーアガルテン」とケルンの宮殿を結ぶ並木道の建設が計画され、菩提樹(リンデン)の植樹が始まったのは大選帝侯の時代、1647年のことだった。

下の地図は1710年頃作成のもの。メムハルトの地図( 「ベルリン物語 -8-」 参照 )で見るベルリンとは様子が一変している。1658年から1683年まで24年の歳月を費やして完成した首都の城塞化工事のために、二重都市ベルリン=ケルンの西側、シュプレー支流と環濠の間に新都市フリードリヒス・ヴェルダーが生まれ(1662年にベルリン/ケルンに次いで3番目の都市権が付与された)、並木道はメムハルト図ではルストガルテン「犬橋」に接して始まっていたのが、かなり西にずれている。


Plan von Berlin im Jahr 1710 (Abschnitt), Wikipedia.de

リンデン並木北側、シュプレー河との間には新市域が造成され、1674年に4番目の都市権が与えられ、大選帝侯の二番目の妃の名を取りドロテーア・シュタットと名付けられた。ナント勅令の廃止でフランスを追われた多くの新教徒(ユグノー)が逃れてきて、1677年にはすでに六百人がベルリンに入ったといわれるが、その大半がこの地区に住居を得て住みついた。

続く選帝侯フリードリヒ三世(初代のプロイセン国王フリードリヒ一世)の時代になってリンデン並木の南側に新市域が造成され、ここには常備軍として増強されてゆく軍隊のための施設、また宮廷の中級・下級役人の建物が造られ、1692年にはすでに300軒の建物が建てられた。またますます数を増すユグノーもここに住居を得た。

プロイセンが王国となった1701年、その前後から王宮の改築、周辺地域の整備が本格化する。リンデン通りは単なるプロムナードから、やがてツォイクハウス(兵器廠)を皮切りに壮麗な建築が建ち並んで新興王国の威容を示す街路となる。リンデン通り南側の開発も本格化し、ドロテーア・シュタットと南側新市街(1691年5番目の都市権、1706年フリードリヒ・シュタットと名付けられた)を南北に貫く長大な道路が通された。フリードリヒ通りと命名されたこの道路を軸にして桝目状の街区を構成するプロジェクトがスタートする。新しい街区は一般の使用に供されたが、王宮に近い3ブロックには広場をはさんでフランス教会・ドイツ教会が建てられた。

新王フリードリヒ一世は妃ゾフィー・シャルロッテのためにティーアガルテンの西に離宮を造営、この「シャルロッテンブルク宮殿」とケルンの宮殿を往復する人馬の数が増えて、リンデン並木道は賑わいを見せる。1710年1月1日、それぞれ独立していた5市は統合されて「王国首都ベルリン」 Königlichen Haupt- und Residenzstadt Berlin となった。


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