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シンケルの都市デザイン  ベルリン物語 -17-

ベルリンはフリードリヒ・ヴィルヘルム二世(在位 1786-1797)の代にラングハンス C. G. Langhans (1732-1808) によって新しいギリシャ風のブランデンブルク門(1788-1791)が作られた。1793年には門上にシャード J. G. Schadow (1764-1850) の四頭立て馬車像(クァドリーガ)が乗せられる。この像は1806年にナポレオンに奪い去られたが、1814年にプロイセン、オーストリアなど対仏連合軍がパリ入城を果たして、凱旋軍とともにベルリンに戻ってくる。

フリードリヒ・ヴィルヘルム三世(在位 1797-1840)の時代、初めはナポレオン戦争の混乱のため街づくりどころではなかったが、ようやく戦乱も収まりかけた1810年、プロイセン王国の枢密上級建築参事官に登用されたのがカール・フリードリヒ・シンケル(Karl Friedrich Schinkel, 1781-1841)であった。以下、主にヘルマン・G.プント、杉本俊多訳『建築家シンケルとベルリン。十九世紀の都市環境の造形』(*) (1985) によって見てゆこう。

シンケルは地方都市ノイルッピン Neuruppin に副牧師・教区監督の職にあった父の5人兄弟の次男として生まれた。その父は1787年の大火――町をほとんど焼き尽くした――の際、消火活動で肺炎を患って亡くなった。シンケルが5歳の時だった。牧師の未亡人が入る施設でしばらく過ごした後、94年に一家はベルリンに出てきた。シンケルは「灰色修道院ギムナジウム」を通常より2年早く去った。それはたまたま展覧会で目にしたフリードリヒ・ジリー Friedrich Gilly の設計図面に魅せられ、建築家になる決心を固めジリー親子の工房に入門するためだった。

1803年からオーストリア、イタリア、フランスへ2年間の研修旅行。帰国したあとプロイセンはナポレオン戦争の混乱にあって、大きな建築の仕事はなかったが、1810年、W・v・フンボルトの推挙で登用された。

さて、シンケルがプロイセンの建築責任者として働き始めた19世紀初頭のベルリンの様子を見てみよう。下はゼルターによる「ベルリン平面図」、1804年の作図(部分)である。王宮・ルストガルテンのある旧市街と、西側のウンター・デン・リンデンを挟む新市街との不協和が目立つ。特に城砦を取り除いたあとのフリードリヒ・ヴェルダーの街区が窮屈で、遺構である濠が邪魔になっていることがわかるだろう。

Stadtplan 1804
J.Ch. Selter: Berliner Stadtplan 1804 (Abschnitt)

最初に命じられた仕事が新しい国王衛兵所ノイエ・ヴァッヘ (Neue Wache 1816-18) の設計である。目抜き通りのウンター・デン・リンデンを挟んで国王宮殿の向かい、武器庫 (Zeughaus 1706-1729) と大学の間に建てられるが、彼シンケルの作成した図面を見ると、この比較的小規模な建物が、近辺の都市景観のうちにしっくり納まるというよりは、景観をいっそう首都らしくする要素となるように工夫されている。旧市街と西の新市街を分断していた濠は埋められ、かつての「犬橋」も道路幅に広げる(のちにシンケル設計の「宮城橋」となる)など、彼が単なる建築家ではなく都市のデザイナーであることをすでに示している。

Neue Wache
Neue Wache 敷地計画図

シンケルはプロイセンの官僚として、常に財政の制約と優柔不断でいつも決断を避けようとする国王と戦いながらベルリンの都市作りを進めていった。彼が仕える王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世が「必ずしも高度な美的鑑識眼ないし創造力や趣味を持っていたわけではない点をよくわかっていた」ので、様々な手立てを講じて譲歩を最小限にすべく努力を強いられた。

Neue Wache und Zeughaus
Neue Wache und Zeughaus, 1828

このあと、ジャンダルメンマルクトの劇場(1818)、博物館(「アルテス・ムゼウム」 1824)、フリードリヒ・ヴェルダーの教会(1825)、建築アカデミー(1832)など、ベルリンを代表する建築を手掛けるが、すべて、建物は周囲の環境とともに包括的に設計されているのだ。

Architektur Schinkels

シンケルは画家としてもずば抜けた才能の持ち主で、1815年から1816年の間に100以上の舞台デザインを約40の劇やオペラのために製作した。1815年のモーツァルトのオペラ『魔笛』でのデザインがその壮大なスケールで有名だが、1816年にはE・T・Aホフマンのオペラ『ウンディーネ』がベルリンで初演された時の背景画も描いている。
* Hermann G. Pundt: Schinkels Berlin. (Frankfurt a.M., Berlin, Wien: Propyläen Verlag; 1981) / Schinkel's Berlin: A Study in Environmental Planning (1972)

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