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交通の要衝  ベルリン物語 -2-

ベルリンは、氷河時代の最後、今から一万八千年の昔、氷河が融けた水流で生じた谷あいに位置します(*)。そこは厚く堆積した砂地に大小幾筋もの河川と湖沼(湿地)、砂丘・台地が散在する地形です。


Berliner Urstromtal (aus Wikipedia)

ベルリンはもともとは二つの別の都市でした。シュプレー川をはさんだ二つの小さな集落が始まりです。そこは南北から台地が張り出してシュプレーの谷が狭まり、川を越えるのに適した場所でした。エルベ川 Elbe とオーダー川 Oder という交通の大動脈を結ぶ通商路の中間点でもあり、旅の商人も初めは浅瀬を渡渉し、あるいは小舟で渡っていたのですが、やがて木製の堰堤が築かれその上を通行できるようになりました。13世紀には両岸の二都市、ベルリン Berlin とケルン Cölln は市場・交易の町として著しく発展し、14世紀の初めに Berlin-Cölln の二重都市として市政を統合したのです。

ヨーロッパの13世紀、14世紀といえば、中世と呼ばれる時代がそろそろ終焉を迎える時に当たります。それまでの地中海世界からヨーロッパの重心が北に、東にシフトします(**)。農業技術が進み、開墾が盛んになり、ドイツ諸侯は東方に植民活動を活発化させます。また通商の発展とともにバルト海を中心とした都市同盟「ハンザ同盟」がうまれ、こうした流れの中でベルリンも急速に発展します。当時の交易路を示した地図があるので、ここで見てみましょう。



わかりやすくするため、中心部を拡大して彩色してみました。



確かに姉妹都市 Berlin-Cölln はヨーロッパ東北地域の水路・陸路の要にあります。穀物、塩、バルト海(ドイツ語では Ostsee)のニシン、スラヴ地域の木材、毛皮、そして西からは遠方の香辛料、果物、織物、金属製品などが東西南北に行き交う中世末期の商業・交易。その発展がそのままベルリンの興隆につながったことがわかります。

人類の四大文明といわれるものがすべて大河川の流域に発展したように、人々の集落は川のほとりに生まれることが多いのでしょう。飲用水、生活用水、農業・牧畜用水、漁労、そして水上交易のことを考えると当然でしょうか。
* 氷河がとけて生じた渓谷 Berliner Urstromtal を参照。
** このあたり、坂井榮八郎『ドイツ史10講』(岩波新書) に依る

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