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姉妹都市ベルリン  ベルリン物語 -3-

シュプレー川をはさんでベルリン Berlin とケルン Cölln という二つの集落が生まれたのは12世紀末のことと推定されています。現ドイツの首都が初めて公文書に現れたのは1237年、よってこの年をベルリンの誕生年としていますが、実はそれはケルンの方で、ベルリンが公文書に記録されたのはその7年後のことです。

ケルンという名前は、ライン河畔のケルン Köln と同様、ラテン語の「植民地」 colonia に語源があるように見えるのですが、 CöllnKollen で「丘」を意味するとか、当初の市名表記 Colne がスラヴ語の河川名に由来するとの説もあって、はっきりしません。

二つの都市が13世紀に交易の町として発展し Berlin-Cölln の二重都市として市政を統合したのは1307年のことです。両岸を結ぶのは、もとは浅瀬に築かれた Mühlendamm 上の通路だけでしたが、統合にあたって両都市の中心を結ぶ「長い橋」 Lange Brücke を架けました。橋の中央に市役所も建てられました。

ヴァルター・キアウレーンの『ベルリン。ある世界都市の運命』 Kiaulehn, Walther: Berlin. Schicksal einer Weltstadt, 1958 は、ベルリンに関する基本文献のひとつですが、その巻末の図版に13世紀初めと14世紀終わり頃のベルリンの地図が掲載されています。


K.F.Klöden による復元図(aus: Kiaulehn:Berlin)

左の地図では、当時の呼称に従って SpreeZpriawa と記され MühlendammOberfahrt と記されています。ほぼ2世紀後の右の地図では、ケルンの途切れた支流が南側で本流につなげられ、ベルリン側もぐるりと防御の濠が掘削されて、現ベルリンの原型が完成している様子を示しています。新しい Lange Brücke も架かっていますね。


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