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黒いゼニアオイ Schwarze Malven



夏にお勧めのドイツの小説は? 季節を限ると短篇になるでしょうね。
まずは Theodor Storm: Die Regentrude があります。まったく降雨が無く乾き切った牧草地、農家の若者と娘が雨の精を訪ねて行って・・・というメルヘン。それから、Paul Heyse: L'Arrabiata - Die Widerspenstige は一転してナポリとカプリ島、夏の海が舞台です。

しかし私は Friedrich Georg Jünger の諸作品に思いがゆきます。「ダルマチアの夜 Dalmatinische Nächte」はアドリア海に面したクロアチアあたりが舞台となっています。
「モンテ・ヴィペラを下った。飢え、渇き、疲れ、陽に焼かれ、茨に刺されて。日中は暑かった。草木の無い石灰岩の岩場から降りてきたが、そこの炎熱ときたら筆舌に尽くしがたいものだった。岩肌の細かな気泡がすべて熱を吸い込み、それをまた吐き出すので、炎の輪を通して景色を見ているように思えた。日射と照り返しが目を眩ませ、岸壁も海も大気も燃え上がる鏡のように輝いていた。山の頂に登り詰めたとき、休憩して周囲を見渡したのだった。空には雲のかけらすらなく、頭上の天空はある種の蝶の羽のように青く、眼下の海は黒く閃光が満ちていて、その中に丸く盛り上がった盾のように島々が散らばっていた。」
という風に始まります。山を降りた「私」は海辺の家のテラスで夕食をとるのですが、吹きわたる涼しい風の心地よさが読者にも伝わってきます。

「休暇 Urlaub」は森の湖で釣りに没頭する休暇中の兵士と湖畔の漁師宿の娘マリアンネが・・・という物語。季節は初夏でしょうか。

「黒いゼニアオイ」は夏休み中の二人の高校生フランツとベルトルト、それに美人三姉妹がからむお話ですが、この物語にはストーリーと直接関係のない(?)ところでも記憶に残る部分があります。
休みになるとフランツの近所に移って来るベルトルト。彼はちょっと神経過敏で、数学が良くできる生徒です。ある日の夕刻、二人は川に泳ぎに行きます。
僕たちは農道をぶらぶら歩きながら、数学について語り合ったが、ベルトルトとはいつも数学の話をするのだった。そのころ僕は数学が大好きだったし、また数学が出来ると自負していた。ベルトルトはまず、数学は純然たる理性の事柄だという僕の確信をゆるがせた。というのも彼を見ていると数学的本能というもの、数字・記号・公式を操って物を見通す生得の才能、そういうものが在ることが明らかだったからだ。ベルトルトの知識は高校生の域を超えているばかりか、先生をも上回っていた。
Wir schlenderten über die Feldwege hinunter und waren dabei mit einem Gespräch über Mathematik beschäftigt, wie ich es öfter mit ihm gehabt hatte. Meine Neigung dazu war damals groß; auch glaube ich, daß ich ein guter Mathematiker war, aber er war ein viel besserer. Er brachte zuerst meine Überzeugung ins Wanken, daß Mathematik eine reine Verstandessache ist, denn an ihm wurde mir deutlich, daß es etwas gibt, was mathematischer Instinkt genannt werden kann, eine angeborene Fähhigkeit, mit Zahlen, Zeichen und Formeln umzugehen und durch sie hindurchzusehen. Seine Kenntnisse überstiegen nicht nur die eines Abiturienten, sondern auch die seiner Lehrer.
高校生に、数学は理性の事柄ではないと思わせるのはすごい。
またフランツの母というのがすごい女性です。ゼニアオイの生け垣のところで父と母が息子のことを話している場面を見てください。
「あいつは好きなようにすればいい。他人を傷つけたりさえしなければ」
そのとき母の笑う声が聞こえた。数え違いでなければ、当時、母は三十六歳、美と力の盛りにあった。母のような笑い声はまたと聞いたことが無い。静かで鐘の音のような響きがあった。
「どうして笑うんだ」父は尋ねた。
「他人を傷つけないですって。あの子はそれを避けたりしないと思う。傷つけないのはどうでもいい人間同士なの。正面から物事に向かわない人たちね」と言うなり母はゼニアオイの枝をかき分けて言った。「あなたがここにいるのは分かっていたのよ。いま話していたこと、全部聞いたでしょう。違って?」
「半分くらいだよ」
「ご覧なさいな、なんと無邪気に嘘をつくこと。でもここで聞いたことはもう話さなくっていいから、助かるわ」

"Er mag tun, was er will. Wenn er nur niemanden verletzt."
Hier hörte ich meine Mutter lachen. Damals war sie, wenn ich richtig rechne, sechsunddreißig Jahre alt und in der Blüte ihrer Kraft und Schönheit. Nie wieder habe ich ein Lachen gehört wie das ihre, das leise war und einen Glockenton hatte.
"Warum lachst du?" fragte mein Vater.
"Er soll niemanden verletzen? Er wird nicht darum herumkommen. Nur gleichgültige Menschen verletzen einander nicht. Nur die, die sich aus dem Wege gehen." Und gleich darauf bog sie die Zweige der Malven zur Seite und sagte: "Ich wußte ja, daß du hier sitzt. Gewiß hast du alles belauscht, was wir sagten. Du hast alles gehört, nicht wahr?"
"Seht ihn nur an, wie unschuldig er lügt. Doch ist ein Vorteil dabei. Über das, was du gehört hast, brauchen wir nicht mehr zu sprechen."
-- Friedrich Georg Jünger: Dalmatinische Nacht, Erzählungen (1950)

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うーむ、すごい母親ですね! 「他人に迷惑さえかけなかったら好きなようにしていい」というのが現代の日本でも常識的な親の言い草ですが、もしも「正面から物事に向かう」場面に遭遇すればどうなんでしょうか。

追記
ユンガーの短篇の魅力を教えてくださったのも恩師前川道介先生でした。先生は雑誌「宝石」昭和32年新年号に『白兎 Der weiße Hase』の翻訳を寄稿されましたが、これがおそらくユンガーの本邦初訳だと思われます。また『白兎』など数篇をドイツ語教科書としても編纂されています。その後書きに「彼が小説を発表するようになったのは1950年以降のことであり・・・精緻で充実した生命感を感じさせる文章はまさに真の詩人ならでは書けぬ文章であり・・・」と紹介されています。
先生は本年6月11日に逝去されました。瞑目。