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日本人と錠前
阿波錠(からくり錠)
阿波錠(からくり錠)
われわれ日本人はもともとセキュリティー感覚が薄いとよく言われる。
四方を海で囲まれた島国のせいか、古くから他国の侵略を受けた歴史を持たず、温暖な気候のもとで農耕を主体としてきたわが国のこと、ムラ社会的な環境の中で『鬼は外、福は内』とばかり互いに侵入者に目をひからせてきたから、わが身は自分で守るといった感覚はことさら育たなかったのであろう。そうした過去の記憶が作用してか、明治、大正はおろか昭和の中頃まで、いや、地方に行けば今日でさえ、錠前によってしっかり戸締りをするという習慣が身についていない。まして家族の誰かが留守居役をつとめていたひと頃の家族構成ではなおさらのことであった。
ところが昭和三十年代を境にして日本人のライフスタイルも大きく変化した。カギ(錠・鍵)によってライフシーンを明確に切り換えるという西欧風のライフスタイルである。
今日ではカギ(錠前)のある暮らしはむしろ当たり前のことになっているし、もちろん誰もがカギ(鍵)の大切さは知っている。いや、知っているはずである。それでもなお、あい変らず戸締りに関して呑気なのもまたわれわれ日本人の特徴である。
近年、ピッキングという特殊な手口でカギ(錠)をあけ浸入するという犯罪が首都圏をはじめ全国で多発している。急増する浸入犯罪の発生件数もさることながら、その凶悪化には慄然とするものがある。もはやわが日本とて安全な国ではないのである。にもかかわらず、うっかり戸締りを忘れた玄関や勝手口から泥棒に侵入されたという事件はあとを絶たないし、鍵を紛失したなら、すぐさま街のキーコーナーで複製鍵を作るといったことも実に安易に行われている。
最近は誰もがピッキング対策として高性能なシリンダーに交換することの大切さを知っているが、シリンダーを交換した、だからわが家はもう大丈夫・・・と、それでひと安心してしまう対症療法的な感覚も心配である。現に不法入国したピッキング犯人たちは、シリンダー交換が進んだこともあって、錠やドアのコジあけを新たな手口にし始めているというし、第一、もともと別の手口を常套手段としてきたわが国の泥棒の方とて減っているわけではないのである。

必要なセキュリティ感覚
ドイツ製銀行錠
ドイツ製銀行錠
こうして見るかぎり、われわれ日本人は、なにかにつけて究極を追い求めてやまない性格と、錠前作りに向いた持ち前の才能によって、ハードとしての錠前だけはわずか半世紀のあいだに一歩も二歩も先に進化させたもののセキュリティ感覚や自己責任といったソフトの面では、今日では幻想に過ぎないムラ社会的な相互依存の感覚からまだ抜け出せないでいるのではないだろうか。
その点ヨーロッパでは、自分の身と財産は自分で守るというセキュリティ感覚がしっかり根づいでいる。そこには互いに国境を接するヨーロッパの国々にあって、古くから幾度となく互いに侵略と支配を繰り返してきた歴史があり。
堅牢なドアと錠前で略奪や凌辱から実を守ってきた経験がある。そうした経験が彼らなりのDNAとなって身にしみ込んでいるからである。だから間違ってもカギをかけ忘れたりなどしない。
これからのわが国は、残念ながら、どのみち今より住み良くはなりそうもない。ならばわれわれ日本人も、これからの時代を生きぬくために、もっと根本からのセキュリティ感覚を身につけなくてはならない。
もし、錠そのものが古くなっていたり、今日では性能不足とされるタイプなら、シリンダー交換という対症療法もさして意味がない。いっそ全交換する必要があろうし、補助錠も必要である。今どれだけのセキュリテイレベルが必要なのかをよく考え、正しい対策を講じる――――そうした姿勢が求められる。そこには、心構えと、必要な知識と、正しい判断力と、そして自己責任の意識を欠くことができない。
ピッキング犯罪はもちろん忌むべき社会危機に違いないし、国をあげて防がなくてはならないが、しかし、誰もがこれほどまで真剣に身の安全について考えさせられた事件がこれまでにあっただろうか、そう考えるなら、ピッキング犯罪もまた、われわれ日本人が、『真の安全は自分自身の手で』ということをひとつ心に刻みつける<黒船>の役目をはたしていると言えなくもない。
こうした経験を糧として、やがては本物のセキュリティ感覚を自然なものとして身につける、それでこそ錠前大国の国民らしいではないか。
『世界の鍵と錠 より』
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