暦注批判あれこれ
御参考までにいにしえの人の暦注に対する評
旧暦時代には必ず暦には日の吉凶、禁忌などの暦注が
記載されていた。
現在でも六曜の大安等は結婚式の日取りの選定に利用されている。
ここでは御参考までにいにしえの人の暦注に対する評を
2〜3紹介する。
明治5年11月改暦詔書
”・・・殊に注下段に掲くる所の如きは、率(おおむね)ね、
妄誕無稽に属し人知の開達を妨ぐるもの少なしとせす・・・”
明治5年11月24日太政官布告
”・・・略暦は御頒行太陽暦を標準と可致旧暦中歳徳金神の
善悪を始め、中下段中掲載候不稽の説等増補致候儀
一切不相成候”
「徒然草」第91段より
”赤舌日といふこと、陰陽道には、さたなきことなり。
昔の人是を忌まず。
此頃なにもののいい出て、忌みはじめけるにか、
此日あること、末通らずと言ひて、其日言ひたりしこと、
したりしことかなはず、得たりし物は失ひ、
企てたしこと成らずといふ。
おろかなり。吉日を選びて成したるわざの、
末通らぬをかぞへて見んも、又ひとしかるべし。
そのゆえは、無常変易の境、ありと見るものも存せず。
始ある事も終なし。志は遂げず、望は絶えず。人の心不定なり。
物皆幻化なり。何事か暫くも住する。この理を知らざるなり。
吉日に悪をなすに、必ず凶なり。
悪日に善を行ふに必ず吉なり。といへり。
吉凶は人によりて、日によらず。”
文部省告示 235号 明治41年9月3日
“世人は暦を操って年や日の吉凶を知る。
もしその暦が正しくなければ何の役にもたたない。
「明治39年の丙午」の項で説明したように、
旧暦の日付けは人間がでたらめに作って
でたらめな繰りかたをしているのであるから
何ら信ずるにたらないものであるが、新暦の日付けもまた
人間の約束で定めたもので、天地自然の意志の表示でないから、
その数字に何の意味もあるはずがない。
ただ世界中の人が同じ日付けを用いると何かにつけて
便利だと言うだけのことである。
しかるに日本には日付けに就いてもまた吉凶が
あるとする迷信がある。
もちろん何の根拠もなく、信ずるに足りない。”