節分, 彼岸, 社日, 八十八夜, 入梅, 半夏生, 土用, 二百十日,
太陰太陽暦では、立春、立夏、立秋、立冬の前日を
節分というが、暦には、立春の前日だけが記載された。
広辞苑には
「冬の節から春の節に移りかわる時。
この日の夕暮れ柊(ひいらぎ)の枝に
ヤイカガシなどと呼ぶ鰯(いわし)の頭を
刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して、
炒った大豆ををまく習慣がある。」
と記載されている。
節分の豆まきの風習は室町時代初期からのもの
と言われている。
一般に邪霊災厄をはらい、幸福を求める行事をする。
厄年のものが厄をはらう厄落しも節分におこなわれる。
・節分の風習
「鬼やらい」・・豆を自分の年の数か一つ多く食べる風習
「ヤイカガシ」・・イワシを戸口に立てる風習
「ムシノクチヤキ」・・ネギ・ニンニク・髪の毛などを
焼き、その際、蛇や田畑
の害虫の名を唱え、その害を
防ぐまじないをする風習
「豆で年占」・・豆を平年十二、閏年十三、
炉の灰に並べて、その焼けで
月々の天候を占う。
鳥取県・・厄年にあたるものが厄のたきぎと称する
薪を神前の火にくべる風習
淡路島・・豆を一粒づつ、いろりに放り込みながら、
「猪の口・ウサギの口・のみの口・蚊の口」と
唱えたという。
三州吉田領・・「鉈借り」厄よけと称して表口の戸尻で
一臼餅を搗き、アズキの粉などを
つけて食べる。
春分、秋分の日をはさんで前後3日づつ、7日間を行う。
彼岸は我が国独特の暦記載事項で、仏家の提唱で
暦にのるようになったものである。
彼岸とは涅槃の世界にいたることを意味する
仏教用語である。
寺や墓にもうでるならいがある。
春分、秋分に最も近い戊(つちのえ)の日である。
五行説では戊は"陽性の土"であるから、
春は五穀の豊穣を祈念し、
秋はその成熟を祝して神に感謝した日。
中国を起源とし、中国では土地の守護神を社といい、
それをまつる日が社日であった。
立春より88日目、播種の適期。
この頃は「八十八夜のわかれ霜」といって、
霜の降る最期の時期になるので農家に注意を促すため、
暦に記載するものである。
明暦2年(1656年)の伊勢暦に記されたのが最初である。
貞享改暦の時除かれたが、
すぐ記されるようになった。
「土癸録」(谷泰山著)によれば、
"八十八夜、二百十日、改暦の始め之を注さず、
伊勢の船長、奉行所に訴へていわく、
八十八夜をすぎて天気初めて温に海路和融す。
二百十日の前後必ず大風有り。
皆船師知らざるべからず。願わくば御暦に注せよ。
暦は民用に便なるを以て先となす。
故にまた之を注す。"
と記載されている。
明治九年暦から太陽黄経80度に達した日を入梅とした。
それ以前は「五月節に入って第一の壬(みずのえ)の日」
であったが年により日がかなりずれて
不都合の為変更された。
農家に注意を促すための日である。
入梅は貞享暦(1685年)になって記され始めた。
現在は太陽黄経100度に達する日である。
従来は夏至から数えて十一日目としていた。
七十二候の一つである。
半夏という毒草がはえる時期の意味。
この日までに田植えを済ませるものといわれていた。
この時期は麦の刈り入れ時であり、
この日に新麦を神に供え、
麦ダンゴを食べる風習もある。
暦では宣明暦時代の仮名暦から記載されていた。
現行暦では太陽の黄経で決まりる。
春の土用入り 黄経 27度
夏の土用入り 黄経 117度
秋の土用入り 黄経 207度
冬の土用入り 黄経 297度
入りの日から18日余を土用という。
これは陰陽五行説よりきたもので、春・夏・秋・冬を
春 → 木の気
夏 → 火の気
秋 → 金の気
冬 → 水の気
と割り当て、その間(あいだ)の18日間を
「土の気」の司るところとしたのが起源である。
現在の土用というと、一般には夏の土用のことをいう。
夏の土用の風習として、
"土用の丑の日に水浴すると夏負けせず、
カゼをひかないと"
言われる。
又ウナギを食する習慣は、
「万葉集」の時代からの
"ウナギを食べれば夏負けせぬ"
という俗信からと思われる。
大伴家持の、
"石麿にわれ物申す、夏やせに、
良いというものぞ鰻取り食(め)せ"
という歌がある。
立春から210日目、台風襲来と稲の開花が重なる時期で、
農家にとっては厄日である。
暦上に記して台風時期の目印としたものである。
明暦2年(1656年)の伊勢暦より記された。