平城京の歴史


「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 は留学生として渡唐し帰国を果たせぬまま五十四年、七十三歳で長安の都に骨を埋めた阿倍仲麻呂が、唐土にあって故国の平城宮で見た月に思いを寄せて「古今集」で詠った句である。


元明天皇の「平城遷都の詔」により和銅3年(710年)に、飛鳥に近い藤原京より遷都された平城京は、聖武天皇による恭仁京等への一時的な遷都はあったが、桓武天皇による延暦3年(784年)に長岡京に遷都されるまで74年の間、日本の都でした。
唐の長安を模して設計された平城京は南北約5km、東西約6kmの規模で、中央の北端には政治の中心となる「平城宮」が造られました。平城京の入り口には「羅城門」があり、75m幅の朱雀大路を北へ約4km歩くと突き当りが平城宮の正門「朱雀門」です。平城宮は約1km四方の広さで、大極殿や朝堂院などの宮殿のほか、天皇の住まいである内裏があり、その周辺には国の役所が立ち並んでいました。

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